十月も下旬に入ってはっきりしない天気の火曜、中途半端な時間ながら、雪平鍋を火にかけて雨上がり暮れかけた畑でねこを追いかけながらナスをひとつもぐ。お湯がわいたら西島・秋山製粉の農林61号らしき香り濃厚なうどんを投入。ナスを細く切ってごま油と塩でざざざと炒め、ともに柔らかくなったところでナスは自然にさまし、ざるに取ったうどんは水でしめて鉢へ。麺は仏壇にかざした後、ナスをのせて、その上にちょこっと鰹節、さらには焼のりの切れ端をばさばさちぎり、最後に少量のヒガシマル白だしをうすめてかける。これで近所ものを中心とし、年俸安い遠来ものもバランスよく配置させた一杯のできあがり。
それほどコシは重視しない、このあたりの価値観に基づいた微妙なたおやかさを持った麺は、かき混ぜるたびにごま油と塩味になじんでいく。ナスはうどんより心持ち厚いくらいがちょうどいい。麺類を食べる時特有の少しずつテンポアップするタイム感を楽しみ、惜しみながら最後のひとつまみを喉に送り込んだ時、鉢の底にほんとんどつゆが残っていないのが理想だ。
日本人に麺類が今後も同じように消費され続けるとすれば、これまでと同様、食べ方はさまざまなモードを行ったり来たりするだろう。そんな中、深谷・国済寺のそば遊歩が2011年の東日本大震災直後に発明した「黒豆モヤシそば」に始まる〈食文法〉が多くの試作を呼び、その中からたくさんの人々に愛される、または一部だけのスタンダードが生まれたら、それは現在のあるラーメンに倣って「遊歩インスパイヤ系」と呼ばれるかも知れない。
発明者でない、単なる食者である私が勝手に抽出したその〈食文法〉は、「気に入った食材をかんたんな調味料で手早く炒め、好きな麺とからめて食べる」。そしてその食材がその麺が、どうやって食者のもとにやってきたのか、そしてその価値はどうなっているのか、そう考えることで少しずつ「食社会」は変わっていく。そう信じることこそが「食語り」なのだ。
というわけで、また中途半端な時間には秋なす秋山うどんを食べよう。
「食語り」は風土飲食研究会の「食のモデル地域育成事業」
そば遊歩ブログより「明日から黒豆モヤシそばと天ぷら提供開始」
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