2021年1月17日礼拝メッセージ 要旨
■『神の子どもとして神のもとへ帰るために-キリストの十字架』
■聖書箇所:第一ペテロ2:21~25
■中心聖句:第一ペテロ2:24~25
:24 キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。 :25 あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰った。
・25節について 「こんなに美しくキリスト者が救われる姿を描いている文章は他にはないと言っていいくらい…。」(加藤常昭 ペテロ第一講解 p147)
・しかし今や、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰った。
・クリスチャンは、たましいの牧者・監督者である方、父なる神のもとへ帰ることができた者!
・「神の子どもとされた者であること」を、別の表現で表していると言っていい。(続けて学んでいるテーマと関連している)
・24節より。また、クリスチャンは、「罪を離れ、義のために生きる」という「方向性」を与えられた者と言っても良い。
・そして、また、「その(キリストの)打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた」とあるように、霊の癒やしをいただいた者、霊を健全にしていただいた者ということもできる。
・クリスチャンは、こういう者。
(あ)罪を離れ、義のためにいきる、という「方向性・ディレクション」を与えられた者。
(い)霊の癒やしをいただき、霊を健全にしていただいた者。「状態・コンディション」
(う)たましいの牧者であり監督者のもとへ立ち帰った者。神の子ども!「立場・ポジション」
・これらのことが実現するためにイエス様がしてくださったことがある!
・24節 キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
1.私たちが、神のもとへ立ち帰り、神の子どもとされるため、イエス様は十字架の上で、私たちの罪を負ってくださいました!
・※先週、私たちが神の子どもとされるため父なる神が愛を注いでくださったことを学んだ。「にもかかわらずの愛」で!
・今日は、子なるイエス・キリストがしてくださったこと!
・24節 キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
・W.グルーデム 「ここに福音の核心の明白な声明がある」
・罪は神と私たちを隔てるもの。アダムとエバから始まった。日々、人は罪を犯してしまっている。避けられない。
・第一ヨハ1:8 もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちには真理はありません。
・しかし、しかし、解決がある! ・罪なきお方であるイエス・キリストが罪を負われた。
・「罪の赦し」が用意されたのです!
2.私たちの罪は、現実のものです。しかし、イエス様の十字架のみわざも現実のものなのです!
・聖霊なる神様が働いてくださるとき、人は罪がわかります。
・聖霊なる神様が働いてくださいますように!
・イエス様の十字架に心を向けると、罪をわからせていただけます。
・マタイ27:46 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
・イエス様は、父なる神様から見放された。
・イエス様が人類の罪を負われたから。イエス様の上に人類の罪が乗せられたから。
3.イエス様を信じ、イエス様の十字架のみわざを受け取るなら、あなたは、霊の癒やし(コンディション)も、罪を離れ義のために生きる方向性(ディレクション)も、神の子どもという立場(ポジション)も、確かにいただくことができます!
■宣言:イエス様、あなたは、私たちが神の子どもとされるために、十字架の上で私たちの罪を負ってくださいました!イエス様、あなたの十字架のみわざを受け止めます!感謝します!
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