結局はみな抜刀術の型に集約されていたのだな、との思いは更に強まった。
20年前に刀を抜いた瞬間にかつてない程の深い息が入ってきて、刀が軽くなったというのが最初の感動。
その刀がフルートなら?とそれから様々な研究工夫を重ねてきたのだけれど、やはり、まだまだ刀とフルートは別物だからという根強い思い込みと、過去に培ったフルートの「吹き方」を手放せないまま20年経ってしまったということを思い知らされた。
ずっと、「身体をねじらない」「滞りを作らない」「肩を上げない」とやってきたけれど、肝心要の「浮きをかける」は結局現在に至るも、おろそかなままでの工夫。
手に伴った足腰の動きに関しても、結局は片足重心にしてもう片方を動かすというものにとどまっていたことに気付かされ猛反省。
今までは左重心で右を、そして昨日からは右重心で左を動かしていた。
そうではなく本当に観音開きにするためには浮きをかけて左右双方同時に動かさねばならない。
とはいえ、今の私のレベルではそれはまだまだハードルが高い。
でも、右だけでも左だけでも、「片手落ち」というか「片側落ち」だった・・
と気付いたことがせめてもの進歩・・
本日からは、左右、の順で時差をなるべく小さくして行っている。
そうすることでより観音開きとなり、おそらく骨盤の変化の影響で、肋骨、胸郭の開きが変化。
古武術的な膝を緩める立ち方はもう20年前からやってきていて、これにより腰周辺がより動くようになり、胴体の脇、背中、つまり横と後ろに広がるようになり、肺は奥底から開くのだけれど、それで良しとしまっていた。
私や私がご指導した生徒さん達の一番の演奏上の特徴は「ウルサイ息音がしない」ということで、よく驚かれるのだけれど、この構え方だからこそではないかと思う。
今回これに加えて左右の開きによる観音開きとなったことで、前方にも膨らむようになり、鎖骨のあたりまで使えて、肺の上部まで使えるようになり、息増量。
この感覚は初めてのもので、ちょっと戸惑っている。
イメージは小鳥の胸。そしてオペラ歌手の胸。
よく反り腰で胸を張るのが「良い姿勢」とされていることも多いけれど、それとは全く違う。これだと上部ばかりで奥底には入らないし喉がしまる。
一言では説明しずらく、矛盾だらけだけれど・・
この吹き方で思い出したのは生前の師匠のレッスンの一言。
数年前の、コンサートの本番中に気付かれたというもので、詳細は書けないけれど、しみじみと
「お腹の支えなんかじゃあなかったんだよ~~」と仰った。
誤解があってはいけないけれど、これは決してお腹をないがしろにしているものではなく、これも、やり込んだ方ならではの、あれこれ踏まえた上での一言。
でも、「腹に力を入れて」というものでは全くないことだけは確か。
その「お腹なんかじゃない」というとある部分をお教えいただいていたっけなあ、と思い出した。まさにそこが活動しているのが感じられたのでした。
「白川はすぐ忘れるからなあ」と横で先生が苦笑されているような気もした本日。
でも、昔御教え頂いた時には、多少の違いはあったものの、それほど効果はなく、なんとなくいつのまにか立ち消えてしまっていた教え。まだそのレベルではなかったということだ。
それがようやく、そうか、このことだったのか・・と。
また、フルートはどうしても身体の前面にくるので、両腕を前に出す発想だったけれど、そうではなく、これも抜刀と同じ感覚で。
左手は鞘に添えて足腰と共に後ろに引き、右は斜め前方に。
刀を抜きつける軌道そのままに。
刀、つまりフルートの重さを右腕で引き受けて。
20年前に刀を抜いた瞬間にかつてない程の深い息が入ってきて、刀が軽くなったというのが最初の感動。
その刀がフルートなら?とそれから様々な研究工夫を重ねてきたのだけれど、やはり、まだまだ刀とフルートは別物だからという根強い思い込みと、過去に培ったフルートの「吹き方」を手放せないまま20年経ってしまったということを思い知らされた。
ずっと、「身体をねじらない」「滞りを作らない」「肩を上げない」とやってきたけれど、肝心要の「浮きをかける」は結局現在に至るも、おろそかなままでの工夫。
手に伴った足腰の動きに関しても、結局は片足重心にしてもう片方を動かすというものにとどまっていたことに気付かされ猛反省。
今までは左重心で右を、そして昨日からは右重心で左を動かしていた。
そうではなく本当に観音開きにするためには浮きをかけて左右双方同時に動かさねばならない。
とはいえ、今の私のレベルではそれはまだまだハードルが高い。
でも、右だけでも左だけでも、「片手落ち」というか「片側落ち」だった・・
と気付いたことがせめてもの進歩・・
本日からは、左右、の順で時差をなるべく小さくして行っている。
そうすることでより観音開きとなり、おそらく骨盤の変化の影響で、肋骨、胸郭の開きが変化。
古武術的な膝を緩める立ち方はもう20年前からやってきていて、これにより腰周辺がより動くようになり、胴体の脇、背中、つまり横と後ろに広がるようになり、肺は奥底から開くのだけれど、それで良しとしまっていた。
私や私がご指導した生徒さん達の一番の演奏上の特徴は「ウルサイ息音がしない」ということで、よく驚かれるのだけれど、この構え方だからこそではないかと思う。
今回これに加えて左右の開きによる観音開きとなったことで、前方にも膨らむようになり、鎖骨のあたりまで使えて、肺の上部まで使えるようになり、息増量。
この感覚は初めてのもので、ちょっと戸惑っている。
イメージは小鳥の胸。そしてオペラ歌手の胸。
よく反り腰で胸を張るのが「良い姿勢」とされていることも多いけれど、それとは全く違う。これだと上部ばかりで奥底には入らないし喉がしまる。
一言では説明しずらく、矛盾だらけだけれど・・
この吹き方で思い出したのは生前の師匠のレッスンの一言。
数年前の、コンサートの本番中に気付かれたというもので、詳細は書けないけれど、しみじみと
「お腹の支えなんかじゃあなかったんだよ~~」と仰った。
誤解があってはいけないけれど、これは決してお腹をないがしろにしているものではなく、これも、やり込んだ方ならではの、あれこれ踏まえた上での一言。
でも、「腹に力を入れて」というものでは全くないことだけは確か。
その「お腹なんかじゃない」というとある部分をお教えいただいていたっけなあ、と思い出した。まさにそこが活動しているのが感じられたのでした。
「白川はすぐ忘れるからなあ」と横で先生が苦笑されているような気もした本日。
でも、昔御教え頂いた時には、多少の違いはあったものの、それほど効果はなく、なんとなくいつのまにか立ち消えてしまっていた教え。まだそのレベルではなかったということだ。
それがようやく、そうか、このことだったのか・・と。
また、フルートはどうしても身体の前面にくるので、両腕を前に出す発想だったけれど、そうではなく、これも抜刀と同じ感覚で。
左手は鞘に添えて足腰と共に後ろに引き、右は斜め前方に。
刀を抜きつける軌道そのままに。
刀、つまりフルートの重さを右腕で引き受けて。