生きていることが、
既に喚起である
与えられた、一回限りの人生を、
今、こうして生きている。
これほどの恩恵があるのだろうか。
一回限り・・・の人生
今年ほどこの言葉を痛感した年はない??
今年ほど“命”の重さを痛感した年はない・・・
今年ほど“命”の儚さを痛感した年はない・・・
運命という言葉だけでは、割り切れない何かを痛感しました。
といっても
私自身の感覚は、伝聞だけ・・・
自身の親戚や近い関係者にご不幸にあわれた方はいません・・・
痛感と言っても私の感覚の中での話です。・・・
でも・・・
涙が出ます。・・・
“こころ”に傷?として残っているモノもあります。
痛感・・・まさに痛みとして・・・
今日の言葉・・・自身の命に感謝して・・・
今度の私の人生を・・・人生という時間を費やしていきたいです。
出来る事を出来る時に出来る人が・・・
そんな時には、自分から進んで出来る人でありたいです。
2011年12月31日・・・
私のブログの開設の日から(一番最初の一歩から・・・)
1660日って表示があります。
自身の生き様?と言えば大げさですが・・・
その時々を一生懸命生き抜きながら・・・
日々?・・・
形の上では(苦笑)1660日・・・
一日も欠かす事なく・・・今日まで来ました。
これが生きている証であり、私の存在の意味でもあった??
昨日という日を元気に過ごしたぞぉ!
今日という日に改めてよろしくお願いします。m(_ _)mっていう
そんな思いで日々・・・
昨日、こんなメールを戴きました。(一部抜粋&体裁も変えました。)
さて、遅れていた 漢字一字ですが、私は 「混」ぜるです。
本当は 「捏」ねる。の方が正しいのですが、
少し 文字のイメージがピンとこないので、「混」で。
今回は、パスタの街 を自称するなら、発信するなら、
せめて 生地ぐらい どうやって作るのか、
実際、やってみたらどうだろう・・・という発想でいましたので、
(捏ねて、捏ねて) 混ぜて、混ぜて、
段々と粘りがまとまってきて、完成されていく 生地。
それと、同じように 地域の人間同士も混ざって、捏ね繰り回して、強固でコシのある関係に
なっていく まさしく この観音山コミュニティの真髄ではないだろうかと思い、
当日の皆さんの表情、パスタの出来上がっていく様をみていました。
好奇心旺盛(そういった機会が多く得られ)で、
少しまわりよりも 気づくのが早かったいろんなことを、
出しきっていく作業は、とても楽しい時間です。とってもワクワクします。
でも、自信がなくて 自分発信はなかなか出来ないものです。
ある種の図々しさを兼ね備えた関係を作っていけるのは
毎日 似た環境で生活する地域コミュニティ独特のものではないかと、考えています。
これからも、お互いに活きる関係を 強固にし、
いざ! という時に 繋がっていることの実感ができたら幸せだと思います。
あれから1週間。早いものですね。年越しそばならぬ、年越しパスタで
KATAOKA地域が こじゃれた大晦日になっていくことを期待して、現場へ戻ります。
・・・と例の新聞の中心で出ていたSKさん
縁とタイミング・・・この方の一言で今回の企画が、あれだけの方々の“こころ”が・・
絆という部分から一歩進んでその“こころ”が“混ざった”??(笑)
そうか・・・混ざったんですね。(笑)
そして、出逢いもたくさん戴いた1年でした。その出逢いに感謝ですね。
ありがとう!・・・月並みですが1年の締めくくりの感謝の言葉が“こころ”に・・・
関わりのあった皆さんへ・・・ありがとう!!そしてお疲れ様でした。m(__)m