金は金製品のために、銀は銀製品のために、
またすべての職人の手による仕事のために、ささげた。
そこで、きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、
主にささげる者はないだろうか」。
すると、一族の長たち、イスラエルの各部族の長たち、千人隊、
百人隊の長たち、王の仕事の係長たちは、みずから進んで、神の宮の
奉仕のために、金五千タラント―一万ダリク、銀一万タラント、青銅
一万タラント、数十万タラントをささげた。
宝石を持っている者は、これを主の宮の宝物倉にささげ、ゲルション人エヒエル
の手に託した。
こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。
彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。
(歴代誌Ⅰ第29章 5から9節 )
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みずから進んでたくさんのささげものを主の神殿を作るために
ささげたのである。このよろこびは主ご自身のよろこびがそのまま
民たちに降ってきたものだと思う。
だれも出し惜しみしなかったのである。
そしてこれだけささげれば自分たちにはこれだけ良いことがあるぞ
などという気持ちもなかったのである。
だから魂の奥底から民たちはよろこんだし、主ご自身のよろこびが
民たちに降ってきたのである。
主なる神に何かささげものをするときはこのイスラエルの民のようで
ありたいとつくづく思う。わたし少女ジーザスはこの民たちと比べたら
はずかしくて主の御前にいられないほどである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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