自分だけでさらっているよりも、レッスンしている時の方が気付くことが多いかもしれません。
生徒さんにアンブシュアの説明をしたところ、ポーンと素晴らしい音が出てお互いびっくり。
もちろん、それに至る前には、足首回しや、座骨歩きやら、色々な身体全体を変化させるためのもろもろがあるのだけれど・・
「とにかく自分だけでアンブシュアを作ろうとしないこと。そうすることで、口元に力みが生じてしまうので、結果、腹奥との繋がりが失われてしまい分断されてしまいます。それは指も同様で。」
口元をとにかくダラダラにしていただき、ただフルートの歌口に埋めるだけ。
もちろん、角度とか、これまた色々なことはあるのだけれど、え~~?というくらい実感のない口元にしてフルートに穴を形成してもらう。
と、結構前に気付いたこの「気付き」が、魔女トレのお陰でまたさらにぐっと効果を持ってクローズアップされたのでした。
そして、本日夜。
レッスン前、生徒さんを待つ時間の時にドンジョンのエレジーを吹いていて、閃いた。
圧をかければ、アンブシュアが形成されるということは、つまりは・・
ということで、大まかだけれど、低、中、高、と音域によって、その圧を変化させることで、びっくりするくらい、容易に音域移動が出来、なんというか、全ての音の中心が揃った響きに。
・・・というか、今まで、如何に表面的なつじつま合わせで吹いていたのか、ということに愕然。
早速レッスンで試したところ、生徒さんの音がこれまた驚くほど変化。
特に低音が素晴らしくなり、ちょっとプロっぽい音に。
口元、顎の柔軟性とコントロールする技法というのは管楽器吹きにとっては不可欠で必須の技術だけれど、それだけに、それによって力みも生れてしまうことを再認識。
もちろん、間に合わせるためには必要で、それによって音程や音量の微調整もやっている。
でも、根本原理としては「何もしない呆けた口元」をフルートの謡口に埋めて圧を変化させる、ということで良いのではないか・・と。
もっと言うと、どうやって圧を加えるか、というのも大きなポイントで、ここで重要になってくるのが「部分ではなく全体で」という甲野先生の術理。
腕だけで圧を加えると、今度はその力みが邪魔となり分断されてしまうから。
色々とようやく繋がってきたかな、と。
生徒さんにアンブシュアの説明をしたところ、ポーンと素晴らしい音が出てお互いびっくり。
もちろん、それに至る前には、足首回しや、座骨歩きやら、色々な身体全体を変化させるためのもろもろがあるのだけれど・・
「とにかく自分だけでアンブシュアを作ろうとしないこと。そうすることで、口元に力みが生じてしまうので、結果、腹奥との繋がりが失われてしまい分断されてしまいます。それは指も同様で。」
口元をとにかくダラダラにしていただき、ただフルートの歌口に埋めるだけ。
もちろん、角度とか、これまた色々なことはあるのだけれど、え~~?というくらい実感のない口元にしてフルートに穴を形成してもらう。
と、結構前に気付いたこの「気付き」が、魔女トレのお陰でまたさらにぐっと効果を持ってクローズアップされたのでした。
そして、本日夜。
レッスン前、生徒さんを待つ時間の時にドンジョンのエレジーを吹いていて、閃いた。
圧をかければ、アンブシュアが形成されるということは、つまりは・・
ということで、大まかだけれど、低、中、高、と音域によって、その圧を変化させることで、びっくりするくらい、容易に音域移動が出来、なんというか、全ての音の中心が揃った響きに。
・・・というか、今まで、如何に表面的なつじつま合わせで吹いていたのか、ということに愕然。
早速レッスンで試したところ、生徒さんの音がこれまた驚くほど変化。
特に低音が素晴らしくなり、ちょっとプロっぽい音に。
口元、顎の柔軟性とコントロールする技法というのは管楽器吹きにとっては不可欠で必須の技術だけれど、それだけに、それによって力みも生れてしまうことを再認識。
もちろん、間に合わせるためには必要で、それによって音程や音量の微調整もやっている。
でも、根本原理としては「何もしない呆けた口元」をフルートの謡口に埋めて圧を変化させる、ということで良いのではないか・・と。
もっと言うと、どうやって圧を加えるか、というのも大きなポイントで、ここで重要になってくるのが「部分ではなく全体で」という甲野先生の術理。
腕だけで圧を加えると、今度はその力みが邪魔となり分断されてしまうから。
色々とようやく繋がってきたかな、と。
ピピは時々、すまして、置物みたいになっていることがある。
掃除機をかけていたら、薬箪笥の狭い場所に陣取って、高みの見物状態。
飾ってある燭台を動かすこともなくスっと、まるで最初からそこにある置物の様に収まっていました。
掃除機をかけていたら、薬箪笥の狭い場所に陣取って、高みの見物状態。
飾ってある燭台を動かすこともなくスっと、まるで最初からそこにある置物の様に収まっていました。
昨晩、お風呂上りにたまたま、俵屋宗達の『風神雷神図』のTV番組を観ました。
もう遅い時間なので、寝ようかな・・とも思ったのですが、中々面白い趣向の番組で、ついつい見入ってしまいました。
とても有名な作品だけれど、改めてちゃんと見たことはない。
TV画面に大写しになった風神の足に目が行く。
・・・母指球、小指球、踵の3点が使われている足・・・
そして次に目が行ったのが手。
甲野先生のしなやかな杖を持つ時の手と似ている・・?
