☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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祈りがきかれないと言う人に 1

2015-05-04 15:59:35 | 今日の光明法語

「 祈りがきかれないと言う人に ― 祈りの原理と実際・主として心霊科学的立場から ― 」

『 精神科学 』誌 昭和三十二年一月号  谷 口 雅 春 先 生



【 神社の神霊には個性や能力に差等がある 】

祈りがきかれない場合にはその祈りが正当な祈りであるかどうかと言うことを考えなければならない。
正当な祈りであるかどうかと言う場合に、判断の示標となるものは、

( 第 一 ) 一体、如何なる神に祈ったかと言うことである。
( 第 二 ) 何を祈ったかと言うことである。
( 第 三 ) 如何に祈ったかと言うことである。

此の三つの示標に従って、その祈りが正当であるかどうかを判断すべきことは永久に変らざる真理である。(『祈りの科学』〈日本教文社発行〉参照)


あなたが仮に天満宮に参拝して、その祭神の菅原道真公に「どうぞ私の病気を治して下さい」と
お祈りした場合に、その祈りが必ずきかれるかどうかは疑問である。
菅原道真公は、生前、詩人であって漢詩をおつくりになったのであるから、
「 菅原道真公の霊よ、霊界よりインスピレーションを送り給うて よき詩をつくらしめ給え」と
祈った場合、それがきかれると言うことはあり得る。


併し斯くの如き「 文化 」の神様に「 戦争に勝たしめ給え 」とか、「 病気を癒しめたまえ 」とか
祈ってもその祈りが成就することは難しいと言う方が本当である。
何故なら神社にお祀りしてある神様というのは、菅原道真公の霊魂をお祀りして天満宮と言っているのと
同じように、概ね人間の霊魂をお祀りしてあり、人間の霊魂は、肉体を脱した後は肉体の束縛から
脱するから、生前よりは余程神通力を増すのであるけれども、併しやはり生前の能力や性格を
持ち越して往っているのであるから、それぞれ得意とする能力と得意とせざる能力とがあり、
作詩には巧みであっても戦争に勝つことや病気治しには不得手であると言う霊魂もある訳である。
従って作詩に堪能なる菅原道真公の霊魂に「 戦争に勝たしめ給え 」とか、「 病気を治して下さい 」と
祈るようなことはおよそナンセンスである訳である。



【 日本の神社の本来の意義 】


大体、日本の神社の多くはお蔭信心のために建てられたものではないのであって、
国家及び国民の福祉のために功労があった人の霊魂とか、その誠実なる精神や徳行のすぐれたる人の
霊魂をば、その功績と徳行のゆえに、それを神と崇めまつって神格化して、感謝し尊敬するためのもので
あって、「 病気を治したまえ 」などと祈るための対象ではなかったのである。
それなのに、何時の間にか「 神 」なら何でも頼めばきいてくれそうなものだと言う世俗的な見解から、
病気治しなども神に祈ってきかれると言うような考えが混入したものだと思われるのである。



【 治病霊媒及び治病に興味をもつ霊魂 】

もっとも霊魂のうちには病気治しが非常に上手な霊魂もいるのである。治病宗教の教祖さんなどは
概ね一種の治病霊媒(healing medium)であって、其人(教祖)の司配霊(control)として
其の人と協力している或る種の霊魂が、患者の体内に入って、その故障を霊的に施術することも
あり得るのである。(『生命の實相』第三巻参照)
これなどは医学の否定どころではなく、レントゲンによる深部治療を、尚一層自由に深部に潜入し
得る「 霊 」の放射治療によって一層徹底させた霊的治療術であって、これらを一概に迷信視去るのは、
却って科学迷信に陥っているものだと言うほかはないのである。

霊魂と言うものは縦・横・厚みの三次元的空間の制約に束縛せられてはいないのであるから、
( 密閉筺の中の物品を透視する霊能者のあるのもそのためである )
患者の体内に入ってある操作を行ったり、神経系統に或る種の刺戟を与えて生理作用を活発にしたり
することができる筈である。

従って或る神社の祭神( 又はその眷族 )が治病に堪能な霊魂である場合には、その神に祈れば
病気の治ることもあり得る。だから私は、すべての神社の祭神に治病能力がないと言うのではないから
誤解されないようにお願いしたいのである。しかし神社の神なら、どんな祭神でも祈れば、
病気を治して貰えるように誤解するのは迷信になるおそれがあると謂うのである。

だから神社の神に祈って病気が治らない場合には、一応、その祭神について如何なる神がお祀りして
あるかをしらべて見る必要がある。今まで多くの治病成績をあげている神社や、治病霊媒ならば、
其処に治病に興味をもって、人類をたすけたいと言う念願ではたらいている霊魂がいるのだと考えて
差支ないのである。