引き続き~スキーの昔話を「おひとつ」
北海道は札幌市に生まれ育ったならば…
スキーが出来て当たり前…てな、お話は「ウソ」(笑)
札幌の学校では確かに授業で「スキー学習」なるものが
小学校・中学校・高校っとあります。
が…必ず滑れない生徒も居るのです(ハハハ)
だいたいスキー場に到着後、4班位に能力別に分けられます。
超上級者・上級者・中級者・初心者
それでもやっぱり札幌市ですから、上級者・中級者の人数が多いです。
以前に長野県志賀高原へスキーに行った時に
関西の高校生がスキー学習に来ていたのを見た時は
殆どの学生が初級者で中級者が少しいた程度でしたから
それに比べれば、やはり流石は北海道ってな感じです
私の場合は自分の住んでいる家の目の前がスキー場でしたので
とりあえず、中級者から始まり高校の時は上級者でした
家の目の前がスキー場っと言っても
スキー場のある山が目の前と言った方が正確です
つまり「スキーしてくるね~」っと家を出ると
スキーの板を肩に担いで、山を30分位かけて登るのです(笑)
勝手知ったる「我が家の山」ですから
バスや車の通る道では無く、最短距離で登る少し急勾配の登山道を登ります
この登山道を私が良く遊んでいた頃は
小さな小川とコンモリとした森に
小鳥に蝦夷リス、カッコーにキタキツネ
そしておやじのヒグマしか住んでいませんでしたが…
(よく猟友会の方々がクマ狩りをしていました~)
数年前に実家に帰った時には…民家が沢山出来ていまして
札幌市内の延長線っといった風情になっておりました(少し悲しい~)
さて、山道をテクテクと登って行きますと
目の前がパーッと開けてスキー場が忽然と現れます
今の私ならば…多分、途中で数回休み
スキー場へ到着時には倒れ込むと思いますが…当時は元気!
速攻でリフト券売場へ走ります!
リフト券売場の「おばちゃん」に挨拶をして~
足下を掘るのです
そうすると…必ず10円や20円は落ちているので
それを拾って1回か、旨く拾えれば2回分のリフト券を購入します
(確か…一回券=20円位…その後10円値上がりした時に友人と抗議しました)
それを大事にポケットにしまい込み
また、板を担いでスキー場の端を歩いて登ります(ハハハハ)
一番下から中腹までが第一ゲレンデ
ここまでが一本のリフトで登れます。
ゆるいなだらかな斜面なのでココまでは、たいがい徒歩で登ります
その上は左右に分かれ別々のリフトで登ります
右が第二ゲレンデ
少し急な斜面で、幅が狭くスリ鉢状になっています
左は第三ゲレンデ
このスキー場で一番の急斜面です
第一ゲレンデあたりで滑る全ての人々の視線を集めるゲレンデです
地元ガキンチョの間では…
魔の「ウサギだいら」っと呼ばれていました(笑)
(名前の由来等は不明です。漢字だと…平らかな~?)
ここを滑れたならば…イッチョ前!
日々…いつかは「ウサギ平ら」を制覇するぞぃ!との
決意と憧れを込めて…眺めておりました~(ハハハ)
たいがいは午前中に第一ゲレンデを徒歩で登っては、滑り
また登っては、滑りを繰り返し
昼時にはゲレンデの隅っこで雪のイスをこしらえ
ヨコッラショっと座りまして、青空を眺めながら握り飯を食べます。
その…美味しい事!世界一の握り飯です(中身は梅干し)
それと同時に朝、自宅を出る時に背中に入れて置いたタオルを
「サーッ!」っと一気に引き抜くのです!
汗をかいた背中が、入れておいたタオルを抜くことで
一気にヒンヤリとし爽快感を味わえるのです(笑)
吹雪いて寒い時は、このタオルが暖房の変わりもします
(昔の人の知恵ですね~)
午後になると、またぞろ板を担いで第一ゲレンデを登り
ここで…始めて拾ったお金で買ったリフト券を使います
第二リフトへ乗って
第二ゲレンデから一番下までノンストップで滑り降りるのです!
