『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

冬の着物

2023-03-19 10:16:07 | 着物
最近は益々、何時何を着たかも忘れていて、写真を見ながら思い出しているのですが、今年のお正月から2月までの着物の記録。
なるべく今まで合わせたことのない組み合わせで、というのを心がけましたが、やはりそれはベストではなかったり、ちょっと「昭和」になってしまったりとあるけれど、でもやはり帯や帯締め一本でガラっと表情が変化するのは着物の楽しみの一つです。


・黄色の色大島と緑の織りの名古屋帯でお正月の中華街。(1月1日・日)
年末年始の緩み切っている心身では、余計太ってみえて、夫からも大不評。
急いで着たので、襦袢のえり抜きが上手くいかなかったのも敗因要因。
心のゆるみがそのまま着付けにでたな、という感じ。
でも、好きな着物です。
帯も小豆色の塩瀬にすれば、もっと締まった感じになったかな?と。





一つの着物を帯の変化で楽しんでみようという趣旨で。
一番好きな着物の着回し。

・藍の結城紬に、南部絞り茜染めの帯で、音楽家講座。(1月23日・月)
王道定番ではあるけれど、ちょっと古臭い感じとなってしまいました。
赤い帯って便利だけど難しい。




・同じ着物に塩瀬の小豆色とピンクの染め帯で岩城先生の講演会。(2月5日・日)
初めての組み合わせでしたが、意外に合った。
紫には青が含まれているので馴染むってことかな。
若草色の帯揚げが見えなくなってしまって残念とも思ったけれど、むしろ良かったかも。今度着る時は、濃い緑か、グレーの帯揚げで馴染ませてみようと思います。




・同じ着物に龍村・天平段文の名古屋帯で、餡餅雑煮の会。(2月11日・土)


この日の着付けは一番上手く行きました。
帯揚げが出すぎではあるけれど・・
やはり時間にゆとりをもって丁寧にやらないと。
えり抜き大事!
ほっこりした感じの結城にツルっとした感じの織りの帯はどうか?と思いましたが、むしろ結城をスキっと洗練させてくれる役割が。
紺と茶というのもイタリアっぽい配色で今風に。
この帯は色無地や小紋にばかり合わせていて、この組み合わせも初めてですが、今後の定番になりそうです。



・ピンクの無地結城紬に生紬の織りの更紗柄名古屋帯で音楽家講座。(2月20日・月)
これも初めての組み合わせですが、中々春らしい感じに。
母は縮緬の単衣の小紋に合わせていた帯ですが、袷にも使っちゃえ。


20年前、銀座のエスニック屋さんで3000円くらいで見つけて、ずっと着物用にしているモモンガコート。




開花宣言の日のお花見

2023-03-14 17:58:15 | 旅行
開花宣言のあった本日、南足柄の弟夫妻を訪ねました。

生憎の曇り空で富士山は全く見えませんでしたが、弟宅で過しているうちに良いお天気に。

住宅街の小さな桜(河津桜?)も咲いていた。




そして、この日のランチは夫からのサプライズ。
「いいところみつけたんだよ~」

と、直前まで、どこに行くのかは教えてくれなかったのですが、小さな池のほとりの、マス釣り場に隣接したイタリアン。

「え?鱒を釣ってからじゃなきゃ、食べられないのは嫌だよう・・」

と心配でしたが、自分で釣らなくても大丈夫ということでほっとする。

鱒はミュンヘンでも湖の側のレストランでムニエルにしたものにアーモンドスライスとバターのソースをかけたものがあって、時々食べていたので、ちょっと楽しみ。

外観もなかなかお洒落でしたが、なんと残念なことに定休日でした。

また来月チャレンジすることに。

お店には振られてしまいましたが、ここは酒匂川に隣接した公園で、なんと桜が満開に。









平日で人出も少なく、ゆっくりと、偶然のお花見を満喫しました。

気分はすっかりイタリアンだったので、その後、夫が近場のイタリアンを検索したところ、「青洞窟」というお店がヒット。

目の前は田圃で、周囲は普通の住宅で、洗濯物がひらめいたりしているのだけれど、とても凝った内装で、ちょっとバブル期に戻った感じ。

廊下などは完全に「青の洞窟」でお魚の泳ぐ水槽も。



経験上、こういうテーマパーク的な内装のお店で美味しかったことはなく、値段ばっかり高くて、という感じで当初は、はずしちゃったか・・・?と警戒したのですが、その予想を遥かに裏切る、とても美味しいお料理ばかりでした。




この地域は、様々な企業の研究施設もあり、また最近のリモートワークの普及によって、若い世代の移住?も増えているそうなので、こうしたお店も流行っているのかもしれません。

田圃の中で、無理やり「青の洞窟」と言い張ってやっているのが面白い。
食事の間も、ずっと波の音のBGMが流れていて、寛げました。

そういえば、コロナで行けなくなってしまいましたが、2020年春には、カプリ島の「青の洞窟」に行くはずだったねえ、と二人で思い出す。

・・そろそろ海外旅行も可能になってきたとはいえ、グンと値段も高くなってしまっているし、この3年で、もうあの時予定していた旅行資金は使い切ってしまったし、夫もリタイアしてしまったし、年金暮らしの身としては、もう無理かも・・・

