そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまの
ものさし
みつを
なるほど・・・“ものさし”が違うんですね・・・・
人間・・・正直者がバカを見る!?的な言葉も・・・これも“ものさし”の所為ですね
PTA活動も・・・その“ものさし”でとくって範疇に入ってしまえば・・・ねぇ(笑)
さて・・・・続けて・・・・PTA進化論シリーズ・・・今日はその③です。
PTA進化論③ 2009.1.6 中国新聞など
PTAは社会教育法でいう社会教育関係団体で、入退会は自由だ。
その点、ボーイスカウトや、各種の生涯学習団体などと変わらない。
でも、大多数のPTAは保護者を自動入会させ、「入らない」選択肢はない。
入会届けで意思を問うPTAでも、「入らない」に○をつけようものなら、役員や担任教師による説得が始まる。
担任に「日本は集団で動く社会だから」と言われて入会した知人もいる。
というわけで、ほとんどの保護者がPTA会員になる。
逃げ場はない。
前回みたような「負担」の現実が重なると、どうなるか。
役員選びがとんでもなく難しくなる。
理想的な方法は、立候補者がたくさんいて、選挙管理委員会が厳正な選挙を行う、というものだろう。
しかし、この方式が成り立った例を聞いたことがない。
そこで「推薦方式」やら「話し合い」方式が取られるが、一長一短だ。
「推薦」の場合、本人の意思にかかわらず票が集まってしまい、泣く泣く役員になる人が出る。
話し合いの場合、誰も口をきかず延々5時間!などという非生産的な会議になったり、気の弱いお母さんが周囲の圧力に負けて手を上げたり・・。
いずれにしても悲惨で、人権問題の域に達することもあると感じてきた。
ポイント制なるものを考案し、実施しているPTAもあるが、これまた悩ましい。
活動の負担に応じ点を決め、子どもの卒業までに集める点数を設定する。
当初は役員選びがスムーズになる効果があるようだが、そのうち「やっぱりやらない人はやらない」とか「ポイント稼ぎのために引き受けて、何もしない」など不平が聞こえてくる。
「やらない人」に圧力をかけるため、保護者用の名札に、目標達成者は金、半分達成者は銀のシールを張ろうと検討したPTAを知っている。
ここまで役員選びに苦労しつつもやめられないわけで、「会員のためのPTA」ではなく「PTAのための会員」と言われても仕方がない状況だ。
(作家 川端 裕人)
この文章を読んで・・・・
その通り!!って・・・・頷いている方・・・・
えっ!?何を言っているの?って・・・・首を傾げた方?・・・
確かにそう言う事は・・・あるね・・・でも・・・・って思った方・・・・
色々な反応が・・・
そうその色々な反応こそが・・・それぞれのPTA(単位PTA)の特色なのかなって
先日・・この川端さんのブログの中にこんな記事がありました。(ブログはこちら)
6年目にしてPTA総会で「自由な入退会」を主張するというタイトルで・・・
個人的には、その発言後・・・そのPTAの構成がどうなったのか興味のある所です。
えーと・・・さっそく川端さんのブログにその質問を書き込んできました(笑)
ちなみに・・・私の学校でこの意見を唱えると・・・確実に退会する方がいますね
でもそれは・・・PTAという枠からの脱退であり・・・・
活動への協力や出来る事のお手伝い・・・そう言った部分では出来ることを・・・って
物理的な役員の順番?(原則6年間に一度というルールがあったので・・・)の際に・・・
時間拘束の中での役員の仕事ができない現状があり・・・
受けて中途半端なことをするくらいなら・・・PTAを脱退してもいいですか?って質問
責任感があるが故の選択肢の一つとしてのご相談を受けたことがあります。・・・
PTAの自由な入退会→PTAを退会=PTA役員を免除・・・という図式が独り歩き
この結果が・・・今の私たちの地域の育成会という組織の入会率の結果となっています。
40%ちょっとくらい・・・50%を割っている現状・・・
多い例が・・・1年生のときには入会をする・・・子どもも大人も・・・参加したい!!