もう遅い時間なので、寝ようかな・・とも思ったのですが、中々面白い趣向の番組で、ついつい見入ってしまいました。
とても有名な作品だけれど、改めてちゃんと見たことはない。
TV画面に大写しになった風神の足に目が行く。
・・・母指球、小指球、踵の3点が使われている足・・・
そして次に目が行ったのが手。
甲野先生のしなやかな杖を持つ時の手と似ている・・?
そして、フルートが何故私に持たれると居心地悪そうで、甲野先生や陽紀先生だと寛いで見えるかの大きな理由がわかりました。
思えば、この気付きに至るヒントは過去にも沢山あった。
2014年、オルガンを弾くバッハの肖像画の手指を見た時、2019年、エジプトで沢山の壁画を見た時。
でも、そのころ、私の足指はまだまだくっついたままで、全身の繋がりも今程ではなかった。
美彌先生の魔女トレで変化しつつある足と全身だからこそ、この手指の感覚にも、ようやっと気付くことができたのだと思います。
これは、楽器を置くだけの3点支持ならぬ「3点置き」という構え方、それに伴う左手人差し指付け根が楽器に当たる場所が変化したことにも関連がある。
だからこそ、今の手指になれる。
何が違うか?
親指ですよ。親指。
まだまだ他にも多々原因はあるだろうけれど、一番大きい違いは親指の位置。
思うに、本当に欲深いのだと思う。
その性質がもたらす親指の位置は、その欲深さゆえに、付け根に捻じれを生じさせ、滞りを生む。
つまり掴んでしまっていた。
いつも、何かを掴もう、掴もうとして、結果、大事なものを逃がしていたとはね。
こうして気付きがあるたびに、毎回大いに反省もさせられている訳で。
とはいえ、大きな進展がまたしても、というのはそりゃあ嬉しい。
よりなめらかになった指。
そして深まる響き。
何より、「闘争心」が消えている。
ただただ楽しい。
そういえば、風神も雷神も楽しそうではないですか。
そして、雷神の右手にも注目。
・・かつて金剛蔵王権現像で、大騒ぎしていたことを思い出す。
あの時は拮抗する左右上下のテンションによる身体の整え方、というレベルでの気付きだったけれど、・・
蔵王権現さまが持っているのは邪を祓うための仏具の独鈷だけれど、雷神さまが持っているのは何だろう?やはり仏具?それともバチ?
でもバチだとすると小さな連鼓をこれでどうやって打っていたのだろう?
