木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

若草の髪かざり も見える

2010-02-05 23:44:59 | Weblog
逆算すると平成3年ころかな今は亡きじゃない今はいなき女房が
「私たちってこのままずっとここにいるの?」と言った
当時僕らは親子3人公団住宅の3DK5万程の家賃の部屋に住んでいた
そこは当時の仕事場であり僕の実家である家から歩いて3分のところにあって
僕にとっては便利なところだった

でもそのまま死ぬまでそこにいるつもりもなく
親の面倒をみるという意識もあったしいずれは実家に戻るつもりではいた
嫁の言葉は逆にいえば家を建てれば一緒に住んでもいいという意思表示でもある

もっとも彼女は結婚した当時から同居もOKの姿勢を見せてくれてた
これは長男にとってありがたい意志ではある



さて当時は仕事も数々あって 自分がその気になれば家くらいなんとかなる と思っていた
いろいろの選択肢があって比較的便利な所に位置するため賃貸を建てて上に住むのもその中の一つ
でも主流にすべき道は今の作業場付きの家を新しく建て直して二世帯住宅にすること
その方向に向かって図面も引いてもらった(by 石ヤン)
ちなみに7階建ての賃貸付き住居も図面草案の中にはあった
一つ気がかりだったのは木工所をこの街の真ん中14階建てマンションのわきでやっていけるかということ
それは音だけじゃなく廃材処理の煙を出す可能性が極めて高いという・・ちょっとした恐怖

とりあえず3階建てにしようと決めた
1階は作業場 2階は老夫婦 3階が僕らの所帯
ある程度図面上も固まり
建築中の半年ほど仮の工場を探した

ちょうど同業者の夫婦が工場をたたむという話が舞い込む
絶妙なタイミング
すぐ貸してほしいの申し込みに行く
ところがむこう(工場の持ち主はその夫婦奥さんの兄弟)の返事は
「一時的なら貸したくない ずっと借りてくれんか」


もしこのとき「はい 貸しましょう」という返事だったら いま3階建てに住んでたと思う

僕らはもう一度一から考え直すことにした
普通なら じゃ他の工場を探そう と思うはずなのに
この工場の立地は理想的で前に土手があって 準工業地帯で隣は民家ではあるけど多少の音も 廃材の処理も何とかなりそう
実際 近所に昔からのお客さんがいてしょっちゅう品物を積んで配達に来ててこんなところで仕事したいなぁと思ってたところだった



だから ここを借りることにして 借りっぱなしにすることにして
自宅は7階建ての賃貸にすることに 本末転倒かもしれないがこれが運命というものじゃないかと勝手に思った
3階から見る風景より 7階から見る風景にも憧れた


いろんなことがあって 今はこういう状態だけど
さっき窓から外の風景を見ながら こんなことがあったなー と思いだしてしみじみ・・・


3階建てだったら見えないはずのものが7階建てなら見えるものもある
チェリッシュんちもね(そこかい!)


若草の髪かざり 1973




コメント (10)
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