遠隔テクノロジー被害と集団ストーカー被害

遠隔テクノロジー 電磁波攻撃 音声送信 仄めかし 集団ストーカー 思考盗聴 脳波盗聴 マインドコントロール

遠隔テクノロジー被害と集団ストーカー被害 9

2018年03月28日 | 遠隔テクノロジー
遠隔テクノロジー被害と集団ストーカー被害 9


≪被害妄想ーーーネットに加害者≫

遠隔テクノロジーを使う組織のターゲットになった被害者の中には、ネット上から加害組織の一員によるハッキングやパスワード漏洩によるブログなどの閉鎖を心配する人がいる。



その心配は一つの被害妄想である。多くの場合被害妄想は加害組織の話の内容を根拠にする。やがてパソコンなどにトラブルがあるとそう思い込んでしまう。

不詳私もそう考えていた時期があった。それはマウストラブルとか、デスクトップ画面のアイコンがすべて消えてしまうとか、そういう現象を加害組織の話を聞いた前後で経験することでそう思い込んでいた。


パソコンやインターネットがらみの問題を加害組織の仕業のように考えるのは、一つは知識不足であり、もう一つはパソコンやインターネットは不具合を前提としなければならないことである。

パソコン・インターネットの使い方によっては、パスワードを記憶していたものが突然使えなくなるとか、そういうこともある。多くの原因はサーバー側の仕様変更にブラウザ側が対応していなかったり、マウスなどの機器の不調だ。

パソコン・インターネットがらみのトラブルにはセキュリティソフトによる仕業も考慮しなければならないが、多くのユーザーには知られていないものもある。セキュリティソフトのいろいろな表示を「パソコンに侵入」のようにとらえるような未熟なユーザーもいる。それは被害者も例外ではない。



その手の被害妄想は、

1 ネットから加害者が侵入してくる

2 ネットにいる加害者・加害組織がブログなどを消す

3 ネットにいる加害者が掲示板などで加害する

などの妄想がある。


この手の被害妄想も加害相手は自分の身近にいると妄想するマインドコントロールの結果でもある。

この手の被害妄想も根拠は自分の被害経験である点ではどの被害者でも共通である。


≪ブログ記事に対する威嚇≫


被害者によっては加害組織の声を聴く場合、ブログ記事に加害の告発のような記事を書いて加害組織から脅迫的な言い方ややめてくれ、のような言い方を聞くケースがある。これはたいていの被害者なら経験しているだろう。それに被害を認識してからブログを立ち上げる被害者の場合なら、ブログ記事に「加害相手に対する思い」を書き込んだりするはずだ。

すると加害組織側も被害者の動きに対応して「脅迫」「お願い」などの言い方をしてくる。声を聴かない被害者なら、身体刺激で加害相手の応答を判断できる場合もあるが、それは加害組織が被害者の心理変化を読み取るためにやっているもの。

ブログ記事に対する加害組織側の反応を真に受けてしまう被害者だと、ついつい行動誘導もマインドコントロールもさらされやすいことになる。

ブログ記事を書くことで脅迫されるような場合は、パスワードハッキングとかパソコンの乗っ取りなどを警戒するようにマインドコントロールされる。


≪パスワードを知られる時の脅威≫

私の場合は、キャッシュカードのパスワードが加害相手に知られている状態を実感しながら、ATMから金を引き出す時に脅しを受けたことはある。パスワードを知っている様子は、単純に言ってきたりするのだ。「えーとパスワードは・・・・」「●●●●」と加害組織が言ってきたりする。

当然、ブログに関するパスワードがらみの問題は、記事は時が来たら削除すると脅しをかけられた。

例えば次のような脳内会話、

「あんまり俺たちの秘密を書くな。」

「・・・・」

「書いても無駄だぞ、ブログを消すことなんか簡単だ。」

「俺のパスワードでログインして消すのか?」

「そうじゃない、お前に消すように仕向けるだけさ。」

「・・・・・」

「他にも方法があるんだ、パスワードをほかの被害者に教えてお前のブログを消す方法もある。」

大体そんな感じで脳内会話しながら脅されては対抗策を考えたが、あまり心配はしないように割り切って考えるようにした。


≪加害組織がパソコンを操作する?!≫


被害者の中には本気で心配している人もいるだろう。だが、本気で心配するよりは、やれるものならやってみろ、位に割り切って考えたほうがいい。

だが、注意点がある。加害組織には神経コントロールという技術があるから、視覚、聴覚に何かを生成されて間違って思い込んでしまうケースだ。そのケースの場合、やられたのがわからないから、冷静に注意深く状況を見るのが対抗策だ。いずれにしても、何の気なしにパソコンなどをいじっているところに、加害組織は脳波モニターしているから、「心の隙」をついてくる可能性がある。

