☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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一切の宗教(おしえ)を生かす生長の家

2017-03-01 14:52:25 | 今日の光明法語

「 生長の家 」 の真理を体得するには、神想観や 『 生長の家 』 の読誦など
という静的の工夫のほかに、動的の工夫が要(い)るのであります。

真理は 生命そのものでありますから、そして生命は 「 動(どう) 」 が
本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、
はじめて その潜在していた生命の正体 ― 生かす力の正体をあらわすのであります。

動に入(い)るまでの真理というものは、まだ潜在しているのみであって
顕在に入(い)っていないのであります。
それには この 「 生長の家 」 そのものの出現 が 好適例であります。・・・・・・

この時に私は はじめて静的修養によって獲得した真理を動的工夫に
移したのであります。この時まで潜在的でしかなかった人間の
「 生命の実相 」 が動の相(すがた)をもってあらわれて来たのであります。
すると私の書く筆(ふで)にも 「 生命の実相 」 が生きてあらわれて
来たのであります。 ・・・・・・

私の書くところ私の生き方が生命の実相そのものになって来たので
神が そこに顕れ給うたのであります。・・・・・

人間は 本来神の子であるから救われている、即ち 本来自由自在である、
束縛を脱して後(のち)始めて自由になれるというようなものではない。

本来 神の子なる人間は 縛られていても縛られていないでも、
どちらでも自由自在なのであります。

この真理は ただそう思っているだけでは 「 実(じつ) 」 にならないのでありまして
それを動的工夫に移し、その真理を実際に移して実行するとき、

いくら余裕がないように見えても余裕が出来て来(き)、
弱いように見えている身体(からだ)から無限のカが湧き出て来るので、
はじめて我(われ)即ち神の子なる生命の実相が如実に悟られて来るのであります。

谷 口 雅 春  先 生
新編 『 生命の實相 』 第 1 巻 総説篇 ・ 光明篇 
「 第一章 一切の宗教(おしえ)を生かす生長の家 」 ( 82 ~ 87 頁 )



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