『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

指と手首

2023-05-20 12:01:56 | 気付き
今年の9月からは晴れての「前期高齢者」となる。

これだけ健康で好きな事を続けて生きてこられたことに感謝しなくてはなりません。

中学生になってから始めたフルート歴も、最早、半世紀を優に超え、53年目。

それなりに努力し考えながら、そして何より楽しみながら付き合ってきたフルート。

一回だけの方や講習会等も含めると、御教えした生徒さんも多分数百人になるだろう。

今回の気付きと変化は、こうしたことを思わず振り返ってしまうものでした。

それも苦い悔恨と、懺悔の気持ちで。

通常のメソードを信じることなく、様々な「メウロコ」奏法で、邁進してきたけれど、まだまだ「フルートの常識」に縛られてきたことを痛感。

それは、今回改めて「江平の笛」に取り組んだからこその気付き。

昔は、まだまだ固めて吹いていたので、フルートの吹き方そのままで、江平の笛もなんとかなっていた。

それが、今のフルート奏法では全くダメダメで、それをなんとかしようと、色々と参考にしたのが篠笛。

この日本の竹笛の構え方、指の置き方によって、両手首にまだまだあった滞りとこわばりがあぶりだされ、以前よりは解消され、とフルートに劇的な変化があった。

その構え方は、初めてフルートを持った生徒さん達に共通するものでもある。

人間、余計な知識と情報がなければ、案外、身体本来の理に叶ったことをやってのけているのだなあ、ということも今回しみじみと感じた。

それなのに、「あるべき論」に毒されて、そのように信じ込んでいた私は、みな、それを
「指先がキィから前に突き出ているのは良くないですね。」

とサクサク、全員に「指はキーの真上に!」と修正していたのだから。

キーから指先をはみ出してもいいんだよ、と教えているフルーティストは多分いないのではないかと思う。

私の知る限り、そうやって吹いているフルーティストもいない。
知らないだけかもしれないけれど・・・

通常言われている「指の腹」ではなく「指先」というのが私の気付きで、実際、それははるかに滞りが減り背中と繋がるやり方だと思うけれど。
でも、その指先でのやり方よりも、竹笛で行う様に指夫々の個性に任せた置き方の方が、数倍良い。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984915484&owner_id=4088413

ということで、新たな変化は嬉しいというよりも、とにかく申し訳ない気持ちばかりが先立つもので、どんよりしていたのでした。

きっとこんなことはまだまだ序の口で、これから先もあるのだろうね・・

ということで、現在ご縁のある生徒さんには、お詫びしつつお伝えしたのですが、みな、
「あ~~!?こんなにラクなんですね!」と、とても喜んでくださった。
でも嬉しいよりも、申し訳ない思いで一杯だ。

江平の笛を吹かなかったら、多分一生気付かなかったと思う。

「またあの竹笛が聴きたい」と仰ってくださった岩城正夫先生、関根秀樹先生に感謝です。


(告知)第129回音楽家講座in鶴見~甲野善紀先生を迎えて~ 5月23日(火)

2023-05-16 12:47:19 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
いよいよ来週23日は、鶴見にて、甲野善紀先生を迎えての音楽家講座です。

http://www.shouseikan.com/yotei.htm#music

今回も数々のお申し込みをいただきありがとうございます。

先程、NHK Eテレ・『趣味どきっ!』で講師を務められた林久仁則さんからお電話いただき、ご参加希望のお申し込みがありました。

本来ゲスト参加していただいても良い方なのですが、強く「きちんと一般参加者として申し込ませてください」とのことで、こうしたお心遣いをしてくださるのも人間力と感じ入りました。

https://www.youtube.com/watch?v=sOhvzfHCTyc

まだ林さんが筑波大学の学生だった頃、ご友人と一緒に音楽家講座の秘密合宿第一回目に参加されたのをよく覚えています。

休憩時間などもダラっとせずにランニングしていたお二人だったので・・

林さんからは、参加されることを告知しても良いと御許可いただいての告知です。

先生の受けなどもきっと取ってくださると思います。
あ~~なんて贅沢!!

