大きな変化の基となったのは、やはり7月2日の口腔内の気付きだったけれど、それはほんの前兆というか、ここに至る過程に過ぎなかったことを感じています。
陰陽、強弱、白黒、善悪、表裏、といった対照的な事柄を現す熟語はどれも正反対ではあるけれど、みな同じ前提条件のもとに規定されたもの。
何故、このような発想になったのかは不明だけれど、「吹く、吸う」のも同じかも?とふと練習している時に思ったのでした。
口腔内の気付きの時に感じた、小腸との連動が思い出させてくれだのは
「個体発生は系統発生を繰り返す」という三木成夫の言葉。
そんなこともあり、久しぶりに『胎児の世界』を読み返してみたのもおそらく刺激になったのだと思います。
更には、甲野先生も出席された某所での講演会。
20年前に『身体から革命を起こす』が企画された時に、インタビューしてくださり原稿を書いてくださったライター・田中聡さんの「むし」に関するお話を、これまた、アエラに甲野先生の記事を書くためにと、私にインタビューしてくださったライターのユンさんが聞き手となって、というもの。
(結局私のインタビューはアエラには掲載されなかったのですが、ユンさんからは色々と若い頃の甲野先生のお話も聞けて楽しかった。)
この御二人の講演の内容に関してはまた別途・・
「むし」とは言っても昆虫ではなく、「疳の虫」とか「腹の虫」とか色々そんな話で、むちゃくちゃ面白かった!
ともあれ、その中で、カニの話に。
そもそも、昔「カラダ」というのは死体を現す言葉であって、現代通常使われている生きている「身体」にあたる言葉は「身(ミ)」と言っていたのだそう。
そして、それはカニで言えば、カラとミ。
外側は殻(カラ)で、内側は(ミ)。
カニだととても分かりやすい!
その時に、「フルートはカラではなくミで吹く楽器だ!」と思ったのでした。
それはもちろん、
「全ての楽器はカラではなくミで演奏されるものだ」ということではないかと。
もっと言うと、「全ての技芸は・・」となっても可?
カニは甲殻類だけれど、人も猫も哺乳類。
哺乳類という言葉はただのジャンル分けの言葉としか認識してこなかったけれど、正に読んで字の如く、「おっぱいを吸う生き物」。
私達の身体はそれに適合するように進化したもので、遺伝子の中に組み込まれた動きだからこそ、生まれてすぐの赤ちゃんは誰から教わる訳でもなく、沢山練習して会得したからでもなく、すぐにおっぱいを吸うことが出来る訳で。
ピピのフミフミを歩行に利用するようになったのも要因の一つかも。
あれも母猫の乳の出を促すための本能的な子猫の動作だから。
この身体(まあ、本当はミだけど、ややこしくなるので、とりあえず・・)に備わった機能を、そのまま使えば良いのでは?
とやってみたら、これがもう大当たり。
「唇というのは、不思議なもので、顔の周囲の皮膚と繋がっているのに、とたんに質感が変わりますね」と20年前、甲野先生が仰っていたことが思い出されました。
更に内側の粘膜の部分は、口腔内と言って良く、「ミ」。
唇もミが露出した部分ともいえるけれど、外気と接しているという意味では「カラ」と分類しても良いかと思う。
通常のアンブシュアの説明はみな、この「カラ」の部分で行われている。
口角ひっぱって、とか口輪筋を鍛えて、とか。
いや、そうじゃなくて、「ミ」でしょうに・・なんてことを考えている。
これによって変化するのは外側の「カラ」ではなく「ミ」の部分。
目に見えやすいカラの動きというのは、ミの動きに付随しているだけではないかしら?
・・カニだと固いカラだからそんなこともないのにね・・
特に頸椎1,2番周辺、そしてその周辺の耳から下の生え際に沿った部分。
全て、ミ、つまり内側から変化するし、これらは皆、腹と繋がっている。
これは先日の音楽家講座で甲野先生にも検証していただき、やはり嬉しい感想をいただきました。
加えて、御教えいただいた、労宮をへこませた効果を持続するためのやり方とも通じていた。
でもこれらの変化は、7月2日以降だからこそで、あの気付きがなかったら、一生わからなかったのでは、とも思います。
相乗効果として、更に肩が下がり、肘を折りたたむだけの構なので、より当て位置が下がりました。普通に吹いたら、去年の私であれば鳴らなかっただろうな、という場所に。
それがむしろより効率よくちゃんと鳴るというのは、ミからの操作でより口腔内、首周辺が使えるようになったからなのかなと思います。
何かを付け足すのではなく、その動きを阻害していたものをおびき出し取り去る、という古の武術の教えの様に、阻害していた「カラ」での操作を取り外していかねばならないなあ、とツラツラ考えているところです。
求める意識の変容は、その暁に起きるのか、はたまた起きないか・・・?