心の隙を突かれて何らかの感覚や意識を生成された場合、わからない。その手法を加害組織は「神隠しの技」と言ってきたことがあった。本当に、やられた場合、「あれっ?おかしい・・・」になる。どうやってそうなったかはわからないし思い出せない。

とにかく、加害組織がパソコンをじかに操作することはできないと考えたほうがいいし、パソコンなどの不具合を起こすと考えないほうがいい。それを考えてしまうと妄想のまま人生を過ごすことになるはずだ。


≪加害組織は被害者の損害を与えることが仕事か?≫

結論から言えば、その程度の低レベルの目的で謎の技術を使い、何年も加害状態にすることは馬鹿馬鹿しい妄想だと言える。

いじめでしかないとか、離婚させることが目的とか、殺すことが目的とか、自殺するように仕向けることが目的とか、みみっちい目的でやっていると考えるのはすべて妄想だと考えている。

個人的に何か目的があるかのように加害理由を考えるのは、被害妄想でもあり、誇大妄想だと考えている。個人的というのは、「私を狙った理由」の答えだ。それは同時に、「私にこんなことをする理由」の答えでもある。

加害理由の推定から生まれる妄想にはいくつかのタイプがある。

1 被害者自身を有頂天にするように理由・・・これには特別な能力があるからという妄想がある。

2 組織や理念などの邪魔になるという理由・・・これには仏敵にされたという妄想がある。

どちらも加害相手はたいてい二つのグループ分けが行われる。言い換えると二つのグループがいるように思わせられる。それで心の葛藤などが生まれるように仕組まれる。一方は友好的・神的・教唆的であり、他方はもっぱら嫌な相手・・・身体刺激や攻撃の相手、言葉もそれに応じて違っており、相手が異なるように思い込みさせられる。

≪もしパソコンやインターネットに詳しいなら≫

加害組織がいろいろ言ってきても冷静に対処できたのはパソコン関係に経験と知識があったからだ。無ければ、ただでさえマイナス思考にマインドコントロールされているんだから、ひどい目に合っていると妄想を膨らませるだろう。

パソコンやインターネットに詳しくなるなら、パソコンそのものはいろいろと検索するといろいろと覚えられるが、インターネット上のものは、出来るだけ詳しく把握したいなら、wiresharkで通信を監視できるように知識と経験を踏むしかない。

ページが表示されず、真っ白の画面というケースには、DNSの不調ということもある。DNSが正しいアドレスを教えてくれないために、真っ白のままになることもある。それは、あるサーバーからデータを受け取らなければならないときに、そのサーバーに関するDNSが正常ではないために、真っ白のままというケースだ。そんなことはwiresharkでいろいろと調べられるだけ調べてやっとわかるものだが、それを加害組織の仕業だと妄想してしまうのは、マインドコントロールで妄想を植え付けられた状態から脱していないためでもある。

マインドコントロールは複数の面に行われるのが普通だ。


==========================

※インターネット上に加害者が常駐して被害者のブログなどを監視する必要はない。加害組織が脳波モニターしながら監視している。おおよそ、視覚神経で神経信号に転換されるものはモニターしている。被害者本人が意識していないものまで見られていると言える。


≪加害される時の自分の心≫


加害とは、自分から見て加害だと判断するものではなく、加害組織が行う神経コントロールによる感覚や意識の生成などを示す。

例えば、ある被害者には臭いは加害ではないと思うものでもほかの被害者では加害だと思う時、どちらも加害=神経コントロールによる感覚の生成だ。


加害された時の自分の心は特に重要な観察対象だ。そんなもの意味はないと考えるなら、たいてい加害組織にいいようにマインドコントロールされているだけのことだ。

加害される時の自分の心はいくつかの局面がある。

1 葛藤・・・判断の揺れ動き。

2 恐れ・・・心底恐れること。逃避や敵意、相手に対する行動の起因となる。

3 見下し・・・聞いていて相手を見下して判断する。

4 不可解・・・わからない言葉、聞き取れない言葉、疑問点。


加害されているときは自分の心情がどのように変化するかよく観察したほうがいい。

加害によって感情的になることは、根底に加害に対する恐れがあることだ。加害によって感情が出てしまうことは自然であっても、どのような感情になっているのか自分をつぶさに観察しなければならない。それとともに加害内容もじっくりと観察しなければならない。

自分の感情を観察すべきなのは、加害組織が感情を誘発するような加害を行うことを意味する。そのほかには、いろいろと考え深く考えるかどうかだ。