PTA?ってなぁに??って考える”おやじ”のブログ (随時更新中!?)

PTA活動に関わりを持ってみる皆さん・・好きな方も嫌いな方も・・お父さんもお母さんも・・ちょっとPTA談義しませんか?

090610 『 好況の時ほど恐ろしい 』・・・・ 貴重なご意見ありがとうございました。

2009-06-10 06:40:58 | PTA進化論シリーズ
『 好況の時ほど恐ろしい 』
景気が良いからと安心すると、不景気に転じたとたんに行き詰まる。
注文が多い時こそ気を引き締める。
安定している時ほど、無駄や浪費はないかと振り返る。
まさかの時の備えを、普段から怠りなく進めておこう。

朝、PCのSWを入れて・・・ブログ村を訪問(下のボタンが投票でランキングになります。)
久しくPTA活動では1位だった・・・(嬉笑)
今朝は・・・2位でした。(1時間ごとに経過しながら夜の12時で切り替わり)
白いボタンを押して戴いてつく“INポイント”・・・これがそのままランキングへ反映
外部からの訪問者でつく“OUTポイント”・・・
この1週間・・・史上最高のHIT数にも関わらず・・・・
“OUTポイント”は、ここ1週間で昨日が一番多い!?(笑)

にも拘らず、という事は・・・・
読んでいただける方・・・
訪問者は、多いけれど・・・・押していただけない方が多い!?(悲笑)
以前書きましたが・・・
今の訪問者の数であれば・・・
半分の方が押していただけるだけで・・・ぶっちぎりの教育ブログでのTOPへ??って

ところが・・・現状!?
最新のコメントに戴いた、名無しさんのご指摘・・・・この点点点(笑)
何の意味が?・・・
実は、この点点点は、原則は文末につけて最後は想像の域に!?というニュアンスです。
想像の域??
という事は、読み手によって○もあれば×もある??ってこと・・・
(この場合は、なんですか?と質問系の略(笑))

文章の途中にある場合・・・こういう場合ですね。
これは、本当は改行をしたいところ・・・でもそうするとやたらボリュームだけが増えてしまうので
基本は、ワードの原稿A4で2P・・・・出来る限り改行を減らして詰め込みたい!?
なので・・・今と同様に点点点で改行分の余白を確保している状態なんです。

もう一つのブログをご覧になっていますかねぇ?
そちらは、点点点の文章中の使用率がこちらよりも低くなっています。(笑)
(ここ何回かは、まち探検東京編でシリーズになっているので長めの文章なので点点点が登場中?)
(あちらのブログは、A41Pに収めたいって言うのが・・・自身の中でのルール?なので(笑))

すみません・・・・・
変なこだわりで・・・今後は、ちょっとだけ意識してみますね。
もう1点、私のブログは、話をしながら書いているという感じです。
なので・・・この点点点が、“間”的なニュアンスもあるといえますね。
頭の中で考えて、整理して、それを表現という形ではなく・・・・おもったまま??
なので・・・余計に多くなる。

以前、読み手に優しいブログにした方が?って考えた時期もありました。(長さも含めて)
今、そんな時期の悩み?をはるかに通り越した長さになっていますね。
ただ、名無しさんから頂いたご意見・・・
読まないでサヨナラって言ってしまえばそれまで・・・・
貴重なご意見として、ありがたく頂戴します。
特に携帯でお読みの方は、大変でしたね。
出来る範囲で意識して書いていきたいです、よろしくお願いします。(特に文章中は)
ありがとうございました。

さて、
僭越ながら・・・ (PTAのあり方とは・・)さんからコメントを戴きました。
ありがとうございました。
貴重なご意見です。
私が持論を展開する時は、思いのまま突っ走っている時です。(笑)
これが良い悪いという論点ではなく、私はこう思う・・・・
だから、◎なんだ!っていう時ですね。

冷静なご意見・・・
>「入退会は自由意志に基づく」ことを会則に明記する。ここが会と保護者にとって「大切な一歩」となるのではないのでしょうか?


おっしゃる通りです。大切な一歩・・・
ただ、表記の部分については、自由意思という部分のニュアンスが分かれると思うので違う形が?
入学説明の時点で、あるいは入会式の時点で説明ができればよいと私は思います。
違う組織での話ですが、役員が決まったので!?退会します!!って・・・
それも自由意思ですよね(笑)
会則にその文言を明記するってことは、そう言う事も自由ですよって言うニュアンスに!?
えっ!?って・・・
でも、言葉にする重さって、あるとおもいます。
自由意思って言う部分の解釈の見解!?・・・・
会則そのものは、多少フレキシブルな対応ができ、かつ方向性が見えるものがよいのかなと・・

>貴方様はPTA法による法制化と100%加入が当然と言及しておりますので「過去の話」では無く、
現在進行形なのではないのでしょうか。勿論、貴方様が教育委員のお立場でなければ、このような書き込みは致しませんが・・。

子を持つ親・・・
あるいは保護者・・・
それにはもちろん教職員も含まれる・・・・・
もっといえば地域の皆さんも・・・
PTAという枠ではなく・・・
“地域の子は地域で育てる”という意味合いでのみんなで!という考え方がベースに!?

