学校の夏休みが始まってもう9日。
夏休み始まって以来、ずっと毎日普通に出勤していたけれど、
今週に入って、職員室に人がぐっと減ってきた。
みんな旅行や部活の遠征。海外に行く人も多い。
美術部のもう一人の先生は、イタリアへ行ったとお土産をくださった。
私といえば、今年の夏はどこにも行けない。
お盆なら行けるはず・・・と思っていたら、教育課程の仕事が入ってしまった。
国内でもいいから、旅に出たかった!
旅にも出られない、仕事もある。
なのに、最近、心が数年来無いくらい穏やかだ。
夏休み、定時で退勤できるし時間があるということが大きいんだと思う。
家で仕事をしている間、時々ネットサーフィンをすると、
昔好きだったものを思い出して、それに関することを次々と調べたくなってくる。
インターネットはこういうときにとても便利なもので、
内容の質はいろいろあるけど、
とりあえずどんな情報でもころがってるからありがたい。
昨日はなんの拍子だったか(演劇関係からだったか)、夢野久作へ飛んだ。
高校生の時にちょっとハマった時期があった。
昨日、『瓶詰の地獄』の原文をネットであらためて読んでみた。
高校生ならハマりそうな悲劇だ。
記憶の中ではもっとドロドロした感じだった気がしたけど、
文章が静けさで満ちていて綺麗だなと今は思う。
乱歩の方がドロドロ度は数段上だ。
横溝さんは、一番面白い時期のは意外に理論的だ、ほんとに怖いけど。
ちなみに夢野久作さん代表作の『ドグラ・マグラ』は最後まで読めてないままだ。
ブーン・・・・、とかチャカポコ・・という音しか記憶にない。
てかそれじゃあ、全く読めてないし・・。
中・高校生の頃は、何故かダークなものに惹かれる子が多い。
自分自身に対する悩み、苦しみをダークな世界に浸ることで昇華させてた気もする。
でも暗くてグロテスクで気持ち悪いだけなのは嫌で、どこか叙情的でないとダメだった。
幼い頃の私の記憶、心象風景は、決して明るくはない。
でも、明るさに満ちてる人なんて、果たしているんだろうか?
そんな薄暗い心の自分が嫌で仕方がなかったし、忙しかったのもあったので、
いつの間にか、自分が辿ってきた心の道のりのようなものを忘れかけている。
ネットの海でふと記憶が蘇り、自分の来歴がしっかりすることで、
なんとも物悲しいのに懐かしい気持ちになる。
だから、心が穏やかなんだと思う。
そして、それに拍車をかけた出来事。
今日、夏休み初めて学校を離れた。実技研修のため。
アートフォーラムあざみ野であった、アニメーションワークショップ。
このワークショップの講師の先生であった松本力さんのアニメーションが、
まさにど真ん中だったのだ。
ストーリーがあるわけじゃない。
今日見せていただいたのは手描きアニメーションで、人の顔がどんどん変化していく。
色が生き物のように変化する。時間が巻き戻る感覚。
上手く言えないけど、夢の中の手触りというのが近い気がする。
松本さんいわく、人によっては松本さんのアニメを『気持ち悪い』と言う人がいるらしい。
でも私は、すごく『懐かしい』気がした。
その後、面白かったのは、松本さんの時間軸のお話だった。
説明し辛い、とても哲学的な話だった。
過去の自分と未来からやってきた自分がハイタッチする瞬間が今で、
だからいつも『今』って不安なんだ、みたいな・・(。。;)
その話を聞きながら私の友人は横でうつらうつらしてたけど、
私は、ふと思い出したのだった。
自分も小学生の頃、似たようなことを考えていた。
誰だったか忘れてしまったのが残念で仕方がないのだけど、
海外のSF作家さんの物語で、太陽の光が通常より数秒~数分遅れて地上に届くため、
人の動きが実際のものより遅れて見えることで起こった殺人事件を扱った小説があって、
小学校の高学年のとき、近所の公民館に来てた移動図書館で借りて読んだ。
今思い出しても、すごい話だ・・。
それにしてもあの移動図書館の本のセレクションは凄かった。
子どもための移動図書館なのに、内容が子ども向けじゃないのがたくさんあった。
そして子どもたちはそういうのを好んで借りる。
その本を読んだのがきっかけだったように思う。
私の時間って、薄っぺらい紙みたいな『私』が瞬間瞬間連なることで『今』の私ができてんだな、
と考えるようになった。松本さんの話で記憶がスパークした。
アニメーションのしくみとも似てる。
時間って不思議だな、もし私が死んだら、今まで重ねてきた『私のかたまり』はどうなるの?
って思ってとても怖くなったときがあった。小4か小5ぐらいだ。
あと何故か、私たちは大きい生き物の細胞の中に棲む微生物のような存在で、
その生き物というのは、カタツムリみたいな形のやつだ、と考えていた。
それは、夢でみた風景だったからだ。
子どもって基本的に暇だから、へんてこりんなことを考える。
子どもは勝手に哲学するのだ。
そんなことを思い出して、懐かしくて何故か少しさびしくて、でもほっこりした。
心が、小学生の頃の夏休みに戻ったみたいにワクワクしてる。
なんだろう、ものすごく幸せ。
夏休み始まって以来、ずっと毎日普通に出勤していたけれど、
今週に入って、職員室に人がぐっと減ってきた。
みんな旅行や部活の遠征。海外に行く人も多い。
美術部のもう一人の先生は、イタリアへ行ったとお土産をくださった。
私といえば、今年の夏はどこにも行けない。
お盆なら行けるはず・・・と思っていたら、教育課程の仕事が入ってしまった。
国内でもいいから、旅に出たかった!
