ここは非常に重大な一節であります。民主主義かぶれ( 最近は 立憲主義かぶれ!? )の
している人には解するのに難しいところであります。
生長の家は 「 人類光明化運動 」 と云うから人類を愛したらいいのであって
日本の国なんか どうだっていいじゃないかと考える人があるかもしれませぬが、
決して そうじゃないのであります。
皆さんは 日本民族の一員として日本人として生れた。その事実に立脚して
生きている以上、日本民族と云うものは 如何なる自覚を持ち 如何なる使命をもって
此の地上に誕生したものであるかということほど重大な問題はないのであります。
古代の日本人は 全て何某(なにがし)の命(みこと)、何某(なにがし)日子(ひこ)、
何某日女(ひめ)というように 自分自身をも呼び、他の人をも尊重して居りました。
日子とは即ち天照大御神の御子(みこ)という意味であり、
日女とは即ち天照大御神の女(むすめ)という意味であり、
すべての人間は 命(みこと)であったのであります。
命(みこと)とは即ち 「 神の生命 」 そのもの、それが天降(あまくだ)って来たのが
人間であるという、そういう魂の自覚の伝統をもって 日本人は日本民族の歴史を
作ってきたのであります。
こういう歴史を背負ってその歴史的現実として具象化して、今 皆さんが
此処に生きているということは 誠に荘厳な事実なのであります。
『 菩薩は何を為すべきか 』 人類光明化運動指針の解義 第五条 谷口雅春 先生
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生長の家の信徒は、天皇の実相、日本国の実相を理解するために、
第五条の谷口雅春先生のご文章は、繰り返し拝読すべきである。
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