さて…お天気の良い平日に、会社を休んで出かけた「手塚治虫展」
総勢9名の中高年婦女子がJR総武線「両国駅 西口」で待ち合わせ
まずはひとまず何をおいても…「腹ごしらえじゃろう」
っと向った先は第一ホテル二階の「東天紅」
早めに到着し有名中華料理店の前に群がり待つこと数分
中高年婦女子の悲しいサガか…
「一度座ると立つのに時間がかかる」ってな状況を
2時間かかってやっとこさ乗り越え
ついに…ついに…やって来ました「江戸東京博物館!」
引き伸ばしておるのは、お前じゃろう~ってなクレームは一切無視し~(笑)
なんかスゴイ建物じゃの~~っと思った。
江戸って名前に付いておると…古いってなイメージが付きまとってしまい
まさか…こんなに近代的な建物とは思いもせなんだ
私の写真じゃ解らんだろうから、ウィキペディアから引っ張った写真を載せとく
高床式?
ビル風に年間維持費の問題もかかえておるらしいが…
ちょっとワクワクするような建物に、手塚治虫展への期待度がUPする(笑)
「きゃ~~~! アトム君~!」
君と初めて会った時は「たのしい幼稚園」だったね~~
そのあとすぐに日本初国産テレビアニメとして登場したときはビックリした~
白黒だったもんで、君の靴が赤だと知った時も驚いたな~
中学生のころ、古い「少年」っていう雑誌で、
ロボットを率いて人間と戦うアトム君を見た時も驚いたよ
君もアトム大使のころからだから、今年の4月で58歳か~
未だに猪木パンツはいて、頑張ってるよな~~
さて…もちろん手塚治虫展は「写真撮影禁止」(笑)
よって、地方の方や、行きたいけど行けない~ってな方は
コチラ(虫さんぽ)をご覧下さい~
で、私のブログではこの日買ったグッズの紹介をば致します
80周年限定のポストカード8枚組セット
リボンの騎士はテレビで見ておったが…
展示してあった漫画を読むと…
サファイアは男の恰好が嫌いだったらしい????(ビックリ)
テレビアニメではチンク(天使)が間違ってサファイアに男の魂を入れてしまい…
たしか…女の恰好を嫌がっていたような…(ハハハハハ)
ジャングル大帝レオの最終回漫画も展示してあった
それを見て、またまたビックリ!(笑)
雪山での過酷な探検旅行で盲目となっていたレオは、ヒゲオヤジを救うべく
自らの命を絶ち、その肉をヒゲオヤジに食べさせ彼を救うのだ
そうしてレオの父であるパンジャがそうであったように
レオも毛皮だけが最後に残るのである
ジャングル大帝の第一回目でレオの父パンジャは土人たちに肉を食べられ
毛皮だけが残される。過酷なようでそれが自然なのだよ。っと
手塚治虫氏は言いたかったのだろうか?凄いストーリーだったんだ…
改めて感服した
こちらも80周年記念のメダル(笑)
こちらは今回の展示物を収録した図録
コチラは…なぜか水木しげると手塚治虫のコラボ作品(ハンカチです)
手前の塗り壁が笑える~(アハハハハハハ)
今回買った図録の中から…
手塚治虫氏の自画像。
展示室を入って行くと…ほどなくマグマ大使とゴアの着ぐるみが置いてあった
私しゃ…マグマ大使も手塚作品とは知らんかった
考えてみれば…今、アニメと言えば宮崎駿作品っと子供らが言うよりも
もっと、もっと、私らは手塚作品に囲まれて育っていた
懐かしいという枠を遥かに超えて…
人間形成の一部を手塚氏に補ってもらっていたのかもしれん
子供のころに、こんなに手塚作品に生で触れることが出来て
私は幸せだったんだの~っと、しみじみ思った
一通りグルっと見て…他のメンバーはと見れば…
皆さん真剣な眼差しで展示作品を見ておる
私はと言うと…サッサと会場を後にし…グッズ売り場へと走った(ハハハハハ)
あるは、あるは…お宝の山であった(笑)
こんなに沢山の手塚治虫記念グッズに、初めて出くわした
色々とグッズを買い漁り…手塚作品の漫画を立ち読みしながら待つこと30分
やっと皆さんが出て来たので合流(アハハハハハ)
漫画の立ち読みに没頭し過ぎて、皆さんが出て来たのに気付かず
幹事の夜さんから電話を頂いてしもうた(ごめんなさい~)
「80周年手塚治虫展記念図録より」
1928年11月3日大阪豊中市生まれ。5歳から兵庫県宝塚市。
13歳の時、太平洋戦争勃発。1989年2月9日胃がんにて死去。享年61歳。
本人に病名は知らされてはいませんでした
昏睡状態に陥り、意識が快復すると仕事をするために「鉛筆をくれ」っと
言っていたそうな
「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」「火の鳥」が未完。
展示物の中に、手塚氏作成の学生時代のノートがあった
可なり精密な絵が挿入されたノートであった
手塚氏は自分の絵のことを「絵ではなく記号」だと言っていたのを覚えている
デッサンにコンプレックスを持っていたらしい
手塚先生。そんなこと全然ないっす。
あの、子供のころに見た手塚先生の絵を
こんな中高年になって見ても、十二分に感動しましたがな
とっても上手な絵だと感服しました
私なんぞに言われても嬉しくも、なんともないと思いますが
でも、本当に夢を「ありがとうございました」
安らかにお眠り下さい。また、どこかでお会いしたいものです(笑)
そんな風な思いを抱き、江戸東京博物館を後にしました
会社を休んで…エエ~時間を持てたな~~
一緒に参加したネットで知り合った皆様。
楽しい一時を一緒に過ごせて嬉しかったっす。ありがとうございました。
ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)
総勢9名の中高年婦女子がJR総武線「両国駅 西口」で待ち合わせ
まずはひとまず何をおいても…「腹ごしらえじゃろう」
っと向った先は第一ホテル二階の「東天紅」
早めに到着し有名中華料理店の前に群がり待つこと数分
中高年婦女子の悲しいサガか…
「一度座ると立つのに時間がかかる」ってな状況を
2時間かかってやっとこさ乗り越え
ついに…ついに…やって来ました「江戸東京博物館!」
引き伸ばしておるのは、お前じゃろう~ってなクレームは一切無視し~(笑)
なんかスゴイ建物じゃの~~っと思った。
江戸って名前に付いておると…古いってなイメージが付きまとってしまい
まさか…こんなに近代的な建物とは思いもせなんだ
私の写真じゃ解らんだろうから、ウィキペディアから引っ張った写真を載せとく
高床式?
