☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

【 10 光明日訓 】  他(ひと)を賞(ほ)めるように 自分をも賞めよ

2018-09-18 20:43:12 | 今日の光明法語
諸君よ、自身をはずかしめるな。皆(みん)な神の子だ。
互(たがい)に喜んで愛し合え。

自分をはずかしめる者は、神の子を はずかしめる者だ。(中略)

他(ひと)を拝むように自分をも拝め。自分にやどる神を拝み出せ。(中略)
言葉に出して自分が神の子だという自覚を強めよ。

人間はみんな神の子だと自覚したとき 本当に神の子らしくなれる。

( 新編 『 生命の實相 』 第12巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社





【 9 光明日訓 】  今、われはすでに 無限の供給を受けている

2018-09-18 20:28:38 | 今日の光明法語
神の栄えがあらわれるのが、本当の人間の繁昌(はんじょう)であるから、
神の愛をあらわれの世界に持ち来たしさえするならば、
人間は繁栄するほかはないのである。

だから物を役に立つよう、人を役にたつよう使っていさえすれば
未来の取越し苦労などは不要なのである。(中略)

その物の内在の力を引き出すように つとめることである。

( 頭注版 『 生命の實相 』 第38巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社




【 8 光明日訓 】  神の子の食卓を 「 歓(よろこ)びの食卓 」 とせよ

2018-09-18 20:16:27 | 紹介
どんな栄養料理も悲しみと一緒にたべては栄養にならぬ。

あらゆる栄養品のうちで、歓びという無形の精気(せいき)ほど
吾らを元気づけるものはないのである。

どんな粗食(そしょく)でも 「 歓び 」 という無形の菜(さい)を添えて
たべるとき最上の栄養食に変るのだ。

食事にうんと歓びのお菜(かず)を附けて食え。
そうしたらどんな消化不良でも治ってしまうのである。

( 新編 『 生命の實相 』 第25巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社





【 7 光明日訓 】  内に宿る天分をひき出すのが本当の教育である

2018-09-18 13:01:25 | 紹介
近代の教育はエデュケーション(Education)である。
エデュケーションとは引っぱり出すことをいうのであります。

本人の内(うち)に宿(やど)っている無限能力をひき出(だ)す。

このエデュケーションこそ教育の本旨(ほんし)であるのであります。(中略)

子供の天分をひき出せば、どれだけでも その子供は発達するのであります。

( 新編 『 生命の實相 』 第22巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社





【 6 光明日訓 】  幸福を与える人のみが本当に幸福になれる

2018-09-18 12:42:06 | 今日の光明法語
幸福のみを常に見詰(つ)めているならば幸福がやって来るのです。(中略)

幸福を‘ 求める ’人が幸福を求めるのは、 「 自分は幸福では‘ ない ’ 」 と
思っているからなのです。(中略)

「 常に幸福のみを見詰める人 」 とは、
「 既に私は幸福である 」 と 自覚 している人のことです。

「 既に私は幸福である 」 と 自覚 すれば、(中略)
人に幸福を与えたくなるでしょう。

( 新装新版 『 真理 』 第2巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社





【 5 光明日訓 】  病念(びょうねん)を破砕(はさい)し切ったとき、忽然(こつねん)とその病気が消える

2018-09-18 11:43:35 | 今日の光明法語
病気を治す秘訣は 病念の波動(はどう)を除(と)り去(さ)ることにあるのです。

聖典 『 生命の實相 』 や 『 甘露の法雨 』 を読んで
「 ‘ 人間は 本来、神の子であって病気は無い ’ 」 という真理を知れば
胃癌でも治るというのは、‘ 病気は無い ’と知れば‘ 病念がなくなる ’、
病念がなくなれば 病念が形をあらわしていたところの病気そのものが消えるのは当然です。

( 新編 『 生命の實相 』 第25巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社




【 4 光明日訓 】  自分を生かす道は小さな日常の行(おこな)いの内(うち)にある

2018-09-18 09:21:38 | 今日の光明法語
小さい事に 「 本当の自分 」 を生かすのだったら今でも出来る。

朝起きて顔を洗う、この洗った水を如何(いか)にどこへ捨てるかと
いうようなことにも、愛があらわれる。(中略)

ここに流したら植木(うえき)が喜ぶであろうとか、
この小さなことの中に 「 深切丁寧(しんせつていねい) 」 を生かす。

この 「 深切丁寧 」 を生かすことが 「 神 」 を生かすことであります。

( 新編 『 生命の實相 』 第27巻 )

『 光明日訓 谷口雅春先生 真理の言葉 』 平成30年版  光明思想社