多くの家庭が平和な 「 生長の家 」 であり得(え)ない主たる原因は、
家族のすべての人たちが、家庭に於(おい)ては 自制(じせい)を失っても
好(よ)いという ルーズな気になることである。
自制は 諸徳のうちで 最も基礎的な徳であるのである。
それは 己(おの)れに打ち克つことである。
「 高き自分 」 が 「 卑(ひく)き自分 」 に打ち克つことである。
本物の自分が ニセ物の自分に打ち克つことであるのだ。
もし自制がなければ、ニセ物の自分が のさばるのであるから、
如何(いか)なるところにも 平和と生長とは あり得ないのである。
・・・・・・・・
家庭は 神の子同士(どうし)が、神の子の生活を実現するための道場なのである。
だから どれだけ美しい言葉を使っても 美し過ぎるということはないのである。
この、家庭は 神の子の生活を実現するための道場だという
根本的態度がきまることが 家庭浄化の基礎である。
・・・・・・・・
諸君よ、あなたの家庭を 「 生長の家 」 たらしめんと欲(ほっ)せらるれば、
心の統制を一瞬時(いつしゅんじ)たりとも 弛(ゆる)めるな。
仮にも不用意な乱れた語調(ごちょう)の言葉を話すな。
すべて あなたの家庭にて つかわれる言葉を
「 神の子 」 らしい洗練されたものたらしめよ。
互(たがい)を尊(とうと)べ。何故(なぜ)なら、あなた達は皆(みん)な
「 神の子 」 であり、 「 神の子 」 の生活を成就(じょうじゅ)するために
家庭を造っていられるのであるからである。
・・・・・・
和顔(わがん)愛語(あいご) と 相互(そうご)の感謝 は、
諸君の家を 「 生長の家 」 たらしむるに 欠くべからざる要件であるのである。
谷 口 雅 春 先 生
『 新編 生命の實相 』 第13巻 家庭生活を光明化せよ 160頁・168頁・171頁
家族のすべての人たちが、家庭に於(おい)ては 自制(じせい)を失っても
好(よ)いという ルーズな気になることである。
自制は 諸徳のうちで 最も基礎的な徳であるのである。
それは 己(おの)れに打ち克つことである。
「 高き自分 」 が 「 卑(ひく)き自分 」 に打ち克つことである。
本物の自分が ニセ物の自分に打ち克つことであるのだ。
もし自制がなければ、ニセ物の自分が のさばるのであるから、
如何(いか)なるところにも 平和と生長とは あり得ないのである。
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家庭は 神の子同士(どうし)が、神の子の生活を実現するための道場なのである。
だから どれだけ美しい言葉を使っても 美し過ぎるということはないのである。
この、家庭は 神の子の生活を実現するための道場だという
根本的態度がきまることが 家庭浄化の基礎である。
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諸君よ、あなたの家庭を 「 生長の家 」 たらしめんと欲(ほっ)せらるれば、
心の統制を一瞬時(いつしゅんじ)たりとも 弛(ゆる)めるな。
仮にも不用意な乱れた語調(ごちょう)の言葉を話すな。
すべて あなたの家庭にて つかわれる言葉を
「 神の子 」 らしい洗練されたものたらしめよ。
互(たがい)を尊(とうと)べ。何故(なぜ)なら、あなた達は皆(みん)な
「 神の子 」 であり、 「 神の子 」 の生活を成就(じょうじゅ)するために
家庭を造っていられるのであるからである。
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和顔(わがん)愛語(あいご) と 相互(そうご)の感謝 は、
諸君の家を 「 生長の家 」 たらしむるに 欠くべからざる要件であるのである。
谷 口 雅 春 先 生
『 新編 生命の實相 』 第13巻 家庭生活を光明化せよ 160頁・168頁・171頁