>組織であるから会則が存在する。だから法令遵守義務を守る。
その上で組織的活動をするようにすべきなのではないのでしょうか。

この辺りのイニチアチブを、市P連や県P連あるいは日Pにとって欲しいなって思います。
現実的に、会則という部分の内容は千差万別の様で…
以前、私が市P連会長当時の研修委員長がそのあたりのひも解きを行いました。
当時の研修委員(各単位PTAから1名出向)全員に会則をみよう!って・・・
その号令のもと、初めて会則を手にした本部役員も多々?・・・
その目的から内容までをQ&A形式でまとめて・・・

なぜ?こんなかつどうを!?って言う部分から・・・
まさに最初の一歩から考える活動をしたことがありました。
私は、市P連という横の連携の中心?あるいは外郭?となる団体は・・・
こういった共有しながら実は、その違いを認識できる具体的な活動って大切だなって・・・
その時に強く感じました。

>>教育基本法勉強会とか・・・・ 法律の勉強会、いいですね。必要性を感じます。
>100%加入を目指すことは当然かと思います。が、それを背景に再び暴走がないようなシステムの構築について、単Pレベルの話に留まらず、市及び県、
>そして県Pや日Pの事務を所管する県教委と文科省が検討する必要があるものと考える次第です。それがPTAという全国組織の責任であると思います。

おっしゃる通りです。
勉強会もどんどんやってほしいなって思いますねぇ・・・

>またまた長い文章になり、申し訳なく思います。是非御一考願えたら幸いに存じます。
(もう書き込みません。すみませんでした。)

またまた?・・・・
以前も?(笑)
もう・・・・なんて言わないでください。

私が何でランキングの話をするのか・・・・
ここが教育ブログのTOPになって・・・
PTAのあり方とは・・・(この点点はお名前(笑))さんやここにお越しの皆さんと喧々諤々・・・・
それが・・・・
PTAへの一石になれば・・・
などと妄想を描いています。(笑)

ただ、色々な方が訪問することにより・・・
もしかすると・・・
私の自由度は、余計に狭くなる可能性がありますが・・・・
えっ?いまでも自由・・・(笑)
色々な部分で加減しています。これでも・・

ははは・・・
改行が多い、こういう状態になってしまうので文章中に点点点が・・・
でも、携帯だとこれの方が断然読みやすい(笑)

すみません・・・・・
長くなりましたね。
この場でどこまで議論できるのかは分かりません・・・
でも皆さんの意見は、貴重なご意見です。いつでもどうぞ・・・お待ちしています。(^-^ゞ

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090609 PTA進化論シリーズその9に・・・・ PTA??・・・そしてPとTの関わり?

2009-06-09 06:27:46 | PTA進化論シリーズ
『 石も生きている 』
石は生物ではない。代謝や生殖の機能はない。
けれども石にも「はたらき」がある。
ちゃんとその形を保って、そこにある。
「はたらき」があるから生きている。
一個の石の中に、万物の「いのち」が見えてくる。

この言葉のまんまですね・・・
生物ではない“石”にも・・・・「はたらき」・・・その中に万物の「いのち」が・・・
だもの・・人間には・・・生きている人間には・・・『無限のはたらき』・・・・が
でも“いのち”は・・・『たった一つの“いのち”』・・・なんですね。かけがえのない・・・

さて・・・・今日のお題は・・・
片岡小PTAバザーの話って思っていましたが・・・
コメント欄に沢山のコメントを戴いていますので・・・その話を・・・
まずは・・・色々な貴重なご意見・・・ありがとうございました。m(_ _)m

まずPTA進化論のその9を張ります。
PTA進化論⑨  2009.2.24 中国新聞など
PTAは自由に入退会できると周知すべきだと言うと「PTAが壊れる」と恐れる人がいる。
確かに、もしPTAがなくなったらというのは、考えてみるべきテーマだ。
「PTA再活用論」を書いた時点では知らなかったのだが、PTAを廃した学校が、比較的近所にあった。
西東京市立けやき小学校。
2001年、学校統合で創立した際の副校長で、その後校長として都合7年間、管理職だった児玉健二氏によれば、統合した際、既存のPTAの存続について「保護者からの希望も少なく、学校としても求めなかった」そうだ。
PTAが消えて、何か問題はあったのか。
「特に不都合はありませんでした」と児玉氏。
「保護者に協力をお願いしたいときは担任を通じて呼び掛けるんです。本当に必要なことなら保護者は動いてくれるものですよ」
なるほど、そりゃそうだ。
目からうろこが落ちるような回答だった。
学校にとっては問題なくとも、保護者にとってはどうか。
まず「役員決めの壮絶なストレスから解放される」のは何はともあれ巨大なメリット。
一方で「保護者同士が顔見知りになり、教員との信頼関係を醸成する」PTAの基本が損なわれることはないだろうか。
児玉氏の回答は楽観的なものだった。
「PTAはなくても、保護者は自発的にクラスごとの集まりを持っていました。担任と話し合ったり、授業の補助に入ったり・・・。保護者間や教員とのコミュニケーションが悪くなることはなかったですね」
以前、PTAでの信頼関係があったがゆえに、学校での事故をむしろ学びの機会にできた自分の体験を述べた。
考えてみれば、あれはPTAである必然性はないのだ。
児玉氏は最後にこう締めくくった。
「無理に束ねると教員も保護者も自立できないんです。PTAがないがゆえに、それぞれ立場の違う大人として向き合える、ということもあります」
なんとも含蓄のある言葉。
今のままのPTAは「進化」が必要だとますます思うのだ。
(作家 川端裕人)

とあります。
そして戴いたコメント・・・・
いくつかの事実誤認 (カワバタヒロト)
>こんにちは。
>自説を述べるのに、「すみません……」始めることはないのではないかと思いますよ。
>自説なのですから、自信を持って述べてください。

なるほど・・・おっやる通りで・・・
ただ、カワバタさんの文章に対する持論(自論?)ですから・・・
文章に関してはプロとアマ・・・同じ土俵って言う部分ですら失礼?(笑)・・・そんな気持ちから出た言葉です。

>さて、事実誤認ではないかと思えるところがあります。
>自由に入退会できるかどうか、というのは、制度設計の問題ではなくて、事実です。
>会則になんと書いてあろうと、少なくとも、会員にまだなっていない新入生の保護者には拘束力はありませんし、みずから「退会する」と宣言した人にも拘束力ありません。
>ぼくが常に言っているのは、そういったことをきちんと言わねばならないだろう、ということです。