旅にも出られない、仕事もある。
なのに、最近、心が数年来無いくらい穏やかだ。
夏休み、定時で退勤できるし時間があるということが大きいんだと思う。
家で仕事をしている間、時々ネットサーフィンをすると、
昔好きだったものを思い出して、それに関することを次々と調べたくなってくる。
インターネットはこういうときにとても便利なもので、
内容の質はいろいろあるけど、
とりあえずどんな情報でもころがってるからありがたい。
昨日はなんの拍子だったか(演劇関係からだったか)、夢野久作へ飛んだ。
高校生の時にちょっとハマった時期があった。
昨日、『瓶詰の地獄』の原文をネットであらためて読んでみた。
高校生ならハマりそうな悲劇だ。
記憶の中ではもっとドロドロした感じだった気がしたけど、
文章が静けさで満ちていて綺麗だなと今は思う。
乱歩の方がドロドロ度は数段上だ。
横溝さんは、一番面白い時期のは意外に理論的だ、ほんとに怖いけど。
ちなみに夢野久作さん代表作の『ドグラ・マグラ』は最後まで読めてないままだ。
ブーン・・・・、とかチャカポコ・・という音しか記憶にない。
てかそれじゃあ、全く読めてないし・・。
中・高校生の頃は、何故かダークなものに惹かれる子が多い。
自分自身に対する悩み、苦しみをダークな世界に浸ることで昇華させてた気もする。
でも暗くてグロテスクで気持ち悪いだけなのは嫌で、どこか叙情的でないとダメだった。
幼い頃の私の記憶、心象風景は、決して明るくはない。
でも、明るさに満ちてる人なんて、果たしているんだろうか?
そんな薄暗い心の自分が嫌で仕方がなかったし、忙しかったのもあったので、
いつの間にか、自分が辿ってきた心の道のりのようなものを忘れかけている。
ネットの海でふと記憶が蘇り、自分の来歴がしっかりすることで、
なんとも物悲しいのに懐かしい気持ちになる。
だから、心が穏やかなんだと思う。
そして、それに拍車をかけた出来事。
今日、夏休み初めて学校を離れた。実技研修のため。
アートフォーラムあざみ野であった、アニメーションワークショップ。
このワークショップの講師の先生であった松本力さんのアニメーションが、
まさにど真ん中だったのだ。
ストーリーがあるわけじゃない。
今日見せていただいたのは手描きアニメーションで、人の顔がどんどん変化していく。
色が生き物のように変化する。時間が巻き戻る感覚。
上手く言えないけど、夢の中の手触りというのが近い気がする。
松本さんいわく、人によっては松本さんのアニメを『気持ち悪い』と言う人がいるらしい。
でも私は、すごく『懐かしい』気がした。
その後、面白かったのは、松本さんの時間軸のお話だった。
説明し辛い、とても哲学的な話だった。
過去の自分と未来からやってきた自分がハイタッチする瞬間が今で、
だからいつも『今』って不安なんだ、みたいな・・(。。;)
その話を聞きながら私の友人は横でうつらうつらしてたけど、
私は、ふと思い出したのだった。
自分も小学生の頃、似たようなことを考えていた。
誰だったか忘れてしまったのが残念で仕方がないのだけど、
海外のSF作家さんの物語で、太陽の光が通常より数秒~数分遅れて地上に届くため、
人の動きが実際のものより遅れて見えることで起こった殺人事件を扱った小説があって、
小学校の高学年のとき、近所の公民館に来てた移動図書館で借りて読んだ。
今思い出しても、すごい話だ・・。
それにしてもあの移動図書館の本のセレクションは凄かった。
子どもための移動図書館なのに、内容が子ども向けじゃないのがたくさんあった。
そして子どもたちはそういうのを好んで借りる。
その本を読んだのがきっかけだったように思う。
私の時間って、薄っぺらい紙みたいな『私』が瞬間瞬間連なることで『今』の私ができてんだな、
と考えるようになった。松本さんの話で記憶がスパークした。
アニメーションのしくみとも似てる。
時間って不思議だな、もし私が死んだら、今まで重ねてきた『私のかたまり』はどうなるの?
って思ってとても怖くなったときがあった。小4か小5ぐらいだ。
あと何故か、私たちは大きい生き物の細胞の中に棲む微生物のような存在で、
その生き物というのは、カタツムリみたいな形のやつだ、と考えていた。
それは、夢でみた風景だったからだ。
子どもって基本的に暇だから、へんてこりんなことを考える。
子どもは勝手に哲学するのだ。
そんなことを思い出して、懐かしくて何故か少しさびしくて、でもほっこりした。
心が、小学生の頃の夏休みに戻ったみたいにワクワクしてる。
なんだろう、ものすごく幸せ。
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