信念を貫く時、
応援者が現れる
<必ず成功する>と信じて、取り組む。
物事にまっすぐ、遮二無二進んでいく。
その時、思わぬ助けが入り、支えられる。
観音山コミュニティクラブのコトが・・・
PTA活動が原点で!?
より動きやすい組織をつくろうと!?
より男女協働参画を目指して!?という部分がありました。
なので?
あえて?
父親だけのクラブではなく・・・
男女協働参画型を模索しました。
とはいえ・・・
発足をした当時の原資は、県の父親クラブ立ち上げ補助金でしたが(苦笑)
あれから14年が経って・・・
今現在は、父親クラブとしての活動になっています。
この10年前の今日・・・PTA談義過去編は・・・
その辺りの変遷も語る場面になっているのかもしれませんね。
このもちつき大会だって・・・
前日の準備から始まって・・・
力仕事的な男性陣の活躍・・・
繊細な?女性陣の活躍も・・・
いい意味での?男女協働参画の実践でしたね。φ(..)メモメモ
さて・・・
10年前の今日・・・PTA談義過去編第228弾
081229 観音山コミュニティクラブの活動・・・・振り返りと検証!?
2008-12-29 08:56:26 | 観音山コミュニティクラブ
『 天候気候は天与のもの 』
これほど科学が発達しても、天気予報にはハズレがある。
いかに技術が進歩しても天候気候は変えられない。天与のものは、有り難く受けるだけだ。
どんな状況でも心を曇らさずに喜んで働いていると、健康と和楽に恵まれ、繁栄する。
観音山コミュニティクラブの活動を総括・・・・・(歴史を振り返る?(笑))
今日の言葉・・12月27日(土)青空のもとで開催できたことに感謝!!(笑)
今年の観音山コミュニティクラブの活動は・・・アウトドア系でまさに天気との格闘も
2度の事業は、結果的には・・・・無事!?その格闘に勝利を収めました。
その勝利の秘訣は・・・『 天気は気合です!! 』・・ね(笑)
さて、この観音山コミュニティクラブの活動形態?(その目指すものは・・)
地域活動という部分であったり・・・
親と子の関わりという部分であったり・・・
父親クラブ的な活動という部分であったり・・・
この会としての許容?は裾野?はかなりフレキシブルでありかつアグレシッブ!?
代表の私が言うのは変ですが・・・・すごい便利な“会=組織”だと思います。
ところが・・・この“会=組織”・・・・
この観音山コミュニティクラブの活動や行動が、もしなくなったしても・・・
“なにもない”状態に戻るだけ?(誰も困らない?(笑))
元の平常な?・・・日常?に戻るだけで・・・生活に支障が出ることはない!?(笑)
この会の存続意義は・・・・
日々の生活の中のプラスアルファぁ的な要素が強いのでしょうか??・・・
積極的な“関わり”を持とうという部分での活動・行動であることは間違いないですね。
日常からのちょっと踏み出した活動・行動と言えるのかなって・・・
ではなぜそんな活動をするの?(する必要があるの?)厳密にはあったのか?(笑)
会の発足当時にさかのぼりますね。・・・・
ただし・・・・それには仲間が必要ですね。
平成16年6月にこの会は産声を上げました。
当時の私はPTA会長1年目(デビューの年でした。)
前年度に単位PTAでは副会長としてPTA活動に初めて本格的に参加した年であり
高崎市小中養護学校PTA連合会に研修委員長としてデビューした年でもありました。(以降、この組織は“市P連”という表記にしますね。)
この双方の経験を踏まえて・・・PTA会長としてデビュー・・・
実は、この当時はPTAの動きと“父親クラブ”的な動きは同じ?というニュアンスも
少なからず持っていたような気がします。(父親=保護者という意味で)
ただ、当初から地域というものは意識をしていたので…
(平成15年が丁度JCラストの年でした。現役時代に実践としてPTAに入った)
平成15年度は・・・市P連での研修委員長として自由に?研修をさせて頂きました。
(この当時の話はまたいずれ・・・しっかりと・・・復習と今後の課題提言として)
PTAって・・・・いろいろな意味で可能性のある組織だなという認識で・・いた!?
