今日はちょっとした記念日となりました。
初めてバッハのチェロ組曲全6曲を通して吹いた日。
リピートなしではあったし、2曲毎に楽器の水分撤去掃除をし、自分は水分補給などしたけれど、それ以外休むこともなく。
・・こんなことが出来るようになる日が来るとはね・・・
バッハは身体の奥底にアプローチするには最も適した楽曲ではないか?と吹き始めたのだけれど、あまりにも以前と違う流れが面白く、それに身を任せているうちに、このような次第となったのでした。
とはいえ、終わった後は久々にベッドに倒れ込んだ。
(リビングのエアコンが故障中なので自分の部屋でさらっているのだけれど、狭い部屋も結構集中出来て良い。)
右の首の下部と右肩甲骨上部が特に疲労したので、このあたりの使い方がまだまだなのだろうね、という課題も浮かびそれも良かった。
チェリスト達が夢見る様に語っている「全曲を1番から6番まで通して初めて見える世界がある」というのを体感してみたかった。
とはいえ、6番は、まだ音域の設定を決めかねているところも多々あり、つっかえながらではあるけれど。
他の曲も、譜読みレベルなので、「初めて見える世界」には程遠いものではあったけれど、それでも、6番のプレリュードが、これほど、嬉しく祝祭感を持って感じられたことは収穫だった。
CDで通して聴いたことは何度もあるけれど、聴いているだけでは、ここまでの感動はなかった。
6番自体が、この組曲全体のジーグとも言えるのだなあ、という実感。
色々大変なこともあるけれど、まあ踊ろうよ!未来に向かって進んで行こうよ!
とバッハに励まされているような。
そして、4番のプレリュードに挿入されている異国趣味の旋律にも通じるようなモチーフが既に3番のジーグにもあって、一種の兆しになっているということに気が付いたり。
1番は青春真っ盛りの爽やかな20代。
2番は30代。哀しみはあるものの、それを乗り越えていける若いエネルギーがある。
3番も同様で、やはり瑞々しい魅力にあふれている。まあ40代くらい?
これが4番になるとガラっと変化し、より陰影と悲しみが増してくる。50代。
そして深い苦悩の5番は60代。
悟りと救いの6番は70代。
バッハの時代は、もっとこの年齢が夫々10歳くらい若かったかもしれないけれど。
人がその生涯に経験する様々な感情、想いがみな、この組曲に集約され、表現されているのを感じることが出来たのは、やはり、全曲通したからこそだと思う。
バッハのチェロ組曲は人の一生まるごとの表現だ。
こんなことはおそらく既に様々なチェリストがきっと語っているかもしれないけれど、でも自身の実感として得られたことが大きかった。
技は飛躍的に進展中で、だからこそ、20代の頃には考えられなかったこんなことも出来るようになったけれど、生き物的には、やはり衰退に向かう年齢で、そうそう、いつまでも「いつの日にか~」なんて悠長なことも言っていられない。
吹けなくなってしまう前に、全曲通しのソロリサイタルが開催出来ればと思います。
初めてバッハのチェロ組曲全6曲を通して吹いた日。
リピートなしではあったし、2曲毎に楽器の水分撤去掃除をし、自分は水分補給などしたけれど、それ以外休むこともなく。
・・こんなことが出来るようになる日が来るとはね・・・
バッハは身体の奥底にアプローチするには最も適した楽曲ではないか?と吹き始めたのだけれど、あまりにも以前と違う流れが面白く、それに身を任せているうちに、このような次第となったのでした。
とはいえ、終わった後は久々にベッドに倒れ込んだ。
(リビングのエアコンが故障中なので自分の部屋でさらっているのだけれど、狭い部屋も結構集中出来て良い。)
右の首の下部と右肩甲骨上部が特に疲労したので、このあたりの使い方がまだまだなのだろうね、という課題も浮かびそれも良かった。
チェリスト達が夢見る様に語っている「全曲を1番から6番まで通して初めて見える世界がある」というのを体感してみたかった。
とはいえ、6番は、まだ音域の設定を決めかねているところも多々あり、つっかえながらではあるけれど。
他の曲も、譜読みレベルなので、「初めて見える世界」には程遠いものではあったけれど、それでも、6番のプレリュードが、これほど、嬉しく祝祭感を持って感じられたことは収穫だった。
CDで通して聴いたことは何度もあるけれど、聴いているだけでは、ここまでの感動はなかった。
6番自体が、この組曲全体のジーグとも言えるのだなあ、という実感。
色々大変なこともあるけれど、まあ踊ろうよ!未来に向かって進んで行こうよ!
とバッハに励まされているような。
そして、4番のプレリュードに挿入されている異国趣味の旋律にも通じるようなモチーフが既に3番のジーグにもあって、一種の兆しになっているということに気が付いたり。
1番は青春真っ盛りの爽やかな20代。
2番は30代。哀しみはあるものの、それを乗り越えていける若いエネルギーがある。
3番も同様で、やはり瑞々しい魅力にあふれている。まあ40代くらい?
これが4番になるとガラっと変化し、より陰影と悲しみが増してくる。50代。
そして深い苦悩の5番は60代。
悟りと救いの6番は70代。
バッハの時代は、もっとこの年齢が夫々10歳くらい若かったかもしれないけれど。
人がその生涯に経験する様々な感情、想いがみな、この組曲に集約され、表現されているのを感じることが出来たのは、やはり、全曲通したからこそだと思う。
バッハのチェロ組曲は人の一生まるごとの表現だ。
こんなことはおそらく既に様々なチェリストがきっと語っているかもしれないけれど、でも自身の実感として得られたことが大きかった。
技は飛躍的に進展中で、だからこそ、20代の頃には考えられなかったこんなことも出来るようになったけれど、生き物的には、やはり衰退に向かう年齢で、そうそう、いつまでも「いつの日にか~」なんて悠長なことも言っていられない。
吹けなくなってしまう前に、全曲通しのソロリサイタルが開催出来ればと思います。