そういえば、ひそかに探しているものがある。
大学生のとき、題名は忘れてしまったけど、
あまりに凝りすぎて創刊号で廃刊になってしまった、
もしくは、雑誌の体裁はとってるけれども元々1冊の予定だったのか、
よくわからないけど、ものすごく面白くてグラビアの美しい旅の雑誌があった。
ずっと持っておこうと思ってたんだけど、関西からこちらに来る際に、
どうやらほかの雑誌とともに処分してしまったらしい。
どこを探しても見つからない、幻の雑誌だ。
一番重要な「題名」を忘れてしまって、もう探そうに探せない。
ものすごく気合いの入った名前だった気がする。
巻頭ページに、その名前の由来を解説する記事が載っていた。
その雑誌のグラビアページの1つに、
携帯電話がグシャグシャに壊されてる写真があって、
「携帯を捨てて、旅に出よう。」というコピーが入ってるものがあった。
もちろんこのコピー、寺山修司の「書を捨てよ、街へ出よう」のパクリだ。
それにしても写真の携帯、古い型だったなあ・・・・。
こんなものに縛られていたくない!的な自由な心。
文学部の学生などは、まさにそういうのを地でいく生活をしていた人も多かった。
ちょっと前まで、そう10数年位前まではそういう気風、確かに日本にあった。
今2012年。2000年になる前くらいまではそうだった気がしてる。
でも今や、電車に乗ればみなが携帯やスマートフォンを開いて画面を見入っている時代。
自分自身も、あんなにそのコピーに魅かれていたのに、
携帯やツイッターや、毎日開いてチェックする。
そこに載っている情報が、逆に自分を自由にしてくれるときもあるからだ。
直接手に触れられるもの、直接見られるものなどだけを求めていたら、世界は確かに狭くなる。
でも、何かに縛られている自分に気づいて嫌になることもけっこう多い。
携帯、いらないなあと思うことが突発的に、ある。
今のような丑三つ時、心が浮遊する時間。
あの雑誌がまた読みたい。ないから余計に読みたい。
幻の雑誌・・・。
もう一生、出会えないのかも。
心に残っている雑誌です。
大学生のとき、題名は忘れてしまったけど、
あまりに凝りすぎて創刊号で廃刊になってしまった、
もしくは、雑誌の体裁はとってるけれども元々1冊の予定だったのか、
よくわからないけど、ものすごく面白くてグラビアの美しい旅の雑誌があった。
ずっと持っておこうと思ってたんだけど、関西からこちらに来る際に、
どうやらほかの雑誌とともに処分してしまったらしい。
どこを探しても見つからない、幻の雑誌だ。
一番重要な「題名」を忘れてしまって、もう探そうに探せない。
ものすごく気合いの入った名前だった気がする。
巻頭ページに、その名前の由来を解説する記事が載っていた。
その雑誌のグラビアページの1つに、
携帯電話がグシャグシャに壊されてる写真があって、
「携帯を捨てて、旅に出よう。」というコピーが入ってるものがあった。
もちろんこのコピー、寺山修司の「書を捨てよ、街へ出よう」のパクリだ。
それにしても写真の携帯、古い型だったなあ・・・・。
こんなものに縛られていたくない!的な自由な心。
文学部の学生などは、まさにそういうのを地でいく生活をしていた人も多かった。
ちょっと前まで、そう10数年位前まではそういう気風、確かに日本にあった。
今2012年。2000年になる前くらいまではそうだった気がしてる。
でも今や、電車に乗ればみなが携帯やスマートフォンを開いて画面を見入っている時代。
自分自身も、あんなにそのコピーに魅かれていたのに、
携帯やツイッターや、毎日開いてチェックする。
そこに載っている情報が、逆に自分を自由にしてくれるときもあるからだ。
直接手に触れられるもの、直接見られるものなどだけを求めていたら、世界は確かに狭くなる。
でも、何かに縛られている自分に気づいて嫌になることもけっこう多い。
携帯、いらないなあと思うことが突発的に、ある。
今のような丑三つ時、心が浮遊する時間。
あの雑誌がまた読みたい。ないから余計に読みたい。
幻の雑誌・・・。
もう一生、出会えないのかも。
心に残っている雑誌です。
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