『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

「縁起」

2022-06-11 01:08:02 | 日常
時間が止まってしまったような、モノクロームの世界が続いていましたが、少しずつですが、徐々に色彩が戻ってきました。

今回、最も感じたのは、人との繋がり、ご縁の有難さです。

いつもの日常、仕事、フルート、そして沢山の方との交流にどれほど助けられたことか・・

慰めや励ましの言葉も多くいただき、感謝しております。

また、私の事情を知らない方達との交流、交際にも、「生きている」という実感が呼び起こされ、今までよりも、より味わい深く感じられるものとなりました。

そんな中、ある芸術家の方から「縁起」という言葉をお教えいただきました。

「縁起が良い、悪い」といった意味で気軽に日常で使っている言葉です。

でも、仏教の中での「縁起」とはそうではない、ということを遅ればせながら初めて知りました。

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仏教における縁起とは、私たちは因縁によって存在するのであって、それらの因縁を取り除いたら「私」と言われる確かな存在は塵垢ほどもないという意味である。それを「無我」というのである。
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自分の行っていることが、誰かの役に立っていたり、喜んでいただいたり、感動していただいたりすることで、初めて自分は存在出来ていることになる・・?

他者との関係性があるからこその自分?

と考えると、以前、陽紀先生が仰っていた

「自分がなくなることで、他と繋がり、自己と他の区別がなくなってくる」

という言葉も、ようやく腑に落ちる。

そして「自分さえ良ければ」という発想はこの真逆であることも理解できる。
「自分さえ良ければ」は縁起的に考えると、自分の存在を塵芥にしてしまうことに他ならないのだから。



ずっと「人間を磨け」と仰り続けてくださった植村泰一先生。

そして

「後は人としてどう生きるかですね。」

ご指導くださった甲野善紀先生。

「どうすりゃいいの?」とこれは実際一番の悩み多き課題でしたが、「縁起」という言葉と出会うことが出来ました。

さりとて、競争社会の中であまり何も考えずに育ってきてしまって60年余、培ってしまった幾分ドライな考え方が急に変化する、という訳にはいかないけれど、少なくとも、自身の行動、考え方をどう直していった方が良いか、という道筋が、ようやく見えてきた、というのは大きな救いです。

少しずつではありますが、「縁起」をいつも感じながら人間を磨けていければ、と思った次第です。