本番とその後に色々感じたことを。今後のための覚書。
今回は生まれて初めての妙な感覚の本番。
昨年3月のコンサートは舞台袖でドキドキしてきたのを陽紀先生に教えていただいた「間の息」で鎮め、さらには甲野先生に教えていただいた「自分を飛ばす」という稽古法をずっと控室で行っていた結果、舞台上で初めて「自分を飛ばす」が出来て、自分なりの成果の上がった本番となった。当事者感もなく自分が客席で聴いているような分離間もあった。
それが今回は、舞台袖でのドキドキは皆無。驚いたのは、下駄でステージを歩く時に、下駄と全く意識されず、普通にスタスタと歩いていたことに後で気付く。
それまでも音を立てずに下駄で歩いていたけれど、そこには「ほらね、私は下駄でもこんなに格好よくさりげなく歩ける人なんだよ~」という自意識と、そのように歩くための細心の注意を払っていたことに気付く。
今回は、それが全くなく、無意識に裸足のように、下駄と一体化して歩けていた。
これはもう、一重に西園美彌先生と、その魔女トレのお陰だ。
今や私の足の小指は薬指から離れ、肉球はプニプニになってきている。
とはいえ、一曲目の第一音目は不本意だった。
初めての会場でお客様が入った後の聴こえ方の違いに動揺して、ここはちょっと素に戻ってしまったのが今回の一番の反省。
全体を通して最も不思議だったのは、記憶が所々飛んでいること。
全ての楽曲、楽譜の隅々まで、何をやったかは覚えているのだけれど、それが現実の世界なのか、夢の中の出来事なのかがよくわからないような。
本番中、何度も「これは夢?現実だよね!?」と自分で確認していた、という・・
奥歯の神経を取る治療の最中のせいで、認知機能に影響があったのかしら?とも思う程で、本番以外ではそんなことはないので、この因果関係はないことは明白だけれど、こんなことは生まれて初めてだった。
「自分を飛ばす」と意識していないのに、勝手に断片的に色んな事が本当に飛んでいる。
あの日一日が、全て夢の中の出来事だったような気さえする。
「吹いた」という実感からは更に遠いところにいる。
おそらく、楽曲の表情に合わせて、かなり細かく右腕を消したり左腕を消したり、という操作をしていて、つまりはずっと「心」の操作なので、そのせいで、結果として「自分が飛んだ」になっているのかなとも思う。
あと「息を使う(口開けの儀式)」の効果はかなりあり、本番で、これほど息に不自由しなかったのは初めて。
全てが日頃の練習の通りのブレス箇所で間に合いカンニングブレスをせずに済んだ本番、というのはこれも生れて初めてで、私にとっては画期的なことだった。
頂いた感想は、
「ほろほろと優しく心地よい響き」
「うっとりと眠ってしまいそうだった」
というものが多かった。
更には
「遠音がさすという感じで小さな音もしっかりと届いていました」というのも。
広い多目的会場なので、響き具合を案じており、これは目標の一つでもあったので、クリアでき良かった。
また何度も私の演奏を聴いてくださっているクラッシック音楽愛好家の先輩からはかつてないくらいの賛辞をいただけた。
おそらく日頃は超一流のものしか聴いておられないのを、同窓会のご縁だから、と後輩を思いやって来てくださっているのだと思う。
それまでも、もちろん大人の対応で「よかったよ~」という感じではあったけれど、今回は「最高だった!」と本当に喜んでいただけたことが伝わってきて安堵。
しかしながら、昨年5月に逝ってしまわれた師・植村泰一先生が持っていらした力強さや、その一音の中にある深さ、感動のことを思い出すと、それには遠く及ばないのを、以前よりもヒシと感じている。
第一音目から魂に語りかけてきて、涙があふれ出てしまう笛の音。
あれは、まさに一音成仏の笛だったと思う。
あのお手本、演奏をもう聴けなくなってしまったことが、本当に残念だ。
そして、もし師が生きていらして、あの日の演奏を聴いてくださったとしたら、なんと仰ってくださるのだろう?どんなご助言をいただけるのだろう?と、これまた叶わないことを思ってしまったりもする。
私の笛は、ようやく「心地よい、眠りに入る」には成れたけれど、
「何故か涙が出て来る」には達していない。
まあ、出来ることからコツコツと、というしかないけれど、残された時間の少なさを思うと、もっと何とかしなくてはなあ、とも。