高学年になると役員さんの順番がまわってくる・・・・
すると・・・育成会を脱退してしまう・・・子どもの意思ではなく大人の都合で・・・
お恥ずかしい話ですが・・・これが現状です。
大義名分的な話は・・子どもが忙しくなり・・・育成会活動への参加が厳しい!?
なので・・ご迷惑をおかけしないようにって・・・・
育成会という縦組織の中で(異年齢交流が出来る)・・・・
その上級生たちの後ろ姿は、低学年の子にとってはすぐ未来の自分達の姿であり・・・
その交流は、地域交流であり・・・この活動の充実こそが地域活動の充実であるわけ・・
なんですが・・・個人の都合という事情で色々なものが動いている・・・現状・・・
PTAの・・・みんなでという部分の発想・・・・
学校は、集団社会としての・・・人間が生きていく最低限度の事を教える“場”として
その親が・・・その集団社会のなかでのつながりや絆というものを学ぶ場として・・・
大いに活用?という部分では◎だと・・・私は思います。
自由な意思=自己都合・・・という図式が・・・何でもアリ的な発想へ・・・・
今の世の中がそんな世の中で・・・自由?って何を持って自由なのかなって思います。
私は・・・PTAという組織こそが・・・義務教育という親の義務を背負った人たちが・・
どう関わって行くのか・・・そこをしっかりと考えるべきなのかなって思います。
自由な発想は・・・
その関わりの中で・・・何ができるのか?・・・どんな関わりで?・・・
その関わり方や行動・・・そういったものが“自由な意思で”って思います・・
その時にPTA(群馬だけでも500以上・・・高崎だけでも77)・・・
このPTAというものを一元化で語ること自体に無理があるのかなって・・・
PTAを語るならやはり、自身の子どもが通う学校単位、その単位PTAなのかなって
そう言う意味での子どもの為であり・・・(地域・エリアの所属という意味での)
子どもの為にという部分が、PTAの呪縛の為の代名詞的に使っている!?(笑)
これには異議を唱えたい所です。・・・
子ども=わが子という図式での・・・子どもの為がPTA活動とは正直結びつかない
それこそ自己都合と自己主張のたまり場?になってしまうだけで・・・
我が子の事だけを考えるのであれば・・・一保護者という立場で考えればいい事で・・・
PTAという組織は・・・あくまでもPとTのA(どなたかが集まりって)
その関わりを通して・・・学校との関わりの中で親業や親子の関わりを考え学ぶ機会を・・
その結果・・・その成果としてその子どもとの関わり方や思いがよりよいものへ・・
それが結果的に・・・子どもの為になっているのかなって・・・そう思います。
短絡的にPTA=子どもの為という図式だけだと・・・ん?って思ってしまう事が多々
まずは・・・その“親自身”が“気づき”を・・・・が最初なのかなって・・・
だから・・・私はPTA=ボランティアという図式ではないって思います。(現状は)
ボランティア意識やボランティア活動を学ぶ場面、実際の行動で実践する場面も多々!!
でも・・・本当の意味でのボランティア意識で・・・
PTA活動=ボランティア活動だって・・・みんながそう言う意識で活動ってなった時が
このPTA活用論で色々挙がっている諸課題の解決ができた時なのかなって・・・
意識の中で・・・
PTAは、所詮ボランティアなんだから・・・って
だから強制される筋合いはないって言う発想の中でのPTAがボランティアという図式
この発想がある間は・・・難しい!?
