キリストは 「 吾は 世の光 として 来れり 」 といっていられるのである。
自己の中にキリストを見出(みいだ)す時、
そこには何らの悲しみの影も 憂鬱(ゆううつ)の影も あり得ないのである。
神の光を受けるには、 「 与えるものは 与えらる 」 の法則に従って、
自分自らが 他の人に光明を与えるものとならなければならないのである。
まず 喜びの微笑(ほほえみ)を与えよ。人に慰めを与えよ。
人々に希望を与えよ。深切を与えよ。
そこからあなたの魂の明るさが生まれて来るのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 十七日の法語 谷 口 雅 春 先 生
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