ビル風に年間維持費の問題もかかえておるらしいが…
ちょっとワクワクするような建物に、手塚治虫展への期待度がUPする(笑)
「きゃ~~~! アトム君~!」
君と初めて会った時は「たのしい幼稚園」だったね~~
そのあとすぐに日本初国産テレビアニメとして登場したときはビックリした~
白黒だったもんで、君の靴が赤だと知った時も驚いたな~
中学生のころ、古い「少年」っていう雑誌で、
ロボットを率いて人間と戦うアトム君を見た時も驚いたよ
君もアトム大使のころからだから、今年の4月で58歳か~
未だに猪木パンツはいて、頑張ってるよな~~
さて…もちろん手塚治虫展は「写真撮影禁止」(笑)
よって、地方の方や、行きたいけど行けない~ってな方は
コチラ(虫さんぽ)をご覧下さい~
で、私のブログではこの日買ったグッズの紹介をば致します
80周年限定のポストカード8枚組セット
リボンの騎士はテレビで見ておったが…
展示してあった漫画を読むと…
サファイアは男の恰好が嫌いだったらしい????(ビックリ)
テレビアニメではチンク(天使)が間違ってサファイアに男の魂を入れてしまい…
たしか…女の恰好を嫌がっていたような…(ハハハハハ)
ジャングル大帝レオの最終回漫画も展示してあった
それを見て、またまたビックリ!(笑)
雪山での過酷な探検旅行で盲目となっていたレオは、ヒゲオヤジを救うべく
自らの命を絶ち、その肉をヒゲオヤジに食べさせ彼を救うのだ
そうしてレオの父であるパンジャがそうであったように
レオも毛皮だけが最後に残るのである
ジャングル大帝の第一回目でレオの父パンジャは土人たちに肉を食べられ
毛皮だけが残される。過酷なようでそれが自然なのだよ。っと
手塚治虫氏は言いたかったのだろうか?凄いストーリーだったんだ…
改めて感服した
こちらも80周年記念のメダル(笑)
こちらは今回の展示物を収録した図録
コチラは…なぜか水木しげると手塚治虫のコラボ作品(ハンカチです)
手前の塗り壁が笑える~(アハハハハハハ)
今回買った図録の中から…
手塚治虫氏の自画像。
展示室を入って行くと…ほどなくマグマ大使とゴアの着ぐるみが置いてあった
私しゃ…マグマ大使も手塚作品とは知らんかった
考えてみれば…今、アニメと言えば宮崎駿作品っと子供らが言うよりも
もっと、もっと、私らは手塚作品に囲まれて育っていた
懐かしいという枠を遥かに超えて…
人間形成の一部を手塚氏に補ってもらっていたのかもしれん
子供のころに、こんなに手塚作品に生で触れることが出来て
私は幸せだったんだの~っと、しみじみ思った
一通りグルっと見て…他のメンバーはと見れば…
皆さん真剣な眼差しで展示作品を見ておる
私はと言うと…サッサと会場を後にし…グッズ売り場へと走った(ハハハハハ)
あるは、あるは…お宝の山であった(笑)
こんなに沢山の手塚治虫記念グッズに、初めて出くわした
色々とグッズを買い漁り…手塚作品の漫画を立ち読みしながら待つこと30分
やっと皆さんが出て来たので合流(アハハハハハ)
漫画の立ち読みに没頭し過ぎて、皆さんが出て来たのに気付かず
幹事の夜さんから電話を頂いてしもうた(ごめんなさい~)
「80周年手塚治虫展記念図録より」
1928年11月3日大阪豊中市生まれ。5歳から兵庫県宝塚市。
13歳の時、太平洋戦争勃発。1989年2月9日胃がんにて死去。享年61歳。
本人に病名は知らされてはいませんでした
昏睡状態に陥り、意識が快復すると仕事をするために「鉛筆をくれ」っと
言っていたそうな
「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」「火の鳥」が未完。
展示物の中に、手塚氏作成の学生時代のノートがあった
可なり精密な絵が挿入されたノートであった
手塚氏は自分の絵のことを「絵ではなく記号」だと言っていたのを覚えている
デッサンにコンプレックスを持っていたらしい
手塚先生。そんなこと全然ないっす。
あの、子供のころに見た手塚先生の絵を
こんな中高年になって見ても、十二分に感動しましたがな
とっても上手な絵だと感服しました
私なんぞに言われても嬉しくも、なんともないと思いますが
でも、本当に夢を「ありがとうございました」
安らかにお眠り下さい。また、どこかでお会いしたいものです(笑)
そんな風な思いを抱き、江戸東京博物館を後にしました
会社を休んで…エエ~時間を持てたな~~
一緒に参加したネットで知り合った皆様。
楽しい一時を一緒に過ごせて嬉しかったっす。ありがとうございました。
ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)