モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

戒め

2020-10-31 05:56:02 | 教義と聖約
「あなたが何をすべきか…戒めを…与える、…あなたが守られるため」教義と聖約10:34~35

戒めは悪からの守りとして与えられています。
”危険な場所に立ち入らないように”という警告表示と同じです。

それを”行動を制限するもの”と受け取る人もあります。
それはある意味正しいでしょう。
親が子供に「そこは危ないから近づいちゃダメ」と言うのと同じです。

素直に聞く子供もあるでしょうし、
興味本位で近づき、面白がる子供もあります。

その危険がどのような結果を招くかを考えてみようともせず、
その警告が自分を守るためにあることを理解することもしないのです。
コメント

怒る

2020-10-30 06:12:08 | 教義と聖約
「サタンは人々の心をかたくなにし…怒るように…煽り立て…る」教義と聖約10:32

怒りのあるとき、心の状態はどのようなものでしょうか。
腹立たしく、苛々して、落ち着かない…

自分の胸の奥にそのような感情があるときに、御霊を感じるのは難しく、
それはサタンが喜ぶ状態であるようです。

怒りはどのような思いから湧いてくるでしょうか。
サタンは巧妙に”怒りが湧くように”人の思いに働きかけます。

それを‟サタンの誘惑”と呼びますが、
心に怒りを抱くときに、そのことに気付いていないことは多くあるようです。

怒りが人をどのように導くかを知ったなら、
心にある怒りに注意を払うようになるでしょう。
コメント

神を試みる

2020-10-29 05:38:06 | 教義と聖約
「サタンは…主なるあなたの神を試みさせるように…仕向ける」教義と聖約10:29

真心からへりくだって主に従った結果によって
福音が真実であるかどうかを確かめるのでしょうか。

それとも自分で決めたしるしを求めて、
自分の思い通りになるかどうかで試みるのでしょうか。

前者であれば、主は確信となるものを与え、
それを真実であることの”しるし”として受け入れることができるでしょう。

後者であれば、もし”しるし”が与えられたとしても、
受け入れることがなく、信じることもしないでしょう。

なぜなら、神を求めているのではなく、
自分の思いが成ることを求めているだけだからです。

コメント

欺く

2020-10-28 06:09:38 | 教義と聖約
「他の者が偽り欺いていると考えて、自分も偽り欺く者は災いである」教義と聖約10:28

「誰もