鎌倉時代に“ 元寇(げんこう)の役(えき) ”で、日本を属国にしようと
攻めてきた “ 元寇 ” を断々呼として退けた勇将が、北条(ほうじょう)
時宗(ときむね)であります。
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“ 自分 ” を超えよ ― 祖元禅師と北条時宗 ―
時宗は、自分の柔弱(にゅうじゃく)な性格を改めたいと思って、
わざわざ宗国(そうこく)から祖元禅師(そげんぜんじ)をおむかえして
教えを受けられたのであります。その時、時宗は、
「 わたしくしの最大の悩みは、自分の性格が柔弱なことであります。どうしたら
この性格の欠点を改めることができますか? 」
とおたずね申し上げた。すると、禅師は、
「 そんなことは何でもない。その柔弱な性格が どこから来るか。
その‘ もと’をたずねて、その‘ もと’を断(た)てばよい 」
と答えられた。時宗は そのとき、
「 その ‘ もと ’ が どこにあるか私には分かりません 」
と言うと、
「 お前の名前は 何といったかね ? 」
と禅師は問われる。
「 北条時宗です 」
「 その北条時宗を去れ ! 」
と禅師は一喝(かつ)された。ここに時宗は、ハッと気がついたのである。
“ 時宗 ” が “ 時宗 ” をにぎっていて、 “ 自分 ” というものを
忘れることができない。自分のいのち、自分の利益、自分の幸福、
自分の名誉・・・・・・等々、いつも “ 時宗 ” がついてまわっているから、
大胆勇敢に事を処することができないのである。
「 どうしたら、この時宗を去ることができますか? 」
と時宗がきく。
「 “ われ在(あ)り ” という念(おも)いを断つのだ 」
「 どうしたらその “ われ在り ” という念いを断つことが出来ますか? 」
「 ひたすら静坐し神想観して身心を静かならしめる修行をせよ 」
「 政治の事がいそがしく神想観に はげむ時間がほとんど無いのでございまする 」
「 一切の事務、一切の仕事、そこが道場だ。その道場に坐って、北条時宗が
今仕事をしているのではない。神が自分を通して仕事をしていて下さるのだと
思って仕事をするがよい。
それが 時宗を去る道である。時宗が無くなり、神のみがそこにある事がわかれば、
もう怯懦(きょうだ)の心も、柔弱な性格もない 」
と教えられた。
それから愈々(いよいよ)元寇の時が近づいた頃、弘安(こうあん)四年正月、
時宗が円覚寺(えんがくじ)に祖元禅師をおたずねすると、
禅師は 「 莫妄想(まくもうぞう) 」 の三字を大書して時宗に与えられた。そして、
「 春夏の候、博多に重大事が起こる。 莫妄想、莫妄想 」
妄想を断てといわれたのだ。元寇のことを予言せられていたのであった。
そしてその年五月、いよいよ元が十万の大軍をもって押し寄せて来たのである。
その報をきくと、時宗は円覚寺に祖元禅師をお目にかかった。禅師は、
「 驀直(まくじき)に向前(こうぜん)せよ。更に回顧すること勿(なか)れ 」
と教えられた。驀直とは“マッシグラに”ということだ。向前とは前に進むことだ。
回顧すること勿れとは、 「 背後の橋を断ち切って、背水の陣を布(し)いて
将軍 時宗なく、神のみがある、ここにあるのは神が前進するのだ 」 と思って進め
という意味であったのである。
こうして時宗の自覚が高まると共に 大自然もそれに感応(かんのう)ましますということ
になり、折からの台風の襲来と共に、さすがの蒙古軍を撃滅することができたのであった。
『 子供と母の本 』 ( 70頁 ~ 73頁 ) 谷 口 雅 春 先 生
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