今日は、ちょっと手抜きっぽい(どう見ても手抜きだろ・笑)ですが、この言葉を載せてみました。
この言葉が掲載されていたのは、メンタルサイトと呼ばれる、精神的な病気の人がたくさん集まるHPの掲示板でした。たくさんの投稿やレスがあるのに、このメッセージには誰も答えていませんでした。
その事が私には奇妙に思えました。それは、病気の人は謙虚になっていて、この言葉でとても慰められるだろうと考えたからです。
でも、現実は違っていました。
必ずしも病気の人が謙虚になっている訳ではないのですね。
また、必ずしも本当に治りたいのではないのですね。
「成功を求め 強さを与えて欲しいと 神に求めたのに
私は弱さを与えられた 謙虚に従うことを学ぶために・・・
より大きな仕事ができるようにと 健康を求めたのに
私は病弱を与えられた 少しでもよいことができるようにと・・・
幸せになれるようにと 富を求めたのに
私は貧しさを与えられた 賢明でいられるようにと・・・
人々の賞賛を受けようとして 権力を求めたのに
私は弱さを与えられた 神を求めるようにと・・・
人生を楽しむことができるようにと 手に入るものは何でも欲しがったのに
私は命を与えられた あらゆることを歓べるようにと・・・
欲しいと思ったものは何も与えられなかったのに
私の希望はすべてかなえられた
こんな私にもかかわらず 祈りは言葉を超えてすべて聞かれた
私は誰よりも一番豊かな恵みを受けた」
※引用:「リハビリテーション医学の父 ハワード・ラスク自叙伝」石沢司訳
私はいろいろな嫌な出来事や病気によって、プライドの高い鼻持ちならなかった自分が、本当の自分に帰る事が出来ました。更には本当に信頼できる友達、家族が与えられて、今、病気を持ちながらも「しあわせ」を感じています。
私の心の叫びは聞かれ「ありがとう!」と言えるのです。