後始末は、次の出発点
立つ鳥跡を濁さず、一つの仕事が終わったら、
感謝して片づける。清掃する。速やかに
礼状を書く。それが次への準備となる。
感謝・・・
『ありがとう』を形へ・・・ですね。(●^_^●)
さて・・・
10年前の今日・・・PTA談義過去編第145弾は・・・
PTA談義?
まぁ、過去の想いというコトで・・・
080928 『 「ありがとう」の一言に 心を込める 』・・・・・ 今の自分自身の居場所に・・感謝
2008-09-28 06:23:15 | 2014年までの事 移設
『 「ありがとう」の一言に 心を込める 』・・・・・
感謝の一言にも無限の味わいがある。これで充分という限界は無い。
今日一日、心を込めた「ありがとう」をどのくらい言えるだろう。
負けても、辛くても、悔しくても、心からの「ありがとう」が言えるだろうか。
昨日のブログの最後の言葉・・・それが・・『 ありがとう・・・ 』
今更ながら・・・この言葉の不思議な“つながり”・・・・感じています。
ここ数日・・様々な方から・・・おめでとうやら頑張って下さいやらお言葉を・・・
一緒に汗を流してきた方たちですね・・・(皆さん・・・アンテナ高い?)
一番凄いのは、市議会報告の・・・あんな小さな記事を見て・・発見!?・・・・
メールをくれた方も・・・新聞の全ての情報をチェックしているかの様ですね。(笑)
人間って・・・気にかけてもらっている・・・その存在を認めてもらっている・・・
それが“アクション”となって・・・具体的行動になって・・・自身へ・・・
これっていくつになっても嬉しいものなんですね・・・・って改めて知りました。(笑)
これが子どもだったら・・・・ちょっとした声掛け・・・もっともっと・・・嬉しい!?
ポイントは、タイミング・・・・そして声掛けの内容(当たり前の話ですが)
褒めたり・・・喜んだり・・・子どもが達成感や充実感を持っている時に・・その時こそ
それには・・・子どもの事をよく見ていないとダメなんですよねぇ・・・・
叱ったり・・どちらかというと・・怒ったりは・・・すぐ行動が起こせる??というか・・
瞬間的に・・・感情で反応してしまう・・・大抵こういう場合は・・・怒り系??
叱る部分は・・・・ものの分別や道理・・・道徳心等を養うという部分では大切な行為
でも・・・常習的な怒りや・・・感情をぶつける行為・・・
子どもにとっては・・・悪い意味での慣れや・・『またかい・・・』って感情のすりこみ
瞬間的に・・言葉としては伝わっているとは思いますが・・・“こころ”には???ですね。
・・・と、今は分かったようなこと書いていますが・・・
自分自身・・・日ごろの行動を振り返ってみると・・・
怒ったり・・・睨みつけたり(とくに外では)・・・そういう部分で子どもをコントロール
悪い意味で・・・子どもが大人の表情(や感情)を読む?・・そうなっていないかと心配
実際・・・三男坊が・・・『遠慮していたんだ・・・』みたいな言葉をふっと・・・言った。
その瞬間は・・・まさに『しまった!!』って・・・心の中で叫んだこともあります。
大人の顔色見て・・・遠慮・・・・それは空気を読むという行為・・・・
KY・・・それが出来ないと悪いみたいな風潮・・・・
私は、大人の顔色見て・・・その場面場面でうまく取りつくろって・・・違う場面で爆発?
そうなる位なら・・・表情豊かに、その場面場面で喜怒哀楽を表現する、感情をあ表わす。
そんな子どもが・・・子どもらしくて・・いいなって思います。
黙っている・・・大人しくしているのが・・・正解?美徳?・ニコニコしながら・・・
“こころ”からの笑顔であれば・・・それはそれで良し!ですが・・・(いい意味で正解!)
知恵のついた・・・“表情”だとすれば・・それは悲しい行為ですよね。・・・・
子どもの喜怒哀楽・・・その表情や行為・・・それを素直に感じることが出来るって◎
それには“ふれあい”が無いと・・・・
私に出来ているのかなぁって・・・正直な所・・・自己採点はかなり危険な状態(悲笑)
でもそこに救いの神が・・・・それが家庭という単位(まぁ家内の力による所が大きい)
さりげなく・・・今日こんな事があって・・・昨日の話のココが出来たんだよって・・・
そうそう・・・あれね・・お父さんに確認してね!って言ってあるから・・・とか・・
ちょっとした一言二言・・・事前に耳打ちをしてくれる・・・(これってすごい有難い)
子どもが・・・ニコニコして近づいてくる・・・・
『○○で・・・△△だから・・・、だから□□したいんだ・・・いい?』って一生懸命
例の耳打ちが無いと・・・思わず・・・NG!って言ってしまいそうな場面も多々!?(笑)
子ども“ごころ”的に・・・・先生や祖父母に褒められたり・・・嬉しかったこと・・
これも例の耳打ちで・・・『○○ってどうなったんだっけ?』・・・って私が聞くと・・・
子どもって・・・『あれはね・・・』って始まる。・・・嬉しいんだろうなって全身で表現
一歩間違って・・・新聞でも読んでいる時話しかけられるとつい記事を目で追いながら・・
一生懸命話をしている・・・その眼差し・・・感じる事出来ないですよね(分からない)
こちらから話しかけているんだから、それがいい(しかも気に掛けていてくれたんだって)
これは違う意味で父親の存在感(“重さ”)や居場所(ちょっと大げさだけど本当の話)を
しっかりつくってくれる?大切な時間や行為だと思います。・・・・
父親の威厳?存在?なんて・・・いくら自分自身で頑張ったところで・・見えている(笑)
日ごろの家庭の中での・・・ある意味“扱い”の状況次第みたいな所があると思います。
父親の存在意義は・・・ある意味家庭内のバランス?機能なのかなって思います。
家庭力といった部分も・・・・同じなのかなって・・・(この話はまた後日・・・)
父親の姿・・・それは母親の姿でもあり・・・その家庭の姿でもある・・・
ひとり親家庭では・・・その一人が二人分を演じている・・・本当に大変だと思います。
でも子どもたちは・・・日ごろの親の“思い”は、肌で感じていると思います。・・・・
毎日・・・一緒にいるんだから・・・言葉にしなくても伝わるものも沢山・・・・
そう、言葉にしなくても伝わるものも沢山・・・・ここがポイント(ここもか・・)
日ごろの“気持ち”た“対応”(“こころ”の声)も伝わっているんです・・・
その場しのぎの“よいしょ”や“こころ”のこもっていない行為はバレバレ!?(笑)
そういう意味での“空気”って大切ですね。・・・それが居場所にも・・・
今日の言葉の・・・『ありがとう』って気持ちが家庭で(家族で)共有できていたら…
家庭力は、間違いなく向上・・・親の存在や居場所も◎・・・特に父親の尊厳も・・・
自然と認めあえる(存在も)ってなるんでしょうね・・・そこに感謝の気持ちがあるから
“今”の私の存在も・・・ある意味その“たまもの”なのかなって思います。(笑)
話が長くなってしまいました・・・(思いのまま書くと大抵こういう状態に・・・)
『ありがとう』・・・・“こころ”をこめて・・・皆さんへ・