その通り・・・拘束力はない・・・
それと同時に説明の仕方についても拘束力がないのかなって思います。・・・
パワハラ?の感情は、人それぞれなので・・・
きちんと説明・・・入退会は任意ですよっていう事実が伝わっていれば…
まずは、最初のハードルはクリアー?なのかなって
その後の説明の仕方や周りの皆さんの空気?って言う部分までは・・・議論は??
説明に関しては・・・・説明をすれば終わりなので・・・
そこでちゃんちゃんってしないと・・・きりがない

そう言う意味での最初の一歩は・・・説明という次元はクリアーしているという前提で・・・
今後は、考えていきたいです。
現実・・私が、全国行脚して説明して回るわけではないので・・説明したかの確認をするわけでも(苦笑)
ただ・・・
説明はするべきですって・・・そう言う機会の時に言うくらい?でしょうか・・・・
ということでこの件は・・・私の中では過去の話になりました。

>その上で、PTAでなにをやるか、というのはまた別の問題です。
>どしどし素敵な活動をしてください。
>PTA悲劇を(岩竹さんの論文に描かれるような)回避しつつ。
>ゼロベースからのPTAの創出というのは共感いたします。

PTAでなにをやるか?
そう・・・本来はその議論?をしたいんです。・・・・
ただ、その議論をPTAという組織全部が一斉に取り組むべきことなのか?
個々の単位PTAで考えていればいいことなのか?
はたまた・・・
PTA?って・・・
組織としての根本の部分のなぁに?って言う部分・・・から・・・・

元々は・・・この部分から始めて迷宮にいつも入りこんでいる状態で・・・

あっ・・・1点だけ・・・岩谷さんのケースも・・そこだけのケースであり・・
実際・・・私のところではあまり遭遇しないケースもあるという事をお伝えしておきます。
PTA・・・
ボリュームも内容も・・・まったく異なる・・・単位PTAによって・・・・
個々の活動・・・・活発だから大変というわけでもないし・・・・
あまり活動しないから“楽”というわけでもない!?・・・・
大切なのは、どんな思いで取り組んでいるのか?なのかなって思います。

自発的に・・・そうまさにボランティア精神の様に・・自ら活性化や充実化を・・・
逆に過去の亡霊に捕らわれて・・・可哀想なくらい不自由な活動に・・・そして負担感ばかり
何もしない=楽・・・という部分で確かにその通りの実践・・・・
で・・・仲間意識やら熱い思いを持たないで終わる・・・これをよしとする?これを不満とする?
まさに・・・何がよくて何が悪いのか?・・・
ややもすると・・・同じPTAだって・・・1年、2年経てば・・・カラーがすっかり??も

そう考えると・・・本当に正解がない・・・
恒久的に使える・・・耳触りのよい言葉が“子どものために”・・・って・・・
それをPTAの代名詞にして・・・・
そうなると・・・
PTA活動が、直接的に子どものために?って・・・

その子どものため?という解釈で・・・・またひと騒動!?(笑)
子どもと過ごす時間が一番だって考える人・・・
それは・・子どものためって言いながら・・・子どもを留守番させて・・会議・・・・
挙句の果ては懇親会!?・・・・って・・・それはおかしいって
確かに・・・正論・・・・
だからと言って・・・懇親会を全否定は・・・ちょっと乱暴なのかなって思います。

ちなみに私は・・・懇談会って表現を使います。
話をする・・別に親しくなるわけじゃあなくて・・・ざっくばらんにみんなで・・・
なので・・・
私は、漢字一文字で自分の気持ちを表現って・・・手法をよく使いました。
その場にいる人たちみんなとの時間の共有がそこで・・・
懇親会という名前で・・PTA・・・私は必要以上に親しくなる必要はないのかなって(笑)
むしろ・・・懇談で・・・ワイワイガヤガヤが好きです。

ただの飲み会なら・・・・逆にやらない方がよいって・・・私は思います。
多いのが・・・お疲れ様でした。という意味をこめた反省会・・・
特に私の会長時代は・・・その過程は・・涙と汗の世界だったので・・・打ち上げ?は・・・
達成感と充実感の確認の場面であった!?・・・・
それが子どもため?って聞かれると・・・
私は、この実践を通して“親力”のUP・・・“親業の充実”・・・・
その結果・・・家庭へ・・・子どもへ・・・という感覚が強かったのかもしれません・・・・

私は、本来は・・・PTAという名がつくなら・・・
PとTが・・・合同研修をしたり・・・
もっとTを知るって言うところを充実した方がよいのかなって思います。

教育基本法勉強会とか・・・・
新学習要領とか・・・・
突っ込んだところまで・・・真剣に勉強?だって・・・ありかなぁって
PTAの歴史を勉強して・・・
それこそ・・・
新しい・・・PとTの関係の創出を議論したって・・いいのかなぁって

実は、PTAといいながら・・・
校長はともかくとしても・・・
実はPとTって近くて遠い存在なのかなって気がしています。・・・・
会長と校長は・・・・ある意味一心同体的なイメージも(PTA活動に関しては)

話を元に戻しますね・・
学校と保護者の関係・・・・
カワバタさんのよく言う学級単位・・・これは担任と軸といた保護者との関わり・・・
その部分で◎なのかなって思います・・・
そこにPTAって言う組織はいらない・・・(私の持論)
もっというと・・・
ここに関しては・・・その担任を全面的に信頼する!!ってことですね。
それだけ・・・

そりゃあ色々な先生がいます・・・
でもまずは信頼・・・が基本・・・
ただ、道義的に問題がある?(笑)法律的にも??ってなった場合は即相談ですね。
それこそ・・・
校長に直談判でもありなのかなって・・私は思います。(笑)
ただし・・・
それは・・・一人で行う事・・・
自分の意思で・・一人で・・・
周りを巻き込んでや騒ぎにするのはNG・・・絶対NGです。

このNGだけ守れるのであれば・・・校長室のドアをノックしてください。
校長・・・その節は・・よろしくお願いします。(*^_^*)

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090608 PTA進化論シリーズその8 すみません・・・・・私の持論です。