ところが・・・・
平成16年度に会長になって・・・PTAの日程表や行事計画・・・継続性・・・
色々な物を目の当たりにした時に・・・あれ?って・・・
市P連での研修委員長として出向者49名(当時市P連は49校小32、中養護17)
その49名と個人の資質向上とネットワークの構築で動いた1年間・・・楽しかった!
その1年間を糧にステップアップ!!だぁって・・意気込んでいた現実と・・・
会長としてのルーティーン・・・
単位PTAという中での自由度?・・・単位PTAでは1年間の副会長としての修行
その修業期間に・・・見えない拘束力みたいなものを感じたのかもしれません(笑)
このブログは、当時を振り返って書いています…・(必ずしも正確ではない部分も)
その見えない力を感じた時に・・・まさに天の声が・・・・
“父親クラブへの助成”という・・・・点から雲の糸が垂れてきた!?状態で(笑)
早速・・・そこに応募してその手続きを進めたのが会の発足の真相です。
自身が代表で・・・フレキシブルな活動、アグレシッブな行動ができる!!って思いで
ただ私のこだわりの部分が一つ・・・・・
それは、父親クラブという部分を父親目線だけで語るのはNGでした。ここが一番!
会の名称の観音山コミュニティクラブが、観音山父親クラブでない理由はそこです。
母親目線で・・・父親を語る・・・こうあってほしい父親像もそう・・
実は私の家庭では・・・とか・・・いろいろな父親像がそこに・・双方の目線で!!
実際活動(セミナーや事業・・語る会)の多くはそこにポイントを置いて実践中です。
実は、初めての事業は“竹取ソーメン物語(第一話)”なんです。
平成16年9月23日・・・大胆にも祝日という理由だけでお彼岸に・・実施
翌日の新聞・・上毛新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞さんで取り上げて頂きました。
当時は、珍しい企画だった?(こんな時期にするのが珍しかった!?(笑))
活動の励みになったのは、事実です。・・・・その年の群馬県の父親クラブの活動発表
その実践発表として登壇させて頂く機会も頂きました。・・・・
実は群馬県の社会教育委員の試験?を受けるきっかけはこの発表なんです。(笑)
翌年・・・面接試験にも合格して・・・今に至っています。(これも不思議な“縁”)
さて、話を本題に・・・
竹取りソーメン物語は、その後も第二話、そして今年が第三話でした。
そしてその勢いで本年度初めて過日実施した“もちつきダルマ物語”が実現した。
活動を始めて足かけ5年・・・来年の6月は5周年(何か企画が必要ですね(笑))
事業計画書には、代表の私と副代表が3名、幹事が若干目という形になっています。
現実は・・・・
代表の私を支えてくれる仲間がいつもいる・・・その事業のカラーで色々な人が・・
色々な部分で関わりを持ってくる(だれでも受け入れるキャパと柔軟性も)
出来る人が出来る時に・・・出来る事を・・・がポイントなんでしょうね!!
ここがPTAとの差異・・・役員という責任の中での継続的な関わりと・・・
スポット的な関わり・・・いつでもウエルカム状態の部分・・・
ただ現実的には、今回もそうですが・・・現役のPTA本部役員の皆さん・・・
その多くの方にご協力をいただいているのは事実です。
(以前も書きましたが・・・その人たちは新たなもの?を背負込んだわけですね。(笑))
ただ・・私は、この人たちの笑顔を拝見して・・・一緒に活動してよかった!!って
“こころ”の・・・そう“こころ”の底から思っています。◎
みなさん・・・まさにボランティア
関わりの部分でもそう・・・(私の一本の電話で?(笑)・・でもボランティアとして)
観音山コミュニティクラブ自体では、原則年会費もないです。
現状は、継続的に補助金等でまかないながら、不足分は・・まぁ代表の我儘なので(笑)
継続的この活動ができている要因は、仲間の存在です。本当に感謝しています。(^-^ゞ
うーん、総括と言いながら・・・思いを語っているだけ・・・続くですかねぇ?(笑)