しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

水の伝言

2013-12-10 20:57:06 | 日記
記憶は何かをきっかけにフラッシュバックする。
きっかけは、あの白樺湖だったのではないか。
湖の、水が。
水が、古い記憶を呼び起こした。
忘れがたい友人の記憶だ。



勘が冴える、というか何なのか、
昔の友人のブログ(同じgooブログ内)を見つけた。
顔写真出しちゃってるし。
あんまり変わってなかったので、すぐにわかった。
2児の父になっていた。

相変わらずの詩人で、文章ににじみ出る変わらない繊細さが嬉しかった。
昔のイメージそのままに、あんまり働いていないみたいだった。
卒業後、就職しなかったもんな。
そう、その彼はすぐにバイトで貯めたお金で中国に留学してしまったのだった。



いつも風来坊だった。行くところはいつもアジアだった。
人恋しいからアジア、と言ってた気がする。

そしてブログにも相変わらず、アジアの旅の記録が綴られていた。
そして、まだ幼い可愛い娘さんの写真もたくさんアップされていた。



良かった、裕福ではないのかもしれないけど、とても幸せなんだね。
ものすごくほっとした。
重荷が、とれた気すらした。







大学のうちのゼミ生みんな、ほとんど卒業後に就職しなかった。
文学部って、こんなもんだ。


一風変わった人だった。いつもキャンパス内を大股で歩いていた。
基本、無口だったけど、話すとわかる、
性格はのんびりとあたたかい、
飾り気のない、本当に思いやり深い人だった。


繊細さと大胆さが同居して、不思議な大陸的イメージを醸し出していた。
だから、私立でこじゃれた若者の多かった大学内には、
あまり友人がいない感じだった。

長い休みには、いつも彼は海外へ飛び立って行った。
休み明け、アジアで撮影した写真を旅の思い出を語りながらみせてくれた。
そのときの笑顔は、とても爽やかで良かった。



うちのゼミは、私以外、みな男性だったけど仲が良かった。
ゼミのあった日は、みんなでご飯を食べにいくこともあった。

男子は、ご飯を食べるのが基本はやい。
そして、なぜか、中華が好きだ。
そんな中で、もがもがと麻婆豆腐を急いで食べる私を、いつも笑っていた。



大学の卒業式の日、
大学の前のその中華料理屋さんに行き、
これがもう最後だねー、とか言いながらゼミ生でご飯を食べた。

ふと思いついてくしゃくしゃに丸まった紙をポケットから出してきた彼は、
「連絡つく住所と携帯、教えといて。」
と、その紙を私の目の前にとん、と置いた。

「・・・どうすんの、これから。」
「私、短大行くよ。」
「美術の?」
「うん。そっちは?」
「俺は、バイトして金貯まったら、中国にしばらく『遊学』に行ってくる。物価、安いし。」

それが最後の会話になると思っていたら、違っていた。





数年後、私は1年間だけだったけど、会社員になった。
慣れない生活で、手が震えたり痩せたり、なんだか大変だった。
そんな時、ふらりと中国から年賀状が来た。



その後数回、はがきのやりとりをした。
文通って、ああいう感じなのだろうか。
短い言葉にはいつも強さがあって、心を支えられた。



新宿駅の小さなコーヒーショップで、帰国した彼と話をした。
あれは大学を卒業して、5年ほどたった時のことだ。

海外での生活が、長かったからなのか。
口調は変わらなかったけど、タバコを吸うようになっていた。
何かが荒んでいる気がして、ならなかった。
苦しそうにみえたのだ。


日本にいることが苦しかったのだと思う。
就職しなかったことで、まず、居場所がなくなった。
元々、変わり者の彼のこと、友人もいなかった。

「俺、友達いないからな。」
自虐的にそう言う彼が、悲しくてならなかった。

しかし彼が、海外で体験したということを聞くにつれ、
私はだんだん恐ろしくなってきた。

君は踏み込んではいけないところに、踏み込んでないか?

口論はしたくなかった、責めたくもなかった。
けど私はその話を聞いて、
その後、彼と連絡をとることをなんとなく断ってしまったのだ。




私は怖くなって、友達の手を離した。
友達は、きっと辛くて苦しかったから、
踏み込んではいけない道に、踏み込もうとしたのだ。
それが頭ではわかっていたのに。
どうして、きちんと助けられなかったのだろう、
話を最後まで聴けなかったのだろう。
完全に裏切り者だ。友達を名乗る資格もない。






あれから十数年。
水の伝言。

友達だった人は、幸せに生きています。







自分は卑怯だと、涙が止まらない夜もあります。