☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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“ 正しい祈り ” の入門の話 3

2015-05-02 15:33:54 | 今日の光明法語

そこで、その祈りの実例として、こういう言葉を念ずるといいと、私が案文を拵(こしら)えて
みたのをちょっと朗読してみます。

『 神よ、あなたの智慧をわれに流れ入らしめたまえ。しかして何を為すべきかを教えたまえ。
わたしの魂は今、あなたの智慧ながれ入りて、われを教え導きたまう御声を耳を澄(す)まして
きくのです。あたらしき智慧われにながれ入りて、わたしの真理の理解は日に日に深くなり行きつつ
あります。有難うございます 』

こう念じて、静かに神の智慧が自分に流れ入りつつあることを心の底深くじーっと見つめるような
気持になるといいのであります。

このような祈りによって、あなたの真理に対する理解が一層深くなってくるにつれて、
心の映像としての現実世界が善くなって来ます。

つまり、神の国の智慧が流れ入って来れば、神の国にあるところのすべての善きものの中(うち)で
自分の選ぶものが具体的に現象世界に、自分の身辺にあらわれて来る、ということになるわけで
あります。


【 心の中から病の観念を消しましょう 】

そして、皆さんが病気にかかった場合に、病気の姿を心に描いて、それを治そうと考えては
却って治らないのであります。何故なら心で「 病気 」をつかむからなんです。
「 病気なんて、そんなものは全然無いんだ。神はそんなものを造らないから全然無いんだ 」 と、
病気を心から放ち去るのが、これが“ 本当の祈り ”であり、従って、病気を治す祈りになるんです。


病気を心に念ずれば、唯心所現すなわち心の現わす世界であるところのこの現象世界に
病気が現われて来るということになるわけであります。

それだから病気を治すためには、病気を心の中から消してしまうとよろしい。
そしたら、心の現わす世界である現象世界から病気が消えてしまう、ということになるわけで
あります。

そういう無数の実例を、われわれはもっているのでありまして、『 心と癌 』という本にも
その真理を、私は二十数例実例を挙げて書いておいたのであります。

自分の人生はすべて自分の心の現わす所であるから、心に念じないもの、欲しないものは
心から消してしまう。そうすれば、心の影としての現象世界に、欲しないものが無くなって
しまうというわけなんであります。



【 わが内なる “ 如来 ” を現わすには 】

法華の三部経といわれている三つのお経がありますねぇ。第一は『 無量義経 』というので、
これは『 法華経 』の序文みたいなお経ですが、お釈迦さんは「 四十有余年間、
未顕真実(みけんしんじつ)」と言われた。

すなわち釈尊は『 無量義経 』に於いて、「 わたしは、今まで四十有余年間説法して来たけれども、
本当の真実を顕わさなかった」と仰せられた。

そしてその次に時期熟せりとして、『 妙法蓮華経 』(略して『法華経』)をお説きになったんであります。

即ち時熟して『 法華経 』には、「 一切衆生悉く釈迦牟尼仏と同体の仏である 」と、
いうことが説かれた。それまでは、弥勒(みろく)菩薩でさえも、五十六億七千万年してからでないと
仏になれないと言っていられた。

今まで、『 法華経 』を説かれるまでは、「 人間は皆(みん)な罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の
凡夫であって、なかなか悟りが開けないものである 」と、いうような説き方をしておられたのですが、

『 法華経 』の方便品(ほうべんぼん)において、「 吾れ本誓願(もとせいがん)を立て、
一切の衆をして吾が如く等しくして異なることなからしめんと欲せり。その願すでに満足せり 」と
仰言(おっしゃ)って「 すでに全ての衆生は 自分(わし)と同じき如来である 」と仰せられた。

しかし‘ それ ’は実相である。実相すなわち われわれの“ 実の相 ”であって、まだ必ずしも、
その実相は現象界には現われているものではない。謂(い)わば可能性としてあるんですねぇ。
その可能性としての未来の自分の“ 如来 ”を、“ それ ”を現わすのには、どうしたらいいか、という
ことが説かれているのが、『 観普賢菩薩行法経(かんふげんぼさつぎょうほうきょう) 』 であります。


〈 了 〉