「触れる」と一言で言っても、その触れ方には様々なクオリティがある。
息子が飼い始めた猫・ピピとの交流の中で気付いたのは、猫は触れ方の名人だ、ということ。
眠っている時に、フワっと鼻先を近づけたり、こちらの手にすっと触れたり。
そのどれもが一瞬のことなのだけれど絶妙で、こちらの形状を崩さない触れ方だ。
一種のためらいが感じらつつも的確。
そういえば、「ためらいの倫理学」(内田樹)という本もあった。
「自分は間違っているかもしれない」というためらいを持つことこそが知性、という論旨だったか。
猫はなんと知的な触れ方が出来るのだろう!
この猫の触れ方で思い出したのは甲野善紀先生。
先生の技を受けると、もうブーンと振り飛ばされるくらいのエネルギーが伝わってくるのだけれど、その接触面は、まさにフワリとしていて、その瞬間に、触れた他者の身体も最早自分の身体の一部ではないのか?と思える程、違和感なく馴染む。
失礼かもしれないが、猫か先生か、というくらい触れ方が似ていると思った。
・・人間でこのような触れ方ができるのは、多分先生くらいではないかと思う・・
「触れ方」が大事、というのは昔から知っていた。
触れ方ひとつで身体全体が変わる、というのも。
しかしながら、やっているつもりでできていなかった。
まだまだフルートに「ここに来い」と強引な触れ方をしていた。
触れ方ひとつで変わるのは自身の身体はもちろんのこと、エネルギーの伝わる効率も、ということにようやく思い至った。
なんと今まで強引でガサツな触れ方をしていたのだろう!
まあ、フルートに対してなのですが、反省しきりとなる変化がありました。
それもこれも、明け方の夢で気付いた「事前にアンブシュアをつくらない」による変化です。
猫がフっと触れてくるように、甲野先生の様に・・
というのはとてもハードルが高いですが、それらがお手本。
ためらいがちにそっとフルートの歌口に触れる。
今まで出していた音はなんだったの?
というくらいの変化に。
息子が飼い始めた猫・ピピとの交流の中で気付いたのは、猫は触れ方の名人だ、ということ。
眠っている時に、フワっと鼻先を近づけたり、こちらの手にすっと触れたり。
そのどれもが一瞬のことなのだけれど絶妙で、こちらの形状を崩さない触れ方だ。
一種のためらいが感じらつつも的確。
そういえば、「ためらいの倫理学」(内田樹)という本もあった。
「自分は間違っているかもしれない」というためらいを持つことこそが知性、という論旨だったか。
猫はなんと知的な触れ方が出来るのだろう!
この猫の触れ方で思い出したのは甲野善紀先生。
先生の技を受けると、もうブーンと振り飛ばされるくらいのエネルギーが伝わってくるのだけれど、その接触面は、まさにフワリとしていて、その瞬間に、触れた他者の身体も最早自分の身体の一部ではないのか?と思える程、違和感なく馴染む。
失礼かもしれないが、猫か先生か、というくらい触れ方が似ていると思った。
・・人間でこのような触れ方ができるのは、多分先生くらいではないかと思う・・
「触れ方」が大事、というのは昔から知っていた。
触れ方ひとつで身体全体が変わる、というのも。
しかしながら、やっているつもりでできていなかった。
まだまだフルートに「ここに来い」と強引な触れ方をしていた。
触れ方ひとつで変わるのは自身の身体はもちろんのこと、エネルギーの伝わる効率も、ということにようやく思い至った。
なんと今まで強引でガサツな触れ方をしていたのだろう!
まあ、フルートに対してなのですが、反省しきりとなる変化がありました。
それもこれも、明け方の夢で気付いた「事前にアンブシュアをつくらない」による変化です。
猫がフっと触れてくるように、甲野先生の様に・・
というのはとてもハードルが高いですが、それらがお手本。
ためらいがちにそっとフルートの歌口に触れる。
今まで出していた音はなんだったの?
というくらいの変化に。
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写真は「人じゃらし」で遊ぶピピ。
お盆休みのひと時、また一緒に過ごせて楽しかった!
器用に前脚と口で操ります。
もちろんじゃれるのは私!