陰陽、強弱、白黒、善悪、表裏、といった対照的な事柄を現す熟語はどれも正反対ではあるけれど、みな同じ前提条件のもとに規定されたもの。
何故、このような発想になったのかは不明だけれど、「吹く、吸う」のも同じかも?とふと練習している時に思ったのでした。
口腔内の気付きの時に感じた、小腸との連動が思い出させてくれだのは
「個体発生は系統発生を繰り返す」という三木成夫の言葉。
そんなこともあり、久しぶりに『胎児の世界』を読み返してみたのもおそらく刺激になったのだと思います。
更には、甲野先生も出席された某所での講演会。
20年前に『身体から革命を起こす』が企画された時に、インタビューしてくださり原稿を書いてくださったライター・田中聡さんの「むし」に関するお話を、これまた、アエラに甲野先生の記事を書くためにと、私にインタビューしてくださったライターのユンさんが聞き手となって、というもの。
(結局私のインタビューはアエラには掲載されなかったのですが、ユンさんからは色々と若い頃の甲野先生のお話も聞けて楽しかった。)
この御二人の講演の内容に関してはまた別途・・
「むし」とは言っても昆虫ではなく、「疳の虫」とか「腹の虫」とか色々そんな話で、むちゃくちゃ面白かった!
ともあれ、その中で、カニの話に。
そもそも、昔「カラダ」というのは死体を現す言葉であって、現代通常使われている生きている「身体」にあたる言葉は「身(ミ)」と言っていたのだそう。
そして、それはカニで言えば、カラとミ。
外側は殻(カラ)で、内側は(ミ)。
カニだととても分かりやすい!
その時に、「フルートはカラではなくミで吹く楽器だ!」と思ったのでした。
それはもちろん、
「全ての楽器はカラではなくミで演奏されるものだ」ということではないかと。
もっと言うと、「全ての技芸は・・」となっても可?
カニは甲殻類だけれど、人も猫も哺乳類。
哺乳類という言葉はただのジャンル分けの言葉としか認識してこなかったけれど、正に読んで字の如く、「おっぱいを吸う生き物」。
私達の身体はそれに適合するように進化したもので、遺伝子の中に組み込まれた動きだからこそ、生まれてすぐの赤ちゃんは誰から教わる訳でもなく、沢山練習して会得したからでもなく、すぐにおっぱいを吸うことが出来る訳で。
ピピのフミフミを歩行に利用するようになったのも要因の一つかも。
あれも母猫の乳の出を促すための本能的な子猫の動作だから。
この身体(まあ、本当はミだけど、ややこしくなるので、とりあえず・・)に備わった機能を、そのまま使えば良いのでは?
とやってみたら、これがもう大当たり。
「唇というのは、不思議なもので、顔の周囲の皮膚と繋がっているのに、とたんに質感が変わりますね」と20年前、甲野先生が仰っていたことが思い出されました。
更に内側の粘膜の部分は、口腔内と言って良く、「ミ」。
唇もミが露出した部分ともいえるけれど、外気と接しているという意味では「カラ」と分類しても良いかと思う。
通常のアンブシュアの説明はみな、この「カラ」の部分で行われている。
口角ひっぱって、とか口輪筋を鍛えて、とか。
いや、そうじゃなくて、「ミ」でしょうに・・なんてことを考えている。
これによって変化するのは外側の「カラ」ではなく「ミ」の部分。
目に見えやすいカラの動きというのは、ミの動きに付随しているだけではないかしら?
・・カニだと固いカラだからそんなこともないのにね・・
特に頸椎1,2番周辺、そしてその周辺の耳から下の生え際に沿った部分。
全て、ミ、つまり内側から変化するし、これらは皆、腹と繋がっている。
これは先日の音楽家講座で甲野先生にも検証していただき、やはり嬉しい感想をいただきました。
加えて、御教えいただいた、労宮をへこませた効果を持続するためのやり方とも通じていた。
でもこれらの変化は、7月2日以降だからこそで、あの気付きがなかったら、一生わからなかったのでは、とも思います。
相乗効果として、更に肩が下がり、肘を折りたたむだけの構なので、より当て位置が下がりました。普通に吹いたら、去年の私であれば鳴らなかっただろうな、という場所に。
それがむしろより効率よくちゃんと鳴るというのは、ミからの操作でより口腔内、首周辺が使えるようになったからなのかなと思います。
何かを付け足すのではなく、その動きを阻害していたものをおびき出し取り去る、という古の武術の教えの様に、阻害していた「カラ」での操作を取り外していかねばならないなあ、とツラツラ考えているところです。
求める意識の変容は、その暁に起きるのか、はたまた起きないか・・・?