今回は生まれて初めての妙な感覚の本番。
昨年3月のコンサートは舞台袖でドキドキしてきたのを陽紀先生に教えていただいた「間の息」で鎮め、さらには甲野先生に教えていただいた「自分を飛ばす」という稽古法をずっと控室で行っていた結果、舞台上で初めて「自分を飛ばす」が出来て、自分なりの成果の上がった本番となった。当事者感もなく自分が客席で聴いているような分離間もあった。
それが今回は、舞台袖でのドキドキは皆無。驚いたのは、下駄でステージを歩く時に、下駄と全く意識されず、普通にスタスタと歩いていたことに後で気付く。
それまでも音を立てずに下駄で歩いていたけれど、そこには「ほらね、私は下駄でもこんなに格好よくさりげなく歩ける人なんだよ~」という自意識と、そのように歩くための細心の注意を払っていたことに気付く。
今回は、それが全くなく、無意識に裸足のように、下駄と一体化して歩けていた。
これはもう、一重に西園美彌先生と、その魔女トレのお陰だ。
今や私の足の小指は薬指から離れ、肉球はプニプニになってきている。
とはいえ、一曲目の第一音目は不本意だった。
初めての会場でお客様が入った後の聴こえ方の違いに動揺して、ここはちょっと素に戻ってしまったのが今回の一番の反省。
全体を通して最も不思議だったのは、記憶が所々飛んでいること。
全ての楽曲、楽譜の隅々まで、何をやったかは覚えているのだけれど、それが現実の世界なのか、夢の中の出来事なのかがよくわからないような。
本番中、何度も「これは夢?現実だよね!?」と自分で確認していた、という・・
奥歯の神経を取る治療の最中のせいで、認知機能に影響があったのかしら?とも思う程で、本番以外ではそんなことはないので、この因果関係はないことは明白だけれど、こんなことは生まれて初めてだった。
「自分を飛ばす」と意識していないのに、勝手に断片的に色んな事が本当に飛んでいる。
あの日一日が、全て夢の中の出来事だったような気さえする。
「吹いた」という実感からは更に遠いところにいる。
おそらく、楽曲の表情に合わせて、かなり細かく右腕を消したり左腕を消したり、という操作をしていて、つまりはずっと「心」の操作なので、そのせいで、結果として「自分が飛んだ」になっているのかなとも思う。
あと「息を使う(口開けの儀式)」の効果はかなりあり、本番で、これほど息に不自由しなかったのは初めて。
全てが日頃の練習の通りのブレス箇所で間に合いカンニングブレスをせずに済んだ本番、というのはこれも生れて初めてで、私にとっては画期的なことだった。
頂いた感想は、
「ほろほろと優しく心地よい響き」
「うっとりと眠ってしまいそうだった」
というものが多かった。
更には
「遠音がさすという感じで小さな音もしっかりと届いていました」というのも。
広い多目的会場なので、響き具合を案じており、これは目標の一つでもあったので、クリアでき良かった。
また何度も私の演奏を聴いてくださっているクラッシック音楽愛好家の先輩からはかつてないくらいの賛辞をいただけた。
おそらく日頃は超一流のものしか聴いておられないのを、同窓会のご縁だから、と後輩を思いやって来てくださっているのだと思う。
それまでも、もちろん大人の対応で「よかったよ~」という感じではあったけれど、今回は「最高だった!」と本当に喜んでいただけたことが伝わってきて安堵。
しかしながら、昨年5月に逝ってしまわれた師・植村泰一先生が持っていらした力強さや、その一音の中にある深さ、感動のことを思い出すと、それには遠く及ばないのを、以前よりもヒシと感じている。
第一音目から魂に語りかけてきて、涙があふれ出てしまう笛の音。
あれは、まさに一音成仏の笛だったと思う。
あのお手本、演奏をもう聴けなくなってしまったことが、本当に残念だ。
そして、もし師が生きていらして、あの日の演奏を聴いてくださったとしたら、なんと仰ってくださるのだろう?どんなご助言をいただけるのだろう?と、これまた叶わないことを思ってしまったりもする。
私の笛は、ようやく「心地よい、眠りに入る」には成れたけれど、
「何故か涙が出て来る」には達していない。
まあ、出来ることからコツコツと、というしかないけれど、残された時間の少なさを思うと、もっと何とかしなくてはなあ、とも。