2009-06-08 06:03:45 | PTA進化論シリーズ
『 前向きの人生に失敗はない 』
失敗は成功の母という。
しかし、それには条件がある。心が明朗であること。
済んだことを悔やまず、未来を憂えず、
「いま、ここ」に全力を注ぐ。グズグズしている暇はない。
船首を波に向け、風に向けて歩を進めよう。
おのずと成功への道が拓けてくる

『 前向きの人生に失敗はない 』・・・・そう願いたいし・・・そう実践したいです(*^_^*)

PTA再活用論の続きに行きます。

業務連絡?を何点か・・・・
備忘録の・・・まち探検(広域)バージョン・・・(東京ドーム観戦)は違うブログに記載しました。

コメント欄のカワバタさんのご紹介の岩谷さんのお話し・・・
PTAを(が?)どうしてそんなに難しい話に??・・・が正直な感想です。
過日の可哀想っていう感覚から・・大変ですねぇって感覚になりました。・・
(逆に言えば・・なんでいつもあんなに熱くなっているの!?って・・・私に対して感じる方も(笑))

あっコメント欄には、皆さんの思いでご自由にどうぞ・・・
公私混同?内容が混同?でも・・・ここでは結構ですよ・・私のブログ自体がそうなので(笑)
いつでも皆さんのご訪問お待ちしています。
(ついでに応援“ぽちっ”って(笑)・・・教育ブログでランキングが足踏みです。(笑))

では・・業務連絡終わり・・・
PTA進化論⑧  2009.2.17 中国新聞など
PTAをいかに変えるかという点でぼくが強くこだわっているのが、強制加入の問題だ。
ほとんどのPTAでは十分な説明もせず、新入生保護者を自動的に会員にする。
入居届を受理して会員とすることもあるが、「入会しない」に○を付けようものなら、役員や担任が説得にかかる。
これでは「強制加入」と言われても仕方ない。
低学年の保護者は、おかしいと感じることが多い。
けれど、そのうちに誰もが現状に慣れる。
所与のものとして、強制だろうが、波風立てずにやるのが当たり前になる。
これが非常にまずいと思うのだ。

常時1,000万人以上がかかわる活動で、保護者が「強制されることを無理に納得する回路」を発達させていくのだとしたら、われわれの社会は後々どんな方向に進んでいくのだろう。
PTAは本来の社会教育関係団体として、「入退会は自由」と自ら述べるべきだ。
入会しない人、退会者が出てもいい。
いや、むしろ望ましい。
団体に所属するか決めるのは当然の権利だし、元来すべての人が賛同できる団体などあり得ない。
このことを徹底するだけで、PTAは変わりうる。
「PTAのための会員」ではなく「会員のためのPTA」だと自覚できる。

「え?PTAは子どものためなのでは?」という人には、「何が子どものためになるか」議論し大人が考えを深めていくところから始まるのがPTAであって、保護者自身の成長を子どもに還元するのが本来の発想だと指摘しておく。
入会者が極端に減ると、行政に相手にしてもらえなくなる可能性もあるが、何年に一度あるかわからない積極的な要望のために無理な組織を維持するのもばかげている。
むしろ、個別の問題に対して、賛同する保護者がその都度ネットワークをつくり、活動する方がずっと自然だ。
保護者同士の風通しのよい共同体が普段から成立していれば、難しいことではない。
自由な入退会の徹底、PTAの進化形には外せない条件だ。
(作家 川端 裕人)

以上が8回目の掲載の全文です。・・・・

個人的に思うのは・・・・仲良し集団・・・仲良しが集まって仲良くって・・たしかに楽!?
でも・・・
いろんな人が集まって・・・喧々諤々?・・いろんな意見やいろんな思いもそこに!!
今はそんな状態!?なのかなって
PTAに正解はない・・・・100%な結論や結果もない・・
だからいい・・・
そこがいい・・・

賛同する人だけ集めて・・・
組織をつくって・・・みんなの総意だ!って・・・
仲良しグループを作るなら・・・それもありかなって思いますが・・・
子どもたちには・・・
仲良しグループで学校に行くか行かないかの選択の権利って??
学校に入会する入会しないの権利?って

そこに子どもたちがいるから・・・保護者もいるのであって・・・
子どもはいるけど・・・
保護者は知らん顔?・・・

一部の賛同する?人たちだけで・・・運営する組織!?って・・・
私は違うのかなって思います。
子どもは100%入会・・・
だったら・・その保護者だって・・・

問題は、そこに会費が発生すること・・・
その部分は、運営費のねん出や会費の件・・・それこそ総会で議論すればいいのかなって
子どもがいなければ・・・
PTAって・・・もしかして縁もゆかりもない組織!?(笑)
子ども為って言葉は・・・子どもの存在があるから・・・なのよ!って言う意味なのかなって

議論の争点は・・・
じゃあどういう運営をするのか?
何を目的に??
どういう関わりができるのか?
色々な個々の事情を・・・どうやって対応してくれるのか??

ボランティアであれば・・・こういう発想(発言)ってあまりないとは思いますが(笑)
ボランティアではなく役割っていう発言の部分はこの辺りにあります。

じゃあボランティアでやればいいんじゃんって(笑)
ボランティアでやる人(最初から出来る人)は・・・実はもうやっているんです。・・・色々な形で・・・
ボランティア予備軍の人たちをどうやって巻き込んでいくのか?
その部分が、この組織の課題なのかなって思います。(“気づき”の創出・・って言う部分で)

本部役員やっている人間がみんな暇だからって言うわけでもないし・・専業主婦でもない・・
男性役員で無職の人って皆無なのかなって思います。(働く意思がないという意味で)
子どもたちが通う学校・・・子どもたちの生活・・・子どもたちのもう一つの顔?
それが学校にはある・・・
その学校と家庭のかけ橋が・・・PTAなのかなって(別に名称は何でもいいです。)