キャパの広い会場ですので、まだまだご参加可能です。

皆さま、どうぞお越しくださいませ。

お申し込みは私まで。karadatoongaku@gmail.com


親戚訪問

2023-05-16 00:20:33 | 日常
肌寒い一日でしたが、良い一日となりました。

私が結婚出来たのは奇跡に近いのではないかと常々思っているのですが、そんな奇跡のご縁を紡いでくださった恩人のお一人が、夫の父方の従姉にあたるM子さん。
そのご自宅を訪問しました。夫の父の姉がM子さんのお母さんという親戚。

音大時代のピアノ伴奏を引き受けてくださったA子先輩のお母様と、このM子さんが奈良女子大の同窓生で、同窓会の中で、「そういえば、こんな方が・・」と私達を紹介してくださったのがきっかけでした。

お仲人も、M子さんご夫妻が引き受けてくださいました。
もう30年以上も前のことですが、都内のご自宅にご挨拶に伺った時のことをよく覚えています。

M子さんのお父さんも、ご主人も、そして御長男も数学者という学者一家ですが、本当にいつもニコニコと明るくユーモアあふれるご一家。

庭には大きな梅の木があり、書棚に囲まれた落ち着いた応接間。
お子さんが3人いて、長男の方はお留守だったのですが、次男の方は当時大学生で落語研究会だとのことで、一席披露してくださいました。

末っ子のK子ちゃんはピアノで素晴らしいショパンを聴かせてくださった。
K子ちゃんも研究者となられ、以前そのメダカの研究は宇宙での治験にも選ばれた。

M子さんは子供たちに、一度も「勉強しなさい」と言ったことがないそう。みな興味の赴くままにのびのび育って、3人ともスルっと東大という、もう羨望すら通り越してしまう一家です。

今回は夫の姉と待ち合わせて、3人での訪問。

最後は法政大の教授を務められたご主人のYさんが、コロナ禍の昨年、逝去されたのだけれど、お参りに行けなかったので、今回、ようやく。もう亡くなってしまいましたが夫の義兄、つまり姉のご主人HさんはこのYさんの弟子で、やはりM子さんの紹介だった。

姉弟共に、お世話になっている。

M子さんは夫の姉とは年齢が近く女同士ということもあり、仲良しでよく会っているそうですが、夫と私は本当に数年ぶりの再会となりました。

「もう平均寿命の87歳になっちゃったのよ~」と仰るけれど、その声はしっかりとはきはきとして若々しい。
楽しそうにコロコロと良く笑われるので、こちらもつられて笑顔になる。

楽しくお話してあっという間に3時間が経ちました。

特に印象深かったのは戦時中のお話。

「もう、実際にあの戦争を体験して覚えているのは、私の世代だけになってしまったはね。」

と話してくださった。

M子さんは子供の頃、奉天に居て、ロシア軍が侵攻してきた時、高級将校が「部屋を貸してくれ」と言ってきたそう。

周囲では、ロシア兵による略奪、暴力等の非人道的な悲惨な出来事が沢山起きていて怖かったけれど、幸いなことに、この将校は礼儀正しい紳士で、一家に対しても、親切で礼を尽くして接してくれたそう。

M子さんは肩車をしてもらったことも覚えていたそう。

さらにその将校はロシア語で一筆書いて、「もし質の悪いロシア兵がやってきて悪さをしようとしたときは、この書付を見せなさい。そうすれば大丈夫だから。」
と、サインをして渡してくれたのだそうです。

あの混乱の最中、こんな話もあったということが救いです。

幸い、一家はその書付を使うことなく、それでも苦労して日本に引き上げることが出来、
高知の夫の父を頼って、しばらく共に暮らしていたのだそうです。

その後M子さんのお父さんは徳島大学の教授となって徳島に転居しましたが、その時から70年、今に至るまでずっと

「お父さんには本当に世話になったわよねえ」と夫や姉にいつも言い続けてくださっている。

「次男が、学生の頃からロシア語を学びだしたのは、こんな話を聞かせてきたからかもしれないわねえ。」とM子さん。

きっとそのロシア将校への感謝、ロシアという国と文化に興味関心があり、ロシアのことが好きだからこそ、熱心にロシア語も学ばれたのではないかと思う。

それだけに、今回のプーチンのウクライナ侵略には人一倍胸を痛めていられるに違いない。
先日も仕事でキーウ入りしたというけれど、やはりというかなんというか母親のM子さんは全く知らされていなかったそう。

