ミムラ通信の最終ページ(先月号)
10年前の今日は・・・
7月15日号がこちらの続きでしたね
20120713 『釜石の奇跡』・・・その奇跡の裏側には・・・
7月14日が
20120714 子どもたちが変わった!?・・・その話を聴いて会場の空気も変わった??
最後に・・・
7月15日へ
おさい銭
百円玉一ッ
ぽんと投げて
手を合わす
おねがいごとの
多いこと
みつを
おさい銭・・・
お正月・・・
年に一度のまさにお願いの日!?ですね。(*^_^*)
さて・・・
釜石の奇跡話のつづき・・・
片田教授が子ども達へ語った時の最初の一声・・・
『僕は逃げないよ!』・・・だった
『だって・・お父さんもお母さんも逃げないから』・・・という理由で
『知っている?釜石には世界一の堤防があるんだよ!』・・・とも
この言葉の背景には、時代というモノも・・・
今の子ども達・・・
何をするにも?お父さん、お母さん!・・・って
学校にいれば・・・先生!・・って感じで指示待ち??
日本という安全な国に暮らしている中で自分の力のみで生き抜くという部分・・・
実は、自分の判断で行動という部分に関しては大きな課題があった!?
なので・・・
有事の際でも家にいればお母さんが帰ってきて判断を待つ状態??
そんな状態が当たり前であった!?
しかもそのお父さんお母さんの有事の際の判断基準(逃げる)・・・
これも先生から言わせればNG的な発想であった・・・
『生きる力』というモノは、『生き抜く力!』という想い・・・
そんな想いが先生にはあった・・・
この子ども達に気づきをあたるには・・・・つづく2(すみません(苦笑))
PS 釜石の明治三陸地震時の津波の様子の動画ありました。ハザードマップもこれをもとに想定されたモノでした(あくまでも同じ規模の地震が起きればというだけの・・・)