そのかけ橋は・・・・私はなくなってはいけないと思います。
そして・・・
縁があって・・・
その子どもの世代を様々な年齢の大人の世代が・・同じ場所に・・・
人生の中で考えれば短い期間ですよね。

その期間・・・期間限定だからこそ・・・
関わりって大切なのかなって思います。・・・
個と個とのつながりは・・・・個人的な人間関係からでも可能・・・
それは子どもたちが友達を作るのとおなじ発想で・・・

保護者と教師が・・・本来は一つの器で・・・いい意味で切磋琢磨!?
これだと対立的?
じゃあ和気藹々・・これだと狎れあい?(笑)
でも対立よりかはいいですよね・・・
いい意味での緊張感やいい意味での刺激?・・・それも一つの器でないと・・・

『 前向きの人生に失敗はない 』・・・・
皆さん・・・・
立派な成人で・・・大人で・・子を持つ親である・・・
PTAの入会がどうのこうのなんてレベルで議論ではなく・・・

じゃあ何ができるの??・・・
私には時間がないんだ・・・どんな関わりがあるんだ??
この組織はこうあるべきだ!!・・・
子どものとって必要なものは!?・・・
私たちが“親”として必要なものは!?・・・

そんな・・・前向きな議論?話し合い?の機会?場?になってほしいですね。
その中で役員の問題にしてもそう・・・それこそみんなで話し合いをすればいい・・・
その話し合いの時間が惜しい?なら・・それこそ委任すればいい・・・
私は入会しないので知りません・・・・
趣味の世界ならそれもOKかもしれませんが・・・
子どもたちが通う学校単位での話なんです・・・
最低限・・・その関わりという部分だけは自覚して・・・いければって

時間が過ぎれば・・
その子どもが卒業してしまえば・・・・
関わろうと思っても・・・白い目で見られる?(笑)
“今”・・・なんですよねぇ・・・

えーと・・・PTA擁護ではなく・・・・
子どもと保護者と学校との関わり・・
その機会の創出を大切に!!って言う発言です。

別にPTAを“ゼロベース”にして・・・新しい形を創出でもOKです。(私は・・)
ただ少なくとも・・・
そこでまた入会の意思を問うとか?
好きな人が集まれば??っていう発想ではなく・・・・
その学校に通う・・・・子どもの保護者・・みんなって言う発想です。
そこが最初の一歩・・・

どういう関わりかは・・・・その大前提の上でみんなで考えるのかなって思います。
そして・・・
基本は、学校単位・・・ここが根っこのところ・・・って思います。
(ここから先の話は、また機会があれば…)

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090606 PTA進化論その7 いろいろ言葉に反応して!?・・・・思いのままに・・・

2009-06-06 06:56:16 | PTA進化論シリーズ
『 土は命のもと、生活の土台 』
すべての生命を載せ、育むのは大地である。
大地から生産したもの、
大地を掘って得たエネルギーによって、
私たちは生かされている。
大地への感謝を忘れていないだろうか。
土を汚していないだろうか。
地に足はついているだろうか。

2月の時にこの今日の言葉を掲載して(毎回自身の2月の所からコピーして貼っています。)
こんな画像のおまけがありました。(笑)自分ネタでこの画像の話を語っていましたね(笑)2

さて・・・脱線をしないうちに・・・・
PTA進化論⑦です。
PTA進化論⑦  2009.2.10 中国新聞など
PTAは母親にとって避けられない「通過儀礼」だ。
文化人類学的考察が必要かもと以前は書いた。
先日、国立歴史民族博物館の研究史(2006年3月号)に掲載された論文「国家の装置としてのPTA」を知った。
筆者の岩竹氏は民族学者で、学齢期の子を持つ母でもある。
中心的な問題意識はタイトルにあるように、今のPTAは国家が扱いやすい「国民」の生産装置として機能しているのではないかという懸念だ。

なぜか。
PTAはほとんどの場で従属的だ。
主体的な事業より、学校、教育委員会、自治体、警察、地域などで組織される事業や会議に組み込まれることが多い。
会員はPTAに入るだけで受身の役割の中に投げ込まれ、ならされていく・・・。
たとえば効果に確信がないまま自治体・警察の支援を受けて続けるPTAパトロールは
「目的や意味はよくわからず、強制する力がなければしないだろうことを逆らわずにする訓練」
「人がどういう態度で、強制されている行為をしているか学ぶ機会」と氏の目には映る。

最近よく語られる「地域との連携」についても、リベラルな市民を敵視し、「道徳的共同体としての地域の靭帯強化」を目指していると指摘。
英語圏で議論される共同体主義が自立した個人を前提としているのに対し、日本型の地域主義ではむしろ共同体の側に大きく振れて、従順な「国民」生産装置となりうるという。
「行き過ぎた個人主義」に対する嫌悪を語り、地域の再構築を目指す言説には、確かにそのような”香り”をぼくも感じる。
論文の結語は「PTAと関わり続ける保護者に力を与えられるような結びとしたいのだがむずかしい」と悲観的だ。
「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴をあけ、揺るがすべきだ」とも。
岩竹氏の説が的を射ているとすれば・・・どんなふうに穴を開けるのか、PTAにかかわる者の課題だ。
(作家 川端 裕人)

・・・・という形です。
民俗学者の先生ともなると・・・「国家の装置としてのPTA」などと・・・凄い発想を!?
私の経験したPTAという世界・・・(たかだか小学校の会長、市P連の会長、県P連の役員)
この程度の経験ではとても・・・そんな崇高な言葉!?の世界は経験できませんでした。(笑)
むしろ・・・
PTAという言葉の持つ広さや・・・複雑さ・・・そしていろんな個性!?というものに出会い
PTA?ってというタイトルにもあるように・・・
色々な切り口?色々な意味?色々な解釈?を・・・このたった3つのアルファベットは持っている?
まぁ、P(パッと)T(楽しく)A(明るく)もその一つですが(笑)