まあ、そうだろう。

本業の原稿書きだけでもお忙しいと思うのに、TVの報道番組、ワイドショーで見かけない日はない、というくらい出演されている。

夫のお父さんとも少し似た面影のある駒木明義氏を画面で見るたびに、一席演じてくださった陽気な笑顔の大学生と、33年前の、あの穏やかな一日を思い出して、不思議な気持になる。

番組の中で、短絡的居酒屋談義レベルのコメントをした杉村太蔵氏に思わず怒ってしまったのも、当然だ。

https://www.daily.co.jp/gossip/2022/05/04/0015273404.shtml


M子さんに見せていただいたマトリョーシカはロシアのお歴々。

プーチンが台頭する前の時代のお土産なんだろう。

一番大きいのはエリツィン、ゴルバチョフ、ブレジネフ、チェルネンコ、不明??
アンドロポフ、フルシチョフ?、カーメネフ?、スターリン、一番小さいのがレーニン?

帰りの電車の中、夫と一緒に検索しながら名前を当てはめてみましたが、よくわからない。明義さんなら、サラサラサラっと名前が出てくるんだろうけれど。








庭の、100年越えの梅の木は33年前と同じに、沢山の実を付けて立っていました。



本当に、ウクライナとロシア、他紛争の起きている地域も、早く平和が戻りますように。

そして「戦前」とも言われ出した日本と世界が良い方向に舵を切ることができますように。
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イリオモテヤマネコの縫いぐるみのサイズ感がピピそっくりで、思わず抱っこ。
猫とゆっくり過ごすことが出来るのも、フルートが吹けるのも平和だからこそ。



既に12時を過ぎ、16日となりました。
植村泰一先生が逝かれて早一年。
時間が経つほどに寂しさはより募りますが、頑張らねばね。
植村先生も、強く平和を願う音楽家のお一人でした。
戦地に行かれて帰ってこられなかった先輩方のために吹いているんだよ、と仰っていた。


お別れ ピアニスト・伊藤エイミーまどか

2023-05-11 22:20:18 | 日常
ピアニスト・奈良康佑さんからのメールが来たのは5月7日。
コンサートの御知らせかな?と見たら・・

それはピアニスト・伊藤エイミーまどかさんの急逝の知らせでした。

レッスン中に倒れてそのまま逝ってしまわれた。
動脈剥離とのことでした。

あまりの突然な知らせに、その後はずっと放心状態でした。

まどかさんとは同い年で、お互い30代の子育て真っ盛りの頃、励まし合って共に演奏活動を続けてきた、いわば戦友。

真っすぐな方で、社会派で、当時も、「コンサートに行けないお母さんたちのために!」とまどかさんの発案での「母と子のためのコンサート」などに私も参加させてもらっていた。

あと、私が某ゼネコンから依頼された仕事もご一緒した。
豪華マンション完成のお披露目で、そこのメインロビーで演奏、という今から思えばバブルな時代だった。ご主人の正敏さんがベーシストでもあるので、3人で演奏して、あとは温泉で遊んで、なんてこともやっていた。

まどかさんは、ピアノが上手いだけじゃなくて、リーズナブルかつ最高の温泉宿を見つける才能もあって、何か所か、「旅芸人ツアー」をしたものだ。

時には、うちの夫と息子も一緒に行ったこともあり、家族ぐるみのお付き合い。

東京玉翠会のイベントでも演奏していただいたこともある。

その後、私は自分の奏法に疑問を持って、それをなんとかするために植村先生、甲野先生に師事するようになり、共演することも減っていってしまったのだけれど、時折世の中を憂う手紙をくださったり、お互いのコンサートの案内などし合ったり、とお付き合いは続いていた。