でも、こうして一緒に桜を見て、美味しい物を食べることが出来るだけでとても幸せだ。
この年齢になると「健康」で居られることだけで感謝できる。

夫は
「フルート二本もいらないじゃない。一本売って、たまには連れていってよ~」
と言うけれど、両方使ってるし、そういうもんじゃないので。










今後の糧のために

2023-03-11 11:53:37 | 音楽・フルート
本番とその後に色々感じたことを。今後のための覚書。

今回は生まれて初めての妙な感覚の本番。
昨年3月のコンサートは舞台袖でドキドキしてきたのを陽紀先生に教えていただいた「間の息」で鎮め、さらには甲野先生に教えていただいた「自分を飛ばす」という稽古法をずっと控室で行っていた結果、舞台上で初めて「自分を飛ばす」が出来て、自分なりの成果の上がった本番となった。当事者感もなく自分が客席で聴いているような分離間もあった。

それが今回は、舞台袖でのドキドキは皆無。驚いたのは、下駄でステージを歩く時に、下駄と全く意識されず、普通にスタスタと歩いていたことに後で気付く。

それまでも音を立てずに下駄で歩いていたけれど、そこには「ほらね、私は下駄でもこんなに格好よくさりげなく歩ける人なんだよ~」という自意識と、そのように歩くための細心の注意を払っていたことに気付く。
今回は、それが全くなく、無意識に裸足のように、下駄と一体化して歩けていた。

これはもう、一重に西園美彌先生と、その魔女トレのお陰だ。
今や私の足の小指は薬指から離れ、肉球はプニプニになってきている。

とはいえ、一曲目の第一音目は不本意だった。
初めての会場でお客様が入った後の聴こえ方の違いに動揺して、ここはちょっと素に戻ってしまったのが今回の一番の反省。

全体を通して最も不思議だったのは、記憶が所々飛んでいること。
全ての楽曲、楽譜の隅々まで、何をやったかは覚えているのだけれど、それが現実の世界なのか、夢の中の出来事なのかがよくわからないような。
本番中、何度も「これは夢?現実だよね!?」と自分で確認していた、という・・

奥歯の神経を取る治療の最中のせいで、認知機能に影響があったのかしら?とも思う程で、本番以外ではそんなことはないので、この因果関係はないことは明白だけれど、こんなことは生まれて初めてだった。

「自分を飛ばす」と意識していないのに、勝手に断片的に色んな事が本当に飛んでいる。
あの日一日が、全て夢の中の出来事だったような気さえする。
「吹いた」という実感からは更に遠いところにいる。

おそらく、楽曲の表情に合わせて、かなり細かく右腕を消したり左腕を消したり、という操作をしていて、つまりはずっと「心」の操作なので、そのせいで、結果として「自分が飛んだ」になっているのかなとも思う。

あと「息を使う(口開けの儀式)」の効果はかなりあり、本番で、これほど息に不自由しなかったのは初めて。
全てが日頃の練習の通りのブレス箇所で間に合いカンニングブレスをせずに済んだ本番、というのはこれも生れて初めてで、私にとっては画期的なことだった。


頂いた感想は、

「ほろほろと優しく心地よい響き」
「うっとりと眠ってしまいそうだった」

というものが多かった。
更には

「遠音がさすという感じで小さな音もしっかりと届いていました」というのも。

広い多目的会場なので、響き具合を案じており、これは目標の一つでもあったので、クリアでき良かった。

また何度も私の演奏を聴いてくださっているクラッシック音楽愛好家の先輩からはかつてないくらいの賛辞をいただけた。
おそらく日頃は超一流のものしか聴いておられないのを、同窓会のご縁だから、と後輩を思いやって来てくださっているのだと思う。

それまでも、もちろん大人の対応で「よかったよ~」という感じではあったけれど、今回は「最高だった!」と本当に喜んでいただけたことが伝わってきて安堵。

しかしながら、昨年5月に逝ってしまわれた師・植村泰一先生が持っていらした力強さや、その一音の中にある深さ、感動のことを思い出すと、それには遠く及ばないのを、以前よりもヒシと感じている。

第一音目から魂に語りかけてきて、涙があふれ出てしまう笛の音。
あれは、まさに一音成仏の笛だったと思う。

あのお手本、演奏をもう聴けなくなってしまったことが、本当に残念だ。
そして、もし師が生きていらして、あの日の演奏を聴いてくださったとしたら、なんと仰ってくださるのだろう?どんなご助言をいただけるのだろう?と、これまた叶わないことを思ってしまったりもする。

私の笛は、ようやく「心地よい、眠りに入る」には成れたけれど、
「何故か涙が出て来る」には達していない。

まあ、出来ることからコツコツと、というしかないけれど、残された時間の少なさを思うと、もっと何とかしなくてはなあ、とも。