私自身が・・・PTAという世界?の中で・・・
色々な出会いや“気づき”を戴いた中で・・・厳密にいえば・・・役割・役職を通しての・・・
特にその役職の中で・・・参加した“物”には、それぞれ意味があるんだという事も知りました。
安全パトロール・・・・
効果に確信がないまま・・・・可哀想ですね。
過日中学校PTAの担当分にボランティア参加をして・・・
(過去ブログ 090604 地域安全パトロールに・・・中学のPTA安全ボランティアとして参加してきました。)

短い時間でしたが・・・一緒に回った5人(私を含む)・・・
元々は同じ小学校で役員等で顔見知りのメンバー・・・・近況報告やらバザーの話やらで
あっとういう間の時間に(笑)

効果は!?・・・・
皆さんが着用していたベスト・・・私が被っていた帽子と手にしていた警棒・・・・
5人という人数のボリューム・・・
この繰り返しが、結果空き巣や車上荒らしの発生率を減らした(数字で結果が)

普段お付き合いのないメンバー・・・今回のくくりでいえば片岡中PTA・・・・
それが会話ができる・・・次にどこかで会えば挨拶が出来るくらいの関係には・・・
『過日は、お疲れ様でした。』って
それが挨拶・・・わずかな人数ですが・・・それが顔が見える地域の一歩である。
そんなこと!?で・・・って

環境問題もそう・・・
私が照明一つ消したから・・・レジ袋を一枚返したから・・・・何の効果が??って
たった一つの行為からでは・・・その効果性を言われると・・・確かに・・
でも環境を考えるって・・・そういうもの?そう言う視点で?考えるものじゃあない!!

たかだか数名が・・・歩いたからって・・・・
この民俗学者の先生の目に映ったもの・・・・その言葉を見て・・思わず可哀想だって
すみません・・・・・
素直な自身の感情としての言葉です・・・
自身のPTA活動が国家の?って言うレベルの難しい話や思いではやっていませんが
PTAって・・・もっと小さな世界でいいのかなって思います。

基本は、一つの学校の校区・・・・それ以下でもそれ以上でもなく・・・・基本は・・
そしてそこからの連携や広がり・・情報交換は・・・その可能性は・・広がりのまま!?
逆にミニマムという単位では・・・
役割(内容という部分での委員会だったり専門部だったり)・・・切り口?的発想の!?
PTAという組織では・・・・大きな意味での枠を意識するだけでいいのかなって
それをことさら小さな単位で議論を始めると・・・
最終的は“個”という単位の感情やしがらみがでてきて・・・価値観の違いも・・・

もうちょっとおおらかで・・・ゆるやかに・・・楽しみながらでいいのかなって・・・
いいじゃあないですか?
その枠に入ったからと言って・・・100%加入したからといって・・・
実際100%で動いた例ってどのくらい?
少なくとも私の少ない経験の中では・・・実践という部分行動という部分では・・・
そんな話を聞いた事がない・・・・

それぞれの個々の事情や・・・都合で・・・さまざまな形態があった・・・
助け合いだったり・・・お互い様の精神もそこに・・・
自身の体調が悪ければお休み・・・でもそれを無責任だって責めて無理やり引きずり出す?
お子様が体調が悪いから・・・その役員さんが看病や付き添いでお休みをNGだっていう?
まぁ私の場合は・・・
風邪も天気も気合だった思っていますが(笑)あっ花粉症も(笑)2
逆に言えばそのくらい適当でよいのかなって・・・
この適当って言うのは、必要以上に神経質になって・・過敏に反応しないって言う意味で

誰も天気が気合いで動くなんて思いませんよね・・・バカバカしい話です。
そんなバカバカしい話を“気合い”だって信じている・・・・・
だからこそ・・・楽しみましょうって言える活動??でいいのかなって・・・

「枠組みの中での変革は微小なものにとどまり、結果的に現状維持につながる。むしろ、PTAという制度そのものに穴をあけ、揺るがすべきだ」とも。
岩竹氏の説が的を射ているとすれば・・・どんなふうに穴を開けるのか、PTAにかかわる者の課題だ。

うーん・・・・
たくさんの人がいて・・・たくさんの考えがあって・・・たくさんの実践が日々・・・
穴をあける・・・・
どこに?いくつ?どのくらい?どうやって?・・・
袋の中に水がたまっています。・・・
穴を開けて水を出して下さい・・・って

びりって破く人・・・はさみでコーナーを切る人・・・丸く穴を一つ開ける人・・
たくさんの細かい穴を開けてシャワーのように・・・同じ行為でも様々・・・・
でも穴を開けて水を出す行為は同じ!?(笑)
へ理屈ですよね・・・まぁ中には開けたくなっていう人だって・・・

PTAって・・・・小さな単位でも大きな単位でもこういった人たちすべての集合体・・・
そして気づきや思いを持った人もいれば・・・持たない人もいる・・・
きっかけがあれば持つ人も・・・それであっても無視する人も・・・
でも子どもたちは学校という器の中で成長していく・・その成長に合わせた組織がPTA
だからこそ・・・
色々な形態や関わりがあっていいのかなって思います。
PTAに正解はない・・・100%の答えもないって・・・・
呪文のようにいつも唱えています。(笑)

ただ、組織である以上は・・・ルールややり方のノウハウ集みたいなものはあっても
その形の一つが市P連?という個々の組織の横の連携を図る組織・・・
そこがある程度のルールやノウハウについては・・・情報提供してほしいですよね。
その情報を・・・
個々の組織の中で噛み砕いて・・・自身の個性とともに・・・実践していく・・・

それを・・・子どもたちの通う学校の保護者が“みんな”で・・・・
その“みんな”を考える時に権利と義務という言葉が・・・・
やりたい人が・・・・と言っても
じゃあ?・・・その最初のやりたい人は?って・・・
それを質問する人が必要??
その質問の過程で・・・・
同じ保護者同士の中での・・・役員VSの図式の対立が??

