『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

ー追悼・植村泰一先生ー 『ザ・フルート 10月号』

2022-08-10 00:04:48 | 音楽・フルート
『ザ・フルート10月号』特別企画として、植村先生の追悼記事が掲載されました。

中野真理さん、岩佐和弘さん、吉野裕子さん、という東京音大の植村門下の方々に混ざって、私にも追悼記事の依頼があり「よろしいのですか?」と恐縮していましたが、先生の最後の20年間を知る一人として書かせていただきました。

先生との写真もお貸しください、というので数枚送り、掲載していただきました。
他の方達の写真もあり、いつもの笑顔の先生が本当に懐かしく、また夫々の皆様のお話からも先生のお姿が立ち昇ってくるようで、何度も記事を読み返しました。

追悼記事の他にも、1995年に掲載された先生の記事が再掲載されており、この記事のことは知らなかったので、興味深く読ませていただきました。

「演奏を支えた一本のフルート」ということで、セルマー、パウエル、ロットと先生の楽器の変遷が書かれていました。

「私は吹きにくい楽器を探します。できるだけ鳴らない楽器、鳴らない楽器を、と求めてね。そしてそれを吹き込んでいくのです。」

という先生の言葉に改めて背筋が伸びる思いがしました。


私も受験前は、セルマーの銀、という珍しい楽器。
その後、音大に入ってからは、パウエルの銀、その後ムラマツの9金、14金、マイユショーのルブレ、銀五代目ロット、マイユショー初代ロット・・


とムラマツを除けば、ほぼ同じ!?

セルマーの笛を吹いていた、というのは、とてもレアだと思う。

セルマーはサックスが有名なフランスのメーカーですが、先生も同じだったことが嬉しい。繊細で如何にもフランス、という音色が好きだった・・

生前に、この話が出来なかったのが残念ですが、私もあちら側に行ったら、真っ先に先生にセルマーの笛の話をしたいと思います。

先生の笛の音が大好きになったのは、もしかしたら、高校生の頃のセルマーの笛の記憶に導かれたのかもしれません。

拙文、掲載させていただきます。
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2000年から2020年まで、毎月レッスンに通わせていただきました。
数々の貴重な教えを授かりましたが、その中で最も言葉を尽くし何度も仰ってくださったのは「もっと人間を磨け」でした。

どれほど、演奏技術が向上したとしても結局のところ音楽で最も重要なのは奏者の人間性であり、その人間以上の演奏は出来ないのだからと。
 
そして何よりも先生の奏でるフルートの音と音楽に教えられたと感じています。

温かく優しく、しかし同時に力強く深いエネルギーを内包した音色と響きに圧倒されました。どこまでも謙虚で、徹底的に作品を探求され、作曲者とその作品を尊重した凛とした音楽でした。

魂に語りかけて来る、あのような稀有な演奏は先生独自のものではなかったかと思います。
あの演奏をもう聴くことが出来なくなってしまったことが本当に無念でなりません。

最後にお会いしたのは昨年の6月でしたが、別れ際、握手をしてくださりながら
「これからは楽しくて人の役に立つことをやっていこう!」と仰ったのが、最後の宿題となりました。

そして、この日に聴いた先生の笛の音は、私の一生涯の目標であり、手本となりました。

先生、20年間ありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 





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