それでも・・・一つ一つの単位PTAが・・・地道に継続的に実践を続けていけば・・・
悪い例?(失礼な話ですが)を引き合いに出してPTAを総じて語るうちは・・NG
でもよい例を引き合いに出してこう出来るんだと前向きな目線で語って行けば・・・
いつかは・・・・ですかねぇ・・・
ただ、その良い例と悪い例・・・誰が基準を決めるんだって議論また出てきますがねぇ
じゃあどうすればいいんだ??って
私は、PTAは、子どもが学校に通っている間の・・・その間の大人の学校なのかなって
これから社会という荒波に飛び出していく子どもたち・・・今なその修業期間(笑)
理不尽な事もあれば自分の思い通りに行く事も・・・
その時に大人になる前の今の段階で・・・色々な物を体験・・見聞きする・・・
でも大人の世界への道のりは遠い・・・・
だからその大人が・・・現実って世界を子どもたちへ自身の体験で持って語る?
その一つがPTA・・・子ども同様に期間限定であり・・・子どもの卒業が終止符(笑)
私の所のPTA会長が常々言っています。・・・・カッコいい大人の姿を見せませんか?
自由な意思で・・お父さんはPTAに入会しなかったぞぉって胸を張って言えるのかな?
自由な選択で・・お母さんはPTAの入会には反対したのだから役員もしなくていいの?
あなたの為に会議で出る事もなく・・・いつも一緒よ!!って・・・
私の持論のPTAは、大人の学校であり・・・その学校は・・いつまで経っても・・・
それこそ喧々諤々・・・いつも右往左往していて・・・でも元気だけはある??
その学校に入ったけど・・・・6年間?3年間?・・・無遅刻無欠勤もいれば
とうとう・・一度も顔を見ない人がいたね(PTA活動へは)・・でもいいのかなって
子どもたちの委員会活動同様に大人も・・・それが一緒の活動ならもっといい(笑)
大切なのは・・・子どもが登校拒否になたっ時に対応するやさしさや思いやり・・・
それを・・・
PTA活動の中でも実践できればいいのかなって思います。・・・・
本部役員VS役員・・・本部役員VS保護者(役員以外の)みたいな図式はナンセンス
出来ることを出来る人が・・・って
だったら・・・まずは、その保護者みんなの気持ちを・・・
もしかしたら登校拒否?みたいな状況に・・・でもそれには訳がある・・・
それを責める場面では・・・まさに人権侵害って言われても・・・
いい意味で・・・みんなで包む事が出来るなら・・・
そういうPTAに進化して欲しいなって思います。
大人の学校であり・・・そこはカッコいい大人の集う場?・・・
自由に意見が言えて・・・自由な関わり・・・そう言う意味での自由がいいですね。
今、会長という立場を離れて・・・自由に発言していますが・・・
会長時代に色々唱えていると・・何熱くなっているの!?って言われていたのかなって(笑)
今は、応援隊長?的に側面支援ができる立場に(以外とこの立場が難しい、私の性格的に)
まさに・・・
地道な応援かもしれませんが・・・ここでこうして言葉にしていること自体もその一つ(笑)
いつだったか・・・事業のシュミレーションをここで会話形式で一日の様子を書いて・・・
なるほど!って・・・よぉーく分かりましたって(私にとってお褒めの言葉を(笑))
えーと・・・(こんな話でした・・・・こちら)
すみません・・・・・すっかり脱線!?・・・・
PTA話は・・熱くなりますね(笑)・・・・
特に川端さんの様に石を投げられると・・・その波紋がぱぁって広がって・・・
まぁ・・・まんまと作戦に嵌っているのかも(笑)
えーと・・・皆様のご意見(コメント)お待ちしています。
あっ何時だったか・・・私のコメント欄は気合いが必要だって(笑)お気軽にどうぞ
それでは・・・今日は月曜日・・・いってきま~すε=┏( ・_・)┛
4つの行き先です。ご投票にもなります。どうぞご利用くださいませ。(*^_^*)
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うそかまことか
