インフルエンザが牙をむき出し始めている。
35人クラスなら、7人休むと学級閉鎖になる。
所属学年では、朝から欠席の電話がけたたましく鳴り続けてる。
しかし不思議なことにうちのクラスだけ、
インフルはもちろん、欠席者がいない。
髪型のことで悩んでいた子も、3時間目から遅刻してきた。
他の学年もクラスも、学級閉鎖ギリギリなのに。
様々な先生方から、
「ここのクラスはどうなってんの???」
と言われる。
インフルエンザ菌も近づけないくらい、
集団でアホなのかもしれない。
・・・担任の深い愛が守っているのよっ!!!
とか啖呵きって言ってみたいところだけど、
うちのクラスだけたぶん遅れて波がやってくるのだろう。
学期末テスト2週間前を切ってしまった今、
インフルはきついぜー。
私はといえば、
昨日は仕事中にうつらうつらしてしまうほど低空飛行の体調だったのに、
今日はなんかいい感じ。
心が透き通った感じなんだよね。
今日は、作らずとも笑顔になれた。
理由は、読書にあると思う。
沼田まほかるさんの「アミダサマ」をさっき電車内で読み終えた。
昨日は、ウイークデーにも関わらず、結構遅くまで読んでいた。
止まらなかった。
いわゆるジャパニーズホラーの領域に属するこの作品。
別にホラー好きなわけではないけど、
ジャパニーズホラーは自分にとって結構ツボなのかもしれなかった。
海外のような、スプラッターものや猟奇系ではなくて、
日本のは、人間の心が追いつめられて引き起こす超常現象のような設定が多い。
「リング」もそうだし「仄暗い水の底から」もそうだったような気がする。
それは恐怖よりもむしろ切ない気持ちを強く呼び起こす。
そして、一番恐ろしいのは人間の心そのものだと思わされる作品が多い。
今回の「アミダサマ」もそうだった。
幼い少女が父親に捨てられて、
産廃ゴミ集積場の冷蔵庫の中に閉じ込められたまま放置されていた。
近隣に住む僧は、勤行の際、何かが自分に助けを求めている儚い気配を感じる。
また、全く遠く離れた場所で、何かか細い音のようなものに心をかき乱されている青年がいる。
この3人の出会いから、物語は始まっていく。
僧と青年に助け出された5歳の少女の純粋な心はとんでもないパワーを宿していて、
小さく静かな町に邪悪なものを呼び寄せる力となり、
町の人々の言動が少しずつ捻れて変化していくところがものすごく恐ろしい。
作者の沼田さんがお寺の尼さんだったことがあるというのが、
この小説に妙なリアリティーを与えていて、
ヒタヒタと恐怖が押し寄せてくる。
こんなことはあるかもしれない。どこかで起こっているかもしれない、と。
しかしそれよりも、
命が還り、また生れ出る場所について考えさせられ、
ラストに光を見いだす。
中盤は人間の内面について相当にドロドロした描写があるけど、
後半から疾走感のある展開で、
ラストは光が見いだせる終わり方をする。
(でももしかしたら、これがまた悲劇の始まりなのかも、とも思わせる終わり方でもあるけど。)
また、無垢な心が一途に何かを思うことの切なさが胸に沁みる。
沼田さんは、「厭らしく汚い欲を持つ人間」を冷徹にみていると思ったけど、
同時にそんな人間に対する深い愛をもひしひしと感じた。
声にならない声は「あなた方を愛している」と、心に響いてくる。
結局とても読後、心地よかった。
言葉にするなら、うーん・・・・
「浄化」。
この小説は、沼田さんの祈りの読経の声なのだ、きっと。
ホラーで味付けしてるだけで。
私の心の中にあったかもしれない厭なものが、すっと空へ散った気がした。
それで私は今日は調子がいいみたい。
清浄な、醒めた意識に心が触れて元気になった。
結局、「あなた方を愛している」という心の波動に、勝てるもんなんてないことを知る。
「愛している」と安っぽいドラマでカッコいい、美しい男女がつぶやく光景はまやかし。
「どんなに厭らしくても汚くても、そこにいることをそのまま愛しく思う」
が、きっと本当の力の源。見失ってはいけない源。
そうそう。私の心もパワー充電完了。
これで学校に蔓延しつつあるインフルとも戦えるってもんよ!!