権利と主張・・・自由これは大事・・・・
義務と強制・・・これは自身の感情の部分も含めて整理なのかなって

すみません・・・・・難しい言葉や表現が出来る訳じゃあなくて・・・
思いつくままにただ単に活字にしているだけなので・・・

何が言いたいのか・・・
P(パッと)T(楽しく)A(明るく)・・・・これが基本!?
PTAは通過点?なのかなって・・・
子ども為・・・という発想ではなく子どもがいるから出来る・・・
でもそれは・・・
自分の為だと思います。・・・

色々な議論の争点は・・・自分の為って考えた時に・・・生じてくる・・・・・
本当の意味で、子どもの為なら・・・あまり議論には??って
しかもPTAは、素人集団・・・・
素人が素人を先導?船頭?・・・・だから色々な感情や思いがよけに錯綜!?
ルールとノウハウの整備が急務ですね。(実例としての)
そしてそのルールを守る?・・・生かすも殺すもそこに“今”関わっている人たちで
ノウハウは、知識や知恵の財産で・・子どもたちだって日々学習・・・
私だって・・日々学習してもいいのでは?って・・・

すみません・・・・・まとまりませんね・・・だらだらと・・・
でも、これが私の思いであり・・・伝えていきたいって・・・・
P(パッと)T(楽しく)A(明るく)も伝えられた受け売りだから・・・・(笑)

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090605 PTA進化論 その⑥ いろいろ話が飛んでしまって!?

2009-06-05 06:38:25 | PTA進化論シリーズ
『 人生は螺旋型に展開する 』
人生は山あり、谷あり。
堂々巡りのようでも、
螺旋階段を横から見たように、
実は上昇している。
地道な努力の歩みを止めてはならない。
よかったと喜び過ぎず、悪かったと悲嘆せず、
反復上昇をイメージして、一段一段、登っていこう。

最後のセンテンス・・・反復上昇をイメージして・・・一段一段登って行こう!ですね。◎

さて、しばらくお休みしていたPTA進化論の続きを・・・
(備忘録:片岡小PTAバザー・・・バルーンアート顔合わせ)

PTA進化論⑥  2009.1.27 中国新聞など
PTAの一番大事な機能は学級PTAだと書いた。
クラス単位で保護者と教師が学級運営上の、あるいは家庭教育上の課題を話し合い、信頼を醸成する。
保護者・教師の「共同体」と言ってよい。
先日、「共同体」の力を感じさせられる事件が、まさにぼく自身の体験として起きた。
息子が学校で指を骨折する事故に遭った。
クラスの男子が悪ふざけで息子の背中に飛びついたところ、面白がったほかの男子も次々と飛び乗った。
一番下になった息子は、もがく中で何かに指をぶつけた、とのこと。
担任と養護教諭が医院へ連れて行き、ぼくもすぐに合流した。
単なる悪ふざけも、一歩踏み外すと場合によっては生命にかかわることもある。
先生も相当肝を冷やしたようで、謝罪とともに「加害側」の子たちを特定してきちんと指導すると明言した。
翌日から、特定された子たちが母親に付き添われてたずねてきた。
既に学校で厳しく指導され、家でもしかられた後だ。
ぐしゃぐしゃに泣いている子もいた。
息子とは、学校で「手打ち」となっているので、むしろ親への謝罪というニュアンス。
これが笑ってしまうほど知っている子ばかりなのだ。
それぞれ個性豊かで息子の生活世界を「成長の場」にふさわしいものにしてくれている子ら。
お母さんもPTA活動を通して顔見知りで、信頼関係にある人ばかり。
「危ないと思ったなら、やめるのが勇気」
「そういう勇気を持ってるやつのほうが格好いい」と諭すことができた。
担任にも、最近乱れがちなクラスが締まる方向に持っていく機会としてほしいとお願いすることもできた。
「加害側」の子も親もまったく知らなかったとしたら・・と想像するとぞっとする。
息子の心身のケアを済ませ一段落した後も、本人はけろりとしているのに、ぼくの方がむしろ「根に持った」かもしれない。
「野蛮な子がたくさんいるところに通わせたくない!」とか。
普段からのコミュニケーションで回避できたわけで、こういう時の「共同体」の意義を再確認したのだった。

とありました。学級PTAの実例!?としてのお話し??・・・・
実は、これと同じ事が我が家で起きてしまいました。(悲笑)
しかも我が家のケースは加害者側・・・何人も馬乗りになって・・我が子も最後の方で・・・
この最後の方で乗って・・・事件が起きた。!?
足首を骨折という最悪の事態が・・・
ちなみに子どもは、中2の次男坊の方でした・・・・分別のあっていい年齢ですよね。(笑)
女の子ならこんなこと絶対信じられないケースですよね・・・・(((^^;)
幼いというか・・・恥ずかしいケース・・・しかも結果が悪かった・・・・

この日は偶然?私が早く帰った日で(家内が出掛ける日で・・・留守番部隊として)
家にいる時に次男が帰って来て・・・・
家の電話が鳴って・・・・そのまま次男が出た・・・神妙な顔している・・・・
それが担任からの電話だったと・・・
電話を切ってから知った・・・
お母さんいますか?と聞かれたらしいのだが・・・いないのでいないって(確かに正論)
でも、私がいたのだから・・・と今になっては思いますが・・
結局、本人だけ返事をして・・・その電話を切った・・・

その後・・・この話を聞いててんやわんや・・・・
担任からは・・・各自で(加害者側の生徒の家庭で個々に)対応するように!との指示で
私はとにかく・・・まずは謝罪って思い・・・
先方に電話・・・謝罪・・・とにかく謝罪
(子ども的には、色々成り行きもあるのだろうが・・・結果がすべてだという事も教えた)
家内とは連絡がつかないので・・明日改めてとお伝えしましたが・・・
『子どもたちがやったことなので・・・』というお返事で・・・
『教室が4階・・・いろいろお世話にならないと移動も大変・・・』
『お子様に・・・そんな時にはよろしくお願いします』って・・・伝えてくださいって
そして・・・
くれぐれもこれで終わりにして下さいって・・・・
明日家内が子どもを連れて謝罪にって・・の申し出は頑なに・・・・