佛さまの
ものさし
みつを
なるほど・・・“ものさし”が違うんですね・・・・
人間・・・正直者がバカを見る!?的な言葉も・・・これも“ものさし”の所為ですね
PTA活動も・・・その“ものさし”でとくって範疇に入ってしまえば・・・ねぇ(笑)
さて・・・・続けて・・・・PTA進化論シリーズ・・・今日はその③です。
PTA進化論③ 2009.1.6 中国新聞など
PTAは社会教育法でいう社会教育関係団体で、入退会は自由だ。
その点、ボーイスカウトや、各種の生涯学習団体などと変わらない。
でも、大多数のPTAは保護者を自動入会させ、「入らない」選択肢はない。
入会届けで意思を問うPTAでも、「入らない」に○をつけようものなら、役員や担任教師による説得が始まる。
担任に「日本は集団で動く社会だから」と言われて入会した知人もいる。
というわけで、ほとんどの保護者がPTA会員になる。
逃げ場はない。
前回みたような「負担」の現実が重なると、どうなるか。
役員選びがとんでもなく難しくなる。
理想的な方法は、立候補者がたくさんいて、選挙管理委員会が厳正な選挙を行う、というものだろう。
しかし、この方式が成り立った例を聞いたことがない。
そこで「推薦方式」やら「話し合い」方式が取られるが、一長一短だ。
「推薦」の場合、本人の意思にかかわらず票が集まってしまい、泣く泣く役員になる人が出る。
話し合いの場合、誰も口をきかず延々5時間!などという非生産的な会議になったり、気の弱いお母さんが周囲の圧力に負けて手を上げたり・・。
いずれにしても悲惨で、人権問題の域に達することもあると感じてきた。
ポイント制なるものを考案し、実施しているPTAもあるが、これまた悩ましい。
活動の負担に応じ点を決め、子どもの卒業までに集める点数を設定する。
当初は役員選びがスムーズになる効果があるようだが、そのうち「やっぱりやらない人はやらない」とか「ポイント稼ぎのために引き受けて、何もしない」など不平が聞こえてくる。
「やらない人」に圧力をかけるため、保護者用の名札に、目標達成者は金、半分達成者は銀のシールを張ろうと検討したPTAを知っている。
ここまで役員選びに苦労しつつもやめられないわけで、「会員のためのPTA」ではなく「PTAのための会員」と言われても仕方がない状況だ。
(作家 川端 裕人)
この文章を読んで・・・・
その通り!!って・・・・頷いている方・・・・
えっ!?何を言っているの?って・・・・首を傾げた方?・・・
確かにそう言う事は・・・あるね・・・でも・・・・って思った方・・・・
色々な反応が・・・
そうその色々な反応こそが・・・それぞれのPTA(単位PTA)の特色なのかなって
先日・・この川端さんのブログの中にこんな記事がありました。(ブログはこちら)
6年目にしてPTA総会で「自由な入退会」を主張するというタイトルで・・・
個人的には、その発言後・・・そのPTAの構成がどうなったのか興味のある所です。
えーと・・・さっそく川端さんのブログにその質問を書き込んできました(笑)
ちなみに・・・私の学校でこの意見を唱えると・・・確実に退会する方がいますね
でもそれは・・・PTAという枠からの脱退であり・・・・
活動への協力や出来る事のお手伝い・・・そう言った部分では出来ることを・・・って
物理的な役員の順番?(原則6年間に一度というルールがあったので・・・)の際に・・・
時間拘束の中での役員の仕事ができない現状があり・・・
受けて中途半端なことをするくらいなら・・・PTAを脱退してもいいですか?って質問
責任感があるが故の選択肢の一つとしてのご相談を受けたことがあります。・・・
PTAの自由な入退会→PTAを退会=PTA役員を免除・・・という図式が独り歩き
この結果が・・・今の私たちの地域の育成会という組織の入会率の結果となっています。
40%ちょっとくらい・・・50%を割っている現状・・・
多い例が・・・1年生のときには入会をする・・・子どもも大人も・・・参加したい!!
