谷口雅春先生は、「 霊界篇 」 の中で、どのあたりを説かれているのか、
『 生長の家 』 昭和48年8月号より一部 。( 原文は正漢字・歴史的仮名遣いである )
< もう私も数え年八十一歳である。今年の十一月二十二日になれば 満八十歳に
なる訳である。 『 生長の家 』 誌も 創刊以来 四十四周年を数える。・・・・・
今年の春の彼岸会の布教功労者のための本部の慰霊祭で其の席に列席した遺族の方々に
私は 「 死はない 」 ということを知って頂きたいと思って朗読したこともあるのである。・・・・・>
< 谷口雅春先生
新編 『 生命の實相 』 第18巻 霊界と死後の生活 下
・48頁2行目~49頁1行目 ・51頁6行目~11行目 ・56頁4行目~58頁8行目 >
< ‟ この新時代に於ては人間は決して死なないものだということを人類は悟るであろう。”
彼等は人間の葬(とむら)いの儀式とは ただ肉体を葬(ほうむ)るだけのものであって、
『 真の人間 』 を葬(ほうむ)るものではないことを悟るであろう。
‟ かつて知りかつて愛したところの人は 常に吾等の周囲にその生前よりも遥かに偉大に、
遥かに善良に、永遠に幸福に、悠久に、無窮に、神の祝福の微笑を自己の上に浴びながら
生きているのである。”>
『 生命の實相 』 新編版 第18巻 51頁 頭注版 第10巻 霊界篇 下 108~109頁
< 間もなく全世界の人類は、神の造り給える此の世界には、人間自身が信念によって
創作しない限りは 何一つ醜いものは存在せず、何一つ悪なるものは存在せず、
何ひとつ恐怖すべきものは 存在しないことを悟るに到るであろう。
‟ すべての醜さ、すべての恐怖すべきものは 何一つ実在ではないのである。”
・・・・・
あらゆる人は 永遠に生き、神と偕(とも)に生きるのである。どこにもこの世界には
恐怖すべき何物も実在しないのである!>
『 生命の實相 』 新編版 第18巻 48~49頁 頭注版 第10巻 霊界篇 下 106~107頁
『 生長の家 』 昭和48年8月号より一部 。( 原文は正漢字・歴史的仮名遣いである )
< もう私も数え年八十一歳である。今年の十一月二十二日になれば 満八十歳に
なる訳である。 『 生長の家 』 誌も 創刊以来 四十四周年を数える。・・・・・
今年の春の彼岸会の布教功労者のための本部の慰霊祭で其の席に列席した遺族の方々に
私は 「 死はない 」 ということを知って頂きたいと思って朗読したこともあるのである。・・・・・>
< 谷口雅春先生
新編 『 生命の實相 』 第18巻 霊界と死後の生活 下
・48頁2行目~49頁1行目 ・51頁6行目~11行目 ・56頁4行目~58頁8行目 >
< ‟ この新時代に於ては人間は決して死なないものだということを人類は悟るであろう。”
彼等は人間の葬(とむら)いの儀式とは ただ肉体を葬(ほうむ)るだけのものであって、
『 真の人間 』 を葬(ほうむ)るものではないことを悟るであろう。
‟ かつて知りかつて愛したところの人は 常に吾等の周囲にその生前よりも遥かに偉大に、
遥かに善良に、永遠に幸福に、悠久に、無窮に、神の祝福の微笑を自己の上に浴びながら
生きているのである。”>
『 生命の實相 』 新編版 第18巻 51頁 頭注版 第10巻 霊界篇 下 108~109頁
< 間もなく全世界の人類は、神の造り給える此の世界には、人間自身が信念によって
創作しない限りは 何一つ醜いものは存在せず、何一つ悪なるものは存在せず、
何ひとつ恐怖すべきものは 存在しないことを悟るに到るであろう。
‟ すべての醜さ、すべての恐怖すべきものは 何一つ実在ではないのである。”
・・・・・
あらゆる人は 永遠に生き、神と偕(とも)に生きるのである。どこにもこの世界には
恐怖すべき何物も実在しないのである!>
『 生命の實相 』 新編版 第18巻 48~49頁 頭注版 第10巻 霊界篇 下 106~107頁
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