しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

その仕組みを知りたくて

2012-02-16 20:40:46 | 日記

帰り道の途中でソイラテを飲んだけど、
やっぱり家でもコーヒーが飲みたくなる。
けっこう頻繁に飲むから、すぐになくなる。

夕食の材料を買って帰るついでにモカコーヒーも買っとこう、
と、コーヒーのコーナーへ足を伸ばす。
と、コーヒーコーナーで小さい男の子が一心不乱にじーっと何か見ている。
その視線の先を追うと、
「コーヒー豆引き売りします。」
と書かれた機械。
これ、どこのスーパーにもコーヒーに紛れてひっそりあるやつね。
飾り気のない金属板でできた箱みたいなやつ。

私にも覚えがある。
母がコーヒー好きなので、買い物の際にはいつもコーヒーコーナーに立ち寄るんだけど、
この機械、やっぱり不思議だった。
なんだろう、これは・・・・と見ていた。
使い方も、よく見ればわかるんだろうけど、
ぱっと見、わかりづらい。ただの箱だ。
幼い私にはとにかく謎だった。
タイミングの問題かもしれないけど、生きてきて30数年、
そういえばこの機械を使っている人を見たことがない。

子どもが不思議に思うのも無理ないなあ、
と思いながら通り過ぎる。

そのあと、この子のいるところを通り過ぎなかったからわからないけど、
この子は、機械に触っていろいろ試してみたかもしれない。
それで、お母さんにしかられてしまったかもしれない。

うちの父は純理科系で、
幼い頃に家にある時計という時計を分解しては祖母に怒られていたらしい。
探究心というのは、個体差があるんだろうけど、
不思議だと思ったことにまっすぐに突き進む心持ちは楽しいだろうなあと思う。
数学の教師をしていた父は、
幼い私によく「不思議な話」をした。
それが純粋理論の数学の分野のものであることは、大人になってから知った。

鉄砲が◯メートル離れた的に向けて発射された。
1分経つと、的まで半分の距離まで来ている。
2分経つとまた半分、3分経つとそのまた半分。
あと数分経てば、的に当たると思うだろう?
でも、よく考えてごらん。
的には永遠に当たらないんだよ。

そういって、図を描いて説明してくれた。
半分、そのまた半分・・・・たしかに、ゼロに限りなく近くなるけど、
いつまでもゼロにはならないのだ。
当時、けっこうびっくりした。
つぎの日、体育でドッジボールをしたら、
ボールは普通に当たるので(当たり前だけど・・・)、
なんなんだ、お父さんの話は!
って思ったものだった。

でも、ボールが当たることが、そして理屈では当たらないとも言えることが
不思議であるし面白かった。
数学は世界や宇宙を語る道具になると、父はいつも言っていた。
これほど美しいものはないよ、とも。

このあたりで数学好きになればしめたものだった。
高校1年までは、父の思惑(?)通り、
大学で宇宙の理論について学びたいと思って理系志望でいたけど、
生来の、どうしようもない頭の悪さから諦めた(笑)。
頭のきれや瞬発力がないのは誠に残念だ。。。。
いまや、すっかり骨の髄まで文系になった。

でも昔、父が語ってくれていたような「不思議な話」の本があると、
頭が悪いなりに、ゆっくりゆっくりと咀嚼しながら読んでみる。

世の中、自分が知らないだけで、惑星の軌道の正確さのように、
いろんな法則にのっとって物事が規則正しく動いているのだろうか・・・と、
宇宙の精密な仕組みようなものに、遠く思いを馳せてみる。

それにもし形があれば、きっと透明で震えるような繊細なガラスなんだろうな、とも。