高学年になると役員さんの順番がまわってくる・・・・
すると・・・育成会を脱退してしまう・・・子どもの意思ではなく大人の都合で・・・
お恥ずかしい話ですが・・・これが現状です。
大義名分的な話は・・子どもが忙しくなり・・・育成会活動への参加が厳しい!?
なので・・ご迷惑をおかけしないようにって・・・・
育成会という縦組織の中で(異年齢交流が出来る)・・・・
その上級生たちの後ろ姿は、低学年の子にとってはすぐ未来の自分達の姿であり・・・
その交流は、地域交流であり・・・この活動の充実こそが地域活動の充実であるわけ・・
なんですが・・・個人の都合という事情で色々なものが動いている・・・現状・・・
PTAの・・・みんなでという部分の発想・・・・
学校は、集団社会としての・・・人間が生きていく最低限度の事を教える“場”として
その親が・・・その集団社会のなかでのつながりや絆というものを学ぶ場として・・・
大いに活用?という部分では◎だと・・・私は思います。
自由な意思=自己都合・・・という図式が・・・何でもアリ的な発想へ・・・・
今の世の中がそんな世の中で・・・自由?って何を持って自由なのかなって思います。
私は・・・PTAという組織こそが・・・義務教育という親の義務を背負った人たちが・・
どう関わって行くのか・・・そこをしっかりと考えるべきなのかなって思います。
自由な発想は・・・
その関わりの中で・・・何ができるのか?・・・どんな関わりで?・・・
その関わり方や行動・・・そういったものが“自由な意思で”って思います・・
その時にPTA(群馬だけでも500以上・・・高崎だけでも77)・・・
このPTAというものを一元化で語ること自体に無理があるのかなって・・・
PTAを語るならやはり、自身の子どもが通う学校単位、その単位PTAなのかなって
そう言う意味での子どもの為であり・・・(地域・エリアの所属という意味での)
子どもの為にという部分が、PTAの呪縛の為の代名詞的に使っている!?(笑)
これには異議を唱えたい所です。・・・
子ども=わが子という図式での・・・子どもの為がPTA活動とは正直結びつかない
それこそ自己都合と自己主張のたまり場?になってしまうだけで・・・
我が子の事だけを考えるのであれば・・・一保護者という立場で考えればいい事で・・・
PTAという組織は・・・あくまでもPとTのA(どなたかが集まりって)
その関わりを通して・・・学校との関わりの中で親業や親子の関わりを考え学ぶ機会を・・
その結果・・・その成果としてその子どもとの関わり方や思いがよりよいものへ・・
それが結果的に・・・子どもの為になっているのかなって・・・そう思います。
短絡的にPTA=子どもの為という図式だけだと・・・ん?って思ってしまう事が多々
まずは・・・その“親自身”が“気づき”を・・・・が最初なのかなって・・・
だから・・・私はPTA=ボランティアという図式ではないって思います。(現状は)
ボランティア意識やボランティア活動を学ぶ場面、実際の行動で実践する場面も多々!!
でも・・・本当の意味でのボランティア意識で・・・
PTA活動=ボランティア活動だって・・・みんながそう言う意識で活動ってなった時が
このPTA活用論で色々挙がっている諸課題の解決ができた時なのかなって・・・
意識の中で・・・
PTAは、所詮ボランティアなんだから・・・って
だから強制される筋合いはないって言う発想の中でのPTAがボランティアという図式
この発想がある間は・・・難しい!?
それでも・・・一つ一つの単位PTAが・・・地道に継続的に実践を続けていけば・・・
悪い例?(失礼な話ですが)を引き合いに出してPTAを総じて語るうちは・・NG
でもよい例を引き合いに出してこう出来るんだと前向きな目線で語って行けば・・・
いつかは・・・・ですかねぇ・・・
ただ、その良い例と悪い例・・・誰が基準を決めるんだって議論また出てきますがねぇ
じゃあどうすればいいんだ??って
私は、PTAは、子どもが学校に通っている間の・・・その間の大人の学校なのかなって
これから社会という荒波に飛び出していく子どもたち・・・今なその修業期間(笑)
理不尽な事もあれば自分の思い通りに行く事も・・・
その時に大人になる前の今の段階で・・・色々な物を体験・・見聞きする・・・
でも大人の世界への道のりは遠い・・・・
だからその大人が・・・現実って世界を子どもたちへ自身の体験で持って語る?