35人クラスなら、7人休むと学級閉鎖になる。
所属学年では、朝から欠席の電話がけたたましく鳴り続けてる。
しかし不思議なことにうちのクラスだけ、
インフルはもちろん、欠席者がいない。
髪型のことで悩んでいた子も、3時間目から遅刻してきた。
他の学年もクラスも、学級閉鎖ギリギリなのに。
様々な先生方から、
「ここのクラスはどうなってんの???」
と言われる。
インフルエンザ菌も近づけないくらい、
集団でアホなのかもしれない。
・・・担任の深い愛が守っているのよっ!!!
とか啖呵きって言ってみたいところだけど、
うちのクラスだけたぶん遅れて波がやってくるのだろう。
学期末テスト2週間前を切ってしまった今、
インフルはきついぜー。
私はといえば、
昨日は仕事中にうつらうつらしてしまうほど低空飛行の体調だったのに、
今日はなんかいい感じ。
心が透き通った感じなんだよね。
今日は、作らずとも笑顔になれた。
理由は、読書にあると思う。
沼田まほかるさんの「アミダサマ」をさっき電車内で読み終えた。
昨日は、ウイークデーにも関わらず、結構遅くまで読んでいた。
止まらなかった。
いわゆるジャパニーズホラーの領域に属するこの作品。
別にホラー好きなわけではないけど、
ジャパニーズホラーは自分にとって結構ツボなのかもしれなかった。
海外のような、スプラッターものや猟奇系ではなくて、
日本のは、人間の心が追いつめられて引き起こす超常現象のような設定が多い。
「リング」もそうだし「仄暗い水の底から」もそうだったような気がする。
それは恐怖よりもむしろ切ない気持ちを強く呼び起こす。
そして、一番恐ろしいのは人間の心そのものだと思わされる作品が多い。
今回の「アミダサマ」もそうだった。
幼い少女が父親に捨てられて、
産廃ゴミ集積場の冷蔵庫の中に閉じ込められたまま放置されていた。
近隣に住む僧は、勤行の際、何かが自分に助けを求めている儚い気配を感じる。
また、全く遠く離れた場所で、何かか細い音のようなものに心をかき乱されている青年がいる。
この3人の出会いから、物語は始まっていく。
僧と青年に助け出された5歳の少女の純粋な心はとんでもないパワーを宿していて、
小さく静かな町に邪悪なものを呼び寄せる力となり、
町の人々の言動が少しずつ捻れて変化していくところがものすごく恐ろしい。
作者の沼田さんがお寺の尼さんだったことがあるというのが、
この小説に妙なリアリティーを与えていて、
ヒタヒタと恐怖が押し寄せてくる。
こんなことはあるかもしれない。どこかで起こっているかもしれない、と。
しかしそれよりも、
命が還り、また生れ出る場所について考えさせられ、
ラストに光を見いだす。
中盤は人間の内面について相当にドロドロした描写があるけど、
後半から疾走感のある展開で、
ラストは光が見いだせる終わり方をする。
(でももしかしたら、これがまた悲劇の始まりなのかも、とも思わせる終わり方でもあるけど。)
また、無垢な心が一途に何かを思うことの切なさが胸に沁みる。
沼田さんは、「厭らしく汚い欲を持つ人間」を冷徹にみていると思ったけど、
同時にそんな人間に対する深い愛をもひしひしと感じた。
声にならない声は「あなた方を愛している」と、心に響いてくる。
結局とても読後、心地よかった。
言葉にするなら、うーん・・・・
「浄化」。
この小説は、沼田さんの祈りの読経の声なのだ、きっと。
ホラーで味付けしてるだけで。
私の心の中にあったかもしれない厭なものが、すっと空へ散った気がした。
それで私は今日は調子がいいみたい。
清浄な、醒めた意識に心が触れて元気になった。
結局、「あなた方を愛している」という心の波動に、勝てるもんなんてないことを知る。
「愛している」と安っぽいドラマでカッコいい、美しい男女がつぶやく光景はまやかし。
「どんなに厭らしくても汚くても、そこにいることをそのまま愛しく思う」
が、きっと本当の力の源。見失ってはいけない源。
そうそう。私の心もパワー充電完了。
これで学校に蔓延しつつあるインフルとも戦えるってもんよ!!
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