しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

修学旅行を振り返ってみた その1

2012-05-27 23:24:37 | 日記
中学校生活の一大イベント、修学旅行が終わった。

時系列で書いてから、考えたことや反省を書いていくべきか。
頭の中で様々ことばが渦を巻いているので、ちゃんと振り返りがしたい。
でも眠い。とにかく宿泊行事では教員が寝る時間がない。

そんな眠い頭だけど、記憶が新しいうちにまとめると、

① 校外学習では社会常識を教えることが重要
② 子どものことを考えた指導とは何か
③ 教員という仕事をしていく上の覚悟

という3点について、ものすごく考えさせられる旅だった。
いや、楽しいこともかこうと思うけど。実際楽しかったし。

~①についての考察~

1日目朝、新横浜駅に自分たちで集合して新幹線に乗る。
まずはこれが第一関門。新横浜駅まで自分たちで7:15までに来るという難関。
新幹線の発車時刻には余裕を持たせてあるから、遅れても大丈夫なのだけど、
約束,時間を守るということを身を持って学んでもらうという目的もある。
必ず誰かと約束をして、集団で来ること。
真面目な生徒たちは,腹痛で途中駅で降りた一団以外は時間内に来た。
班ごとに整列し、約束の時間をむかえた。
と、今は修学旅行シーズンなので、他の学校も近くで同じように集合している。
しかし歩道にはみ出して、ガムを噛み噛み。列もぐちゃぐちゃ。
朝、通勤の人もいるのに、邪魔になっている。それでも平気なのだ。
しかも先生がいるのに、誰もそれを注意しない。
うちの校長先生が見るに見かねて、その中学校の先生に抗議に行った。
それでやっと、その学校の先生たちは重い腰をあげるように整列指導を始めた。

軍隊みたいにする必要はない。
けど、集団で子どもが動くということはものすごく周囲にストレスを与えることだ。
それを「子どもだから、あたたかい目で見守ってやってください。」というのは、甘えだと思う。
周囲にストレスを与えないように、子ども自身が考えて動けるようにはしなければいけない。
うちの学校だって、まだまだダメだ。
今回、新幹線は貸し切り電車ではなく、一部のクラスが一般の乗客と一緒になる形だったのだけど、
テンションが上がりきった生徒たちは騒いでしまう。
うちのクラスはたまたま生徒だけしか乗っていない号車だったから、
騒いでも他の方に迷惑にならなかったけど、
一部のクラスの生徒は、車掌さんから、
「他のお客様から苦情がありました。もう少しお静かに。」と注意を受けた。

で、ここからが問題だった。
その時に一緒に乗っていた先生たち、車掌さんから注意されたにもかかわらず、
生徒にそのあと一切注意しなかったのだった。ここでも見るに見かねた校長先生が、
代わりに生徒に静かにすることの意味をとつとつと語っていた。
私は偶然、体調不良の生徒のことを報告に行ったその号車で、一部始終を見たのだった。

校長先生のしたこと、これぞ「先生の仕事」である、本来ならば・・・。

生徒たちにしてみれば、
「他の号車に乗った仲間たちは騒いでるのに、自分たちだけ騒げないのは不公平!」
と思っていて、そう思う事自体は理解できる。自分が子どもでも思うだろう。
だけど先生達まで、
「子どもが修学旅行なのだから、周囲の大人は子どもが騒ぐのも多少理解して欲しい。
車掌を通して注意するなんて、なんて心の狭い!」(←後に先生たちが言っていた)
と思って注意も何もしないっていうのはどうなんだろう。

それは違うのではないか。

校外に出て世の中を学ぶことも修学旅行の目的の一つなのだから、
子ども達には、自分たちのキーキー声が、
新幹線に乗っているような日々を忙しく働いている大人にとって、
大変不愉快なものであることぐらいは理解させるべきだと思う。

それに本当に生徒が可哀想だと思うなら、
思いっきりはしゃげるように貸し切り車両にすれば良かったのだ。

学校という「非常識の壁」の中で守られているんだなあとあらためて思う。
道路に広がって歩こうとすること、点字ブロックの上に座ること、
場をわきまえずに騒ぐこと。だらしのない服装。
注意ポイントがたくさんあった。

今年の3年は、男女がわりと仲が良いし、新幹線内でのお菓子を食べて良い時間のときも、
男女でお菓子を交換したり一緒にトランプで盛り上がったりしてて楽しそうだった。
そういういいところはそのままに、社会の中の自分という視点も持たせなきゃとか思った。


と真面目なことを書いてみた(- -)。

1日目は新横浜から広島まで3時間40分ほど新幹線に揺られて、
広島平和記念公園と資料館を見るのが目的。
資料館での、原爆に関する表現のあまりの悲惨さと迫力に、
過呼吸状態、泣き出す子・・・いろいろいた。
まさに百聞は一見にしかず。
3年間かけて平和学習をしてきた総決算。
普段は、成績に入らない平和学習には全く興味を示さなかった子も、
「先生、俺、見てるだけで被爆しそう。」という名言を残した。
それほど、感受性の鋭い子ども達にストレートに訴えかけるものだった。

帰りのバスで同乗した他クラスの先生が、
「僕はあまりここが良いとは思わない。
こんなに人の感情に直接訴えてくる方法は、なんだか卑怯な気がする。
長崎の資料館のように、理知的に核について語る方がいい。」とおっしゃっていた。
私としては、
少し見ただけでも、核や戦争の恐ろしさやむなしさが伝わって来る広島の資料館は、
中世の頃、無学な人々にキリスト教を広めるために作られたステンドグラス絵のように、
たくさんの人に関心を持ってもらうきっかけになるから、ものすごく良いと思った。
単なる考え方の違いだけだから、議論するのも嫌だし、自分の思ってることは言わなかった。

その後、また新幹線で広島から京都へ移動。京都宿泊のため。
まあ、夜、生徒がすぐに寝るわけじゃない。22:30消灯でも、
優に24:00過ぎまで生徒はこそこそしゃべっている。
巡回して、明日も活動があって大変だから、体力を持たせるために寝てよ、
と注意する。
そして2日目の京都班別自主行動で、寝てない子達はことごとく調子を崩すことになる。

【続】
















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