ニューヨークで生まれて、南米で育って、ドイツで学んだ国際派。
作曲も手掛けられていてフルートとピアノの作品もある。筝とピアノの作品も。
http://amymadokaito.html.xdomain.jp/

少し鼻にかかった甘いアルトの声で「真理さんはさあ~~」と話しかけてくれていた。

とにかく早すぎるし、突然すぎる。

ずっと心ここにあらずだったのだけれど、本日、お通夜で眠っているような安らかなお顔と対面出来て、ご家族ともお話して、ようやく、これは現実なのだ、と少し落ち着くことができました。

早朝の大きな地震も、午後の突然の豪雨も、いずれも今日のお別れには相応しかった。

まどかさん、今まで本当にありがとう。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

『加藤眞悟 明之會』(5月5日 国立能楽堂)・大江戸散歩隊宴会

2023-05-05 22:19:10 | 日常
『加藤眞悟 明之會』(5月5日 国立能楽堂

https://blog.goo.ne.jp/pipipipi/e/bbe2f774e009ef7dc9ca7298985210eb?fm=entry_awp

20年以上前、野村萬斎氏のことが大好きで、通い詰めた能楽堂。

当時は狂言だけでしたが、今回初めての本格的な能楽の鑑賞会となりました。

事前に能楽師・加藤眞悟氏の解説を聞いていたこともあり、初心者ではありましたが、充分に楽しめました。

まさに「腹」の芸能であるのを実感。

どの演目もとても素晴らしく、あっという間に時間が過ぎました。

2時間ノンストップの『芭蕉』では途中3回程、うつらうつらとなってしまったこともありましたが、これも、事前に、「能はアルファー派が出ていて眠くなるのはあたりまえ」というレクチャーを聞いていたので、まあご容赦を、といったところ。

久しぶりに縮緬の単衣の小紋で。



柔らかものは不得手で、この母の小紋も袖を通したのは20年ぶりくらい。
小さな蝶々が飛んでいて、実は蝶々模様はあまり好みじゃないということもあり、おそらく1回しか着ていない。

・・だって、元は芋虫なんだよ?と思うとちょっとねえ・・

でも、久々に袖を通してみると、縮緬独特のしっとりと肌に沿う感触が気持ちよく、蝶々もそれほど嫌じゃなくなっていた。
季節に合わせて、半襟と帯揚げは藤色で。

襦袢も単衣。

帯は名古屋で、箔で木とそこに集う小鳥などが描かれているもの。


「芭蕉」という演目に合わせて選びました。

正式な場はやはりどんなに暑くても5月は合わせ、という掟は今もあるのだろうけれど、ここまで温暖化が進んでいるのだから、もう5月は単衣でいいんじゃないか?とも思います。

会場も、単衣の着物の方が多かった。

能管のKさん、Kさんのお友達、稲毛音楽室の吉岡さん、他音楽家講座に参加された方も何人か、そして甲野先生の奥様もお越しで、ご挨拶。

会場は満員御礼の盛況で、今まではぽつぽつと空席もあったのだけれど、コロナ禍の3年間、ずっと休止だったものが、久々の再開で、このように盛況になった、とのことでした。

「こんな時代、最後に残るのは文化です」という加藤氏の冒頭のご挨拶が心に染みました。

独特の華やいだ能楽堂の雰囲気が居心地よかった。

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その後は、夕刻から高校同窓会の活動の一つである「大江戸散歩隊」の宴会に参加。

幹事のHさん夫妻は、なんと転勤で移動した福岡からの参加。

こちらもようやくのびのびと「マスクなし会食」となりました。

後輩の皆様は気を配って、お酒が絶えない様に注文してくださったこともあり、
目の前には、ビール、白ワイン、赤ワインが並んで、豊かな気持になりご機嫌に。

思わず「な~らんだ、な~らんだ、赤白黄色♪(@チューリップ)」と歌ったら大いに受けた。

宴会も文化だ!

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どちらも、本当に楽しかったです。
やはり人と会い、話すということがどれほど楽しく、大切なものであったかを再確認した一日となりました。

皆さま、ありがとうございました!