結局・・・翌日・・・電話でアポは取れないって思って・・・・
家内と本人で直接、先方にお邪魔して・・・謝罪を・・・謝罪が出来ました。
やはりきちんとお会いしてお話をするという行為は大切でした。・・・
(そこには事前の人間関係は関係なく・・・当事者としての関わりとして・・・)
その時も・・・子どもたち同士の話なのでって・・
確かに理屈はそうですが・・・それを有言実行できる親御さんは凄いなって思いました。


担任の先生には・・・このことを事後報告で・・・ここまでは・・・まぁよかった・・・
ただ、部活の顧問の先生へ・・・事の顛末の報告が遅れた・・・
実は、被害者が(厳密にいえば加害被害ではなく・・・怪我をした生徒)同じ部活の子
つまり・・・中体連も含めて参加ができない状態になってしまった・・・
このことも重大な事であり・・・顧問の先生にとっても一大事であった・・・・
この部分へのケアーが遅れてしまった・・・
こういうケース・・・周りの方への迷惑や影響は、想像のつく範囲つかない範囲もある
親としては・・・色々学ぶべきことがありました。・・・

さて・・・・
私の場合は・・・ここにはPTAという組織は介在していない・・・
前回もちょっと述べましたが・・・・
学級PTAというくくり?・・・囲い?・・・・
PTA進化論の川端さんと・・・私の思うPTA像の見解の分かれるところなのかなって
まぁ比較をするレベルではないので(笑)
私の勝手な思い込み?をただ単にこの場で発散?発信?しているだけですが(笑)

私は思うには・・・PTA自体は、色々な出会いの創出の場のかなって・・・・
出来る人が集まる?
好きな人同士が声掛け合って・・・
正直・・このレベルだと人間関係ができている者同士の集まり?・・既存の関係!?
役割という部分で・・・色々な人が集う場は・・・色々な思いや気持ちも交錯・・・
同じなのは子を持つ親という部分だけ・・・
その同じ資格?権利?・・・それが義務?という言葉にも・・・・
でもそれは・・・
義務教育という過程にいる子どもたち・・・・・その子どもたちの“保護者”・・・
その子どもの保護者の集合体がPTA・・・ある意味先生方も保護者なのだからって
親限定ではなく・・・保護者っていうくくりで・・・・
だからPもTも必要なんだって言う発想が私の考え方ですかねぇ…

その子どもの成長過程の学校教育の部分・・・家庭教育の部分・・・・
学校と家庭を切り離すことはできない・・・
学校の中で・・・
ここまでは学校ですからって・・・
ここからは家庭なので個々の話で・・・なんて分けるのは不可能だと思います。
だから・・・

そうだからこそ・・・その部分を本来はPTAという部分が担うところなのかなって
私は思っています。
だからこそ・・・その場面?集う場には、少なくともみんないないとだめなのかなって
学校教育の場面だって・・・
在籍する生徒・・児童・・・みんな対象だと思います。
給食費を払っていないから・・・給食を食べさせないという発想にはできない・・・
そう言う意味での平等であり・・・等しい義務と権利?が・・・

PTA・・・そう言う意味でのベースはみんな等しいところから・・・会員という部分は
そこから先・・・
役員をやるとかやらないとか…具体的にどう関わっていくのか・・・はまさに本人次第!?
PTA=役員ではない・・・
PTA=学校教育に携わっている保護者の集まりであり・・・くくりである
その関わり方の部分で自己主張でも何でもすればいいって思います。
逆に言えば・・・
その自己主張が大切な意見なのかもしれないし・・・
その自己主張をできる“場”こそが・・・風通しの良い組織なのかもしれません・・・

要は、そのきっかけを・・・誰がどのように創出するのか??・・・
やりたい人が入る?やりたい人が残る?・・・
そんな発想で育成会が・・・現状私の地域では加入率が下がっていて・・・
何かの事業を考えるときに(地域の事業)・・・
育成会に入っていない子どもたちの対応は?とか・・・
入っていない子が参加できないの可哀想?とか・・・
そういう事が議論の中に・・・
入っていること自体・・・ナンセンスだし・・まさに本末転倒!?だって
事業の成功を議論するならまだしも・・・
(全員参加の種目をどう構成しようかって話し合いなら◎ですが・・)
私が子どものころは育成会も100%が当たり前だった・・・
いまでも合併町村の多くは100%が当たり前だと言っています。(地域性なんですね)

話を元に戻して・・・・
出来る人?が・・・
ボランティアで集まって?・・・
それがPTAというなら・・・
私は、それこそ学校教育と家庭教育の橋渡しを・・・一部の人間が所属する組織?なら
うーん・・・って思います。

大切なのは、個々の活動のボリュームではなく・・・
その学校に所属する100%の子どもたちを対象にした・・・なにか?
そこを考えることのできる“器”があるかどうかって言う部分だと思います。
子どものためは、直接的何かではなく・・考える“器”の大きさ(範囲)の話…で
一部のやりたい人だけで組織されている・・・・
悪く言えばそうなりますよね・・・
現状は・・・100%加入(私の地域では)・・・
そして総会や臨時総会も開いて・・・

その総会では意見が言えないから・・・という主張は・・・
じゃあどうすればいいのか??って・・・・
いえる空気や環境を・・まさに風通しの良い組織?って話なのかなぁって・・・

すみません・・・・・
話が色々とんでいる??・・・
PTAという名称の持つイメージや活動が・・・人によって違うという部分も・・・
組織という部分の話…
私の思っているイメージが・・・特殊?(笑)
色々な主張や議論は、組織の中では必要不可欠なエッセンスだと私は思います。
それは組織があったればこそ・・・なんですがねぇ・・・つづく?ですかねぇ・・

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