その一つがPTA・・・子ども同様に期間限定であり・・・子どもの卒業が終止符(笑)
私の所のPTA会長が常々言っています。・・・・カッコいい大人の姿を見せませんか?
自由な意思で・・お父さんはPTAに入会しなかったぞぉって胸を張って言えるのかな?
自由な選択で・・お母さんはPTAの入会には反対したのだから役員もしなくていいの?
あなたの為に会議で出る事もなく・・・いつも一緒よ!!って・・・
私の持論のPTAは、大人の学校であり・・・その学校は・・いつまで経っても・・・
それこそ喧々諤々・・・いつも右往左往していて・・・でも元気だけはある??
その学校に入ったけど・・・・6年間?3年間?・・・無遅刻無欠勤もいれば
とうとう・・一度も顔を見ない人がいたね(PTA活動へは)・・でもいいのかなって
子どもたちの委員会活動同様に大人も・・・それが一緒の活動ならもっといい(笑)
大切なのは・・・子どもが登校拒否になたっ時に対応するやさしさや思いやり・・・
それを・・・
PTA活動の中でも実践できればいいのかなって思います。・・・・
本部役員VS役員・・・本部役員VS保護者(役員以外の)みたいな図式はナンセンス
出来ることを出来る人が・・・って
だったら・・・まずは、その保護者みんなの気持ちを・・・
もしかしたら登校拒否?みたいな状況に・・・でもそれには訳がある・・・
それを責める場面では・・・まさに人権侵害って言われても・・・
いい意味で・・・みんなで包む事が出来るなら・・・
そういうPTAに進化して欲しいなって思います。
大人の学校であり・・・そこはカッコいい大人の集う場?・・・
自由に意見が言えて・・・自由な関わり・・・そう言う意味での自由がいいですね。
今、会長という立場を離れて・・・自由に発言していますが・・・
会長時代に色々唱えていると・・何熱くなっているの!?って言われていたのかなって(笑)
今は、応援隊長?的に側面支援ができる立場に(以外とこの立場が難しい、私の性格的に)
まさに・・・
地道な応援かもしれませんが・・・ここでこうして言葉にしていること自体もその一つ(笑)
いつだったか・・・事業のシュミレーションをここで会話形式で一日の様子を書いて・・・
なるほど!って・・・よぉーく分かりましたって(私にとってお褒めの言葉を(笑))
えーと・・・(こんな話でした・・・・こちら)
すみません・・・・・すっかり脱線!?・・・・
PTA話は・・熱くなりますね(笑)・・・・
特に川端さんの様に石を投げられると・・・その波紋がぱぁって広がって・・・
まぁ・・・まんまと作戦に嵌っているのかも(笑)
えーと・・・皆様のご意見(コメント)お待ちしています。
あっ何時だったか・・・私のコメント欄は気合いが必要だって(笑)お気軽にどうぞ
それでは・・・今日は月曜日・・・いってきま~すε=┏( ・_・)┛
4つの行き先です。ご投票にもなります。どうぞご利用くださいませ。(*^_^*)
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そして、その時、子どもに胸を張って言えますよ。
今のところ、中学のPTAは入らないつもりだけれど、それも正々堂々と合理的な判断として子どもに述べることができます。
空気読みすぎるな。
ちゃんと自分の意見を持て。
議論は大事でだ。とことんやれ。
けれど、いつまでも平行線な信念はあるだろうから、そういう場合は、敬意を持って距離を取れ。
無理に束ねるな。束ねられるな。
そういう価値観を子らに伝えたいですから。
その一点のみ、強く感じましたです。
ご質問の件は、こっちのブログにて。
それではー。
初めてコメントさせていただきます!!
