不思議な夜だった。
帰らないねこがいるので真夜中の庭をうろうろしていると、前の道路でにうにう声がする。行ってみると、みたことのない、星のない夜空のように黒いこねこが2名。畑の前のアスファルトの上でくぷくぷと身を寄せ合っていた。
何やってんだ、お前らどっから来たんだと近づくとふぐーふぐー。あまり人に慣れた様子はない。どうしたんだとうちの方からねこどももやって来る。おう、お前ら、こういうやつらがいたんだよ、知ってるかといってももちろんいちねこどもはにゃおにゃおいうだけ。どうしたものか。保護者はいないのかとまわりをみても誰もいないし、こんな車の通る近くでは危ないので、ねこのパチンコにでも行ってるのかの保護者が来てもすぐに気づく、けれども屋根のある祖父が建てた小屋にぷくぷくのお腹を持って運ぶと、うちねこもどいどいついてくる。まあ、ここにいてくれと小屋に入れると春に子どもを産んだうちねこが近づき、しかし、ふやーというので引き返してきた。保護者が来ればいいけど、けっこう大きいし、これでも食っててくれとキャネットを一握り置いて部屋に戻ると、昼の疲れが出てしばらくして寝入る。
怖くも悲しくも、といっても楽しくもない夢が過ぎると曇った朝。
小屋に行ってみると黒い2名は見当たらない。でも夢でなかった証拠に、キャネットがほとんどそのまま残っている。あいつらどこに行ったんだろう、保護者は来たのだろうかと寝ぼけたまま庭を歩くと、みたこともないところに知らない赤いバラが首を伸ばして、ずっと咲いてる樹にも白いバラが広がって、畑にはずっと咲いてるジャガイモの花がにぎやか。
人間の、こねこどもの、バラたちの、ジャガイモの花と根の、そして、かってな庭と空のつごう。
(BGMは、夜とも朝ともいえる不思議な音の洪水の名盤、ヴァン・ダイク・パークスの song cycle で、今はその中でももっとも幻想的な一曲 Donovan's Colours)
帰らないねこがいるので真夜中の庭をうろうろしていると、前の道路でにうにう声がする。行ってみると、みたことのない、星のない夜空のように黒いこねこが2名。畑の前のアスファルトの上でくぷくぷと身を寄せ合っていた。
何やってんだ、お前らどっから来たんだと近づくとふぐーふぐー。あまり人に慣れた様子はない。どうしたんだとうちの方からねこどももやって来る。おう、お前ら、こういうやつらがいたんだよ、知ってるかといってももちろんいちねこどもはにゃおにゃおいうだけ。どうしたものか。保護者はいないのかとまわりをみても誰もいないし、こんな車の通る近くでは危ないので、ねこのパチンコにでも行ってるのかの保護者が来てもすぐに気づく、けれども屋根のある祖父が建てた小屋にぷくぷくのお腹を持って運ぶと、うちねこもどいどいついてくる。まあ、ここにいてくれと小屋に入れると春に子どもを産んだうちねこが近づき、しかし、ふやーというので引き返してきた。保護者が来ればいいけど、けっこう大きいし、これでも食っててくれとキャネットを一握り置いて部屋に戻ると、昼の疲れが出てしばらくして寝入る。
怖くも悲しくも、といっても楽しくもない夢が過ぎると曇った朝。
小屋に行ってみると黒い2名は見当たらない。でも夢でなかった証拠に、キャネットがほとんどそのまま残っている。あいつらどこに行ったんだろう、保護者は来たのだろうかと寝ぼけたまま庭を歩くと、みたこともないところに知らない赤いバラが首を伸ばして、ずっと咲いてる樹にも白いバラが広がって、畑にはずっと咲いてるジャガイモの花がにぎやか。
人間の、こねこどもの、バラたちの、ジャガイモの花と根の、そして、かってな庭と空のつごう。
(BGMは、夜とも朝ともいえる不思議な音の洪水の名盤、ヴァン・ダイク・パークスの song cycle で、今はその中でももっとも幻想的な一曲 Donovan's Colours)
ねこのパチンコが好きです(笑)
学生の頃、ある新聞社のリサーチ機関で戸別訪問アンケートのバイトをやっていたのですが、ある東京の下町で全軒の小学生に案内されたことがあります。暑い夏の日でお礼にファンタ、当時のフルーツパンチをおごって自分も飲むと、「おっ、一気のみだね」と笑った少年はもう三〇代か。きっといいやつになっているでしょう。
人様の庭を横切って(笑)
さすがに追えず、「ありがとう」と見送りました。
その後、その土地に足を踏み入れることはなかったのですか。生き物との再会は楽しいものです。そういえば、うちの方の田舎では、たまに逃げたのか逃がされたのか、そういった単独ワンコもすくなくありませんが、市街地で見かけることは少なくなりましたね。
そういえば、ねこのパチンコ。外のやつらに置いているキャネット、ものどもがカエルとかアジのせいごあたりを狙う軍資金になっているかも知れません。