いずれにしても、ここまでねじるというのが凄くない?・・
ここまでねじってはいないけれど、最新のメルマガで観た甲野先生の「斬込入身」のことが思い浮かぶ・・
・・・・・・・・・・・
あと、足の小指同様に、手の指、特に小指のアライメントを意識し整えることで、かなり色々と変化するのを本日のレッスンで発見。
生徒さんの高音、急に素敵に出る様になりました。
一昨日は、数カ月ぶりの庭仕事でした。
しゃがんで雑草を抜いたり、刈った草を集め袋に詰めたり、と日頃やらない動きばかりです。
時間にすれば90分くらいなのですが、いつもバテバテに。
以前から腕先から動かすようにしたり、肘裏と大転子を意識してしゃがむということは、ピピのトイレ掃除の時にも使っていて、とても助かっていますが、もちろん庭仕事でも。
なので、年齢に反比例して、庭仕事はむしろ毎回ラクになっています。
それが今回は、より身体への負担がなくなったことに驚きました。
しゃがんで、長時間作業するのが、全く苦痛じゃなくなっていた。
実感なく草が抜ける・・
あまりの面白さんに、いつもより頑張ってしまいすぎ、それで疲れた、というのはあるけれど、回復も早かった。
2月に初めて西園美彌先生の動画を観ながら見様見真似で行っていた足首回しだけで、歩行、特に階段がラクになり、荷物が軽くなり、フルートの音がパーんと出る様になり、驚きました。
それから、自己流でずっと足首回しをやってきた甲斐もあり、当初くっついて離れなかった足の小指と薬指は、ようやく隙間ができました。
8月1日に4時間の基礎的なセッションを受け、「最新バージョン」をお教えいただき、さらに進化。
そして8月22日の個人セッションでは、手の小指に関しての動きと耳。
これらを毎日、やり続けています。
朝食の後、リビングで。
「何やってるにゃ?」と
ピピはいつも不思議そうな顔で見守ってくれている。
・・猫はこんなことしなくてもちゃんと繋がった身体なのだろうね・・
律儀にやる、というのは私にしては、とても珍しいことですが、とにかく効果があり、身体が心地よいので、やってしまう、という感じ。
何より、その後出すフルートの音が全く違うので。
最早、欠かせない基礎練習といって良い。
今回、「草むしり」という作業で改めて、本来の身体の機能と繋がりを取り戻すことの大切さを再認識しました。
・・・・
昨年大豊作だったライムも、紫陽花同様、今年は一個も実らないままでしたが、玄関先にいつの間にか生えた茗荷は5個と例年より少なかったものの、今年も収穫できました。
しゃがんで雑草を抜いたり、刈った草を集め袋に詰めたり、と日頃やらない動きばかりです。
時間にすれば90分くらいなのですが、いつもバテバテに。
以前から腕先から動かすようにしたり、肘裏と大転子を意識してしゃがむということは、ピピのトイレ掃除の時にも使っていて、とても助かっていますが、もちろん庭仕事でも。
なので、年齢に反比例して、庭仕事はむしろ毎回ラクになっています。
それが今回は、より身体への負担がなくなったことに驚きました。
しゃがんで、長時間作業するのが、全く苦痛じゃなくなっていた。
実感なく草が抜ける・・
あまりの面白さんに、いつもより頑張ってしまいすぎ、それで疲れた、というのはあるけれど、回復も早かった。
2月に初めて西園美彌先生の動画を観ながら見様見真似で行っていた足首回しだけで、歩行、特に階段がラクになり、荷物が軽くなり、フルートの音がパーんと出る様になり、驚きました。
それから、自己流でずっと足首回しをやってきた甲斐もあり、当初くっついて離れなかった足の小指と薬指は、ようやく隙間ができました。
8月1日に4時間の基礎的なセッションを受け、「最新バージョン」をお教えいただき、さらに進化。
そして8月22日の個人セッションでは、手の小指に関しての動きと耳。
これらを毎日、やり続けています。
朝食の後、リビングで。
「何やってるにゃ?」と
ピピはいつも不思議そうな顔で見守ってくれている。
・・猫はこんなことしなくてもちゃんと繋がった身体なのだろうね・・
律儀にやる、というのは私にしては、とても珍しいことですが、とにかく効果があり、身体が心地よいので、やってしまう、という感じ。
何より、その後出すフルートの音が全く違うので。
最早、欠かせない基礎練習といって良い。
今回、「草むしり」という作業で改めて、本来の身体の機能と繋がりを取り戻すことの大切さを再認識しました。
・・・・
昨年大豊作だったライムも、紫陽花同様、今年は一個も実らないままでしたが、玄関先にいつの間にか生えた茗荷は5個と例年より少なかったものの、今年も収穫できました。