「 尋(たず)ねよ、さらば 見出(みいだ)さん。
門(もん)を叩(たた)け、さらば 開(ひら)かれん。
すべて求(もと)むる者は 得(え)、たずぬる者は 見いだし、
門を叩く者は 開かるるなり 」 という言葉は、
大変わたしの好きな言葉でありまして、
まだ わたしが 生長の家の真理を発見する以前に
この一節を 始終電車に乗っても、汽車に乗っても 心のうちで念じて
わが願うことは 成就し、わが叩く門は 成就するという信念を深めるように
努めていた時代があるのであります。
そうすると とうとう この生長の家の門が開かれて、
わが願いは 成就したのであります。
ですから 皆さんも どうぞ、これに倣(なら)って
神は 人間を その愛子(あいじ)として それになくてならないものは
すでに与え給(たま)いているのだという信念を篤(あつ)くし、
実相(ほんとのすがた)においては すでに与えられているところのものを
現象界においても お受け取りになるように お願いしたいのであります。
谷 口 雅 春 先 生
頭注版 『 生命の實相 』 第 30 巻 児童教育篇・聖典講義篇
山上の垂訓の示す真理 ( 293 ~ 294頁 )
門(もん)を叩(たた)け、さらば 開(ひら)かれん。
すべて求(もと)むる者は 得(え)、たずぬる者は 見いだし、
門を叩く者は 開かるるなり 」 という言葉は、
大変わたしの好きな言葉でありまして、
まだ わたしが 生長の家の真理を発見する以前に
この一節を 始終電車に乗っても、汽車に乗っても 心のうちで念じて
わが願うことは 成就し、わが叩く門は 成就するという信念を深めるように
努めていた時代があるのであります。
そうすると とうとう この生長の家の門が開かれて、
わが願いは 成就したのであります。
ですから 皆さんも どうぞ、これに倣(なら)って
神は 人間を その愛子(あいじ)として それになくてならないものは
すでに与え給(たま)いているのだという信念を篤(あつ)くし、
実相(ほんとのすがた)においては すでに与えられているところのものを
現象界においても お受け取りになるように お願いしたいのであります。
谷 口 雅 春 先 生
頭注版 『 生命の實相 』 第 30 巻 児童教育篇・聖典講義篇
山上の垂訓の示す真理 ( 293 ~ 294頁 )