そうして午後3時位まで遊んで
行きは板を担いでエッチラオッチラ登って来た登山道を
今度はスキーで自宅の玄関まで滑って帰るのです(学校では禁止事項)
あの頃は手袋は毛糸のボッコ手袋(指の無い手袋)
冷たい雪が手に染みるし、雪の玉が毛糸にくっつきボコボコでした
スキー靴は革で出来ていて、やはり雪が革に凍みて冷たかった~
スキー靴はヒモで結ぶのですが、ヒモが凍ってガチガチになるのと
手がかじかんでしまうのとで、子供にはなかなか旨く結べなかったです
スキー板の金具も今より簡単な作りでしたから…
スキー板が脱げて、板だけゲレンデを滑って行くのを防ぐ為に
スキーの板と靴をヒモで結んでいました
板の裏にはスキー用のロウを塗るのですが…それが高くって…
よくバー様の仏壇からロウソクを拝借して塗っていました~
板に何にも塗らないと雪が付いて滑らなくなるので…
バー様に追いかけられながらも…ゲットしていました(笑)
何故そんなに大変な思いをしてまで
あんなにスキーが好きだったんでしょうね~(笑)
今の私なら、頼まれてもゴメンですもん。
あの…コツコツ登って一気に滑る爽快感と
そして…汗ばんだタオルを一気に背中から抜く爽快感と
絶対に魔のウサギ平らを征するゾ!っという気持ちでしょうかね~
そうそう、「ウサギ平ら」は3回チャレンジしまして…
一回目=雪だるま状になって落ちる(小学校高学年)
二回目=木に激突して脳しんとうを起こし鼻血を出す(中学生)
三回目=見事に下まで滑る(中学生)
「滑る王子様」のダンナ様の場合
一回目=見事に下まで滑る(小学校3年生)
だったそうです…
「ウサギ平ら~そんなに難しかったかな~???」
って言ってますから…
貧乏で何にもない時代でしたが…
楽しい事が沢山ありました~そんな不思議な時代でした
明日から3連休です(実は私だけ~ダンナ様はお仕事です)
なので…今日はリトルミイと茶々丸ちゃんの3人で
焼肉を食べに行く予定です~(叙々苑←高級焼肉店)
参加メンバーは、さて置き(笑)
貧乏で何もない子供時代よりも~
やっぱ、今が幸せじゃの~(ハハハハハ)←不純な大人発言
北海道は札幌市に生まれ育ったならば…
スキーが出来て当たり前…てな、お話は「ウソ」(笑)
札幌の学校では確かに授業で「スキー学習」なるものが
小学校・中学校・高校っとあります。
が…必ず滑れない生徒も居るのです(ハハハ)
だいたいスキー場に到着後、4班位に能力別に分けられます。
超上級者・上級者・中級者・初心者
それでもやっぱり札幌市ですから、上級者・中級者の人数が多いです。
以前に長野県志賀高原へスキーに行った時に
関西の高校生がスキー学習に来ていたのを見た時は
殆どの学生が初級者で中級者が少しいた程度でしたから
それに比べれば、やはり流石は北海道ってな感じです
私の場合は自分の住んでいる家の目の前がスキー場でしたので
とりあえず、中級者から始まり高校の時は上級者でした
家の目の前がスキー場っと言っても
スキー場のある山が目の前と言った方が正確です
つまり「スキーしてくるね~」っと家を出ると
スキーの板を肩に担いで、山を30分位かけて登るのです(笑)
勝手知ったる「我が家の山」ですから
バスや車の通る道では無く、最短距離で登る少し急勾配の登山道を登ります
この登山道を私が良く遊んでいた頃は
小さな小川とコンモリとした森に
小鳥に蝦夷リス、カッコーにキタキツネ
そしておやじのヒグマしか住んでいませんでしたが…
(よく猟友会の方々がクマ狩りをしていました~)
数年前に実家に帰った時には…民家が沢山出来ていまして
札幌市内の延長線っといった風情になっておりました(少し悲しい~)
さて、山道をテクテクと登って行きますと
目の前がパーッと開けてスキー場が忽然と現れます
今の私ならば…多分、途中で数回休み
スキー場へ到着時には倒れ込むと思いますが…当時は元気!
速攻でリフト券売場へ走ります!