いつもブログ読ませてもらってますが、考えさせられることばかりです!!
PTA=ボランティア
という考えは、
なるほど、そうかな…とも思うのですが、
実際そう思うのは、委員や役員になったときに、
「ボランティアでやってると思わないとやってられない…」
と思うときだけではないでしょうか。
じっさい、PTAって、ツールだと思うんですよね。
同じ学校に通わせている親同士のつながりとしての。
うちの子は保育園6年間通いましたが、その保育園にはPTAなるものは全く存在せず、ただ、先生にお任せした6年間でした。
もちろん、組織がないのだから役員などもなく、
さすがに年長あたりになると、
卒園のことなどで代表で連絡がかりみたいなのを引き受けてくださる方をクラスで決めましたが、
なければないで何の問題もないといえばないです。
当然のことながら、親同士のつながりなど全くなく、クラスの懇談会で顔を合わすお母さんや、お迎えの時に一緒になった保護者のことはわかりますが、全くつながりはないと言った感じでした。
保育園に預けている親は基本的に、仕事がいそがしいし、保育園児というのは、わが親と先生と自分が、個人的につながっていればいいのです。
でも小学生になったら、そうはいきませんよね。
わが子も友達と大いにかかわる。
先生もクラスを集団として育て、他の学年と縦でつながるように工夫する。
保護者がつながっておくことはやはり必要だということで、PTAは生まれたんだと思います。
て、持論をうんぬんいっても迷惑ですね。。。
何を言いたいかというと、
やっぱりPTAがあることで何がしかのメリットがある。今までわが子が多少出もよそのお母さんお父さんにお世話になっているのだから、自分も何かできることをしたい…
そういう思いをつないでいくことが大切なんじゃないかと思ったので、
PTA=ボランティア
とは、ちょっと違う気もする…
ということです。
そういう思いをつなぎたい!!と思うきっかけが、委員なり役員なりを務めたときではないかと。
もちろん、6年間で最低1回は…というような約束事
があるからこそ、そういうきっかけをもらえるのであって、
やってもやらなくても…という状況では、その思いを育むきっかけをもらわずに(意識的に避ける人はともかく…)他人事で過ぎてしまう人が多くなると思います。
そうなると、自分の子供が、人様にどれだけお世話になっているかということを実感できない家庭が増え、やはり地域社会は荒れて行くと思います。
私の場合、役員をやるのは、学校の子供たちへの愛のおすそ分け…(こういうと思いあがっていると批判されそうですが…)、
うちの子と同じように、学校で見かける子供たちに声をかけ、近所の気心の知れたおばちゃんになる。
そうやっているうちに、うちの子もよそのおばちゃんから愛をもらえるかも!!
いや、ぜひうちの子にも愛をちょうだいね!!
って思いでやってます!!
ボランティアっていうより、わが子愛!!
はたまた自己愛!!ですよ。
お父さん方はどうかわかりませんが、役員やっていて何より、○○さんのお母さん!!って地域に知れたら我が家にとってこんなに財産はないですよね♪
PTAってやっぱり、所属感というか自分はここにいるよ!!っていうツールなんじゃないかと思います!!
意味わからない文章になってしまいましたが、
率直に、今考えていることを書かせてもらいました!
ちなみに、毎朝横断歩道に立って、緑のおばちゃんやって、交通整理がうまくなったので、そのうち警備員のバイトができるんじゃ中と、期待してます♪
理想論と現実を分けてみてください。と言う感想です。
奉仕活動(ボランティア)は自発的であればこそ意味があり、喜びも沸いてくると言うもの。
大人の学校? どんな学校でも入学意志があるものだけが、勉強したい人だけが入るもの。強制的に、勉強になるから入れ、と言えるものではない。 と考えますが。