リフト券売場の「おばちゃん」に挨拶をして~
足下を掘るのです
そうすると…必ず10円や20円は落ちているので
それを拾って1回か、旨く拾えれば2回分のリフト券を購入します
(確か…一回券=20円位…その後10円値上がりした時に友人と抗議しました)
それを大事にポケットにしまい込み
また、板を担いでスキー場の端を歩いて登ります(ハハハハ)
一番下から中腹までが第一ゲレンデ
ここまでが一本のリフトで登れます。
ゆるいなだらかな斜面なのでココまでは、たいがい徒歩で登ります
その上は左右に分かれ別々のリフトで登ります
右が第二ゲレンデ
少し急な斜面で、幅が狭くスリ鉢状になっています
左は第三ゲレンデ
このスキー場で一番の急斜面です
第一ゲレンデあたりで滑る全ての人々の視線を集めるゲレンデです
地元ガキンチョの間では…
魔の「ウサギだいら」っと呼ばれていました(笑)
(名前の由来等は不明です。漢字だと…平らかな~?)
ここを滑れたならば…イッチョ前!
日々…いつかは「ウサギ平ら」を制覇するぞぃ!との
決意と憧れを込めて…眺めておりました~(ハハハ)
たいがいは午前中に第一ゲレンデを徒歩で登っては、滑り
また登っては、滑りを繰り返し
昼時にはゲレンデの隅っこで雪のイスをこしらえ
ヨコッラショっと座りまして、青空を眺めながら握り飯を食べます。
その…美味しい事!世界一の握り飯です(中身は梅干し)
それと同時に朝、自宅を出る時に背中に入れて置いたタオルを
「サーッ!」っと一気に引き抜くのです!
汗をかいた背中が、入れておいたタオルを抜くことで
一気にヒンヤリとし爽快感を味わえるのです(笑)
吹雪いて寒い時は、このタオルが暖房の変わりもします
(昔の人の知恵ですね~)
午後になると、またぞろ板を担いで第一ゲレンデを登り
ここで…始めて拾ったお金で買ったリフト券を使います
第二リフトへ乗って
第二ゲレンデから一番下までノンストップで滑り降りるのです!
そうして午後3時位まで遊んで
行きは板を担いでエッチラオッチラ登って来た登山道を
今度はスキーで自宅の玄関まで滑って帰るのです(学校では禁止事項)
あの頃は手袋は毛糸のボッコ手袋(指の無い手袋)
冷たい雪が手に染みるし、雪の玉が毛糸にくっつきボコボコでした
スキー靴は革で出来ていて、やはり雪が革に凍みて冷たかった~
スキー靴はヒモで結ぶのですが、ヒモが凍ってガチガチになるのと
手がかじかんでしまうのとで、子供にはなかなか旨く結べなかったです
スキー板の金具も今より簡単な作りでしたから…
スキー板が脱げて、板だけゲレンデを滑って行くのを防ぐ為に
スキーの板と靴をヒモで結んでいました
板の裏にはスキー用のロウを塗るのですが…それが高くって…
よくバー様の仏壇からロウソクを拝借して塗っていました~
板に何にも塗らないと雪が付いて滑らなくなるので…
バー様に追いかけられながらも…ゲットしていました(笑)
何故そんなに大変な思いをしてまで
あんなにスキーが好きだったんでしょうね~(笑)
今の私なら、頼まれてもゴメンですもん。
あの…コツコツ登って一気に滑る爽快感と
そして…汗ばんだタオルを一気に背中から抜く爽快感と
絶対に魔のウサギ平らを征するゾ!っという気持ちでしょうかね~
そうそう、「ウサギ平ら」は3回チャレンジしまして…
一回目=雪だるま状になって落ちる(小学校高学年)
二回目=木に激突して脳しんとうを起こし鼻血を出す(中学生)
三回目=見事に下まで滑る(中学生)
「滑る王子様」のダンナ様の場合
一回目=見事に下まで滑る(小学校3年生)
だったそうです…
「ウサギ平ら~そんなに難しかったかな~???」
って言ってますから…
貧乏で何にもない時代でしたが…
楽しい事が沢山ありました~そんな不思議な時代でした
明日から3連休です(実は私だけ~ダンナ様はお仕事です)
なので…今日はリトルミイと茶々丸ちゃんの3人で
焼肉を食べに行く予定です~(叙々苑←高級焼肉店)
参加メンバーは、さて置き(笑)
貧乏で何もない子供時代よりも~
やっぱ、今が幸せじゃの~(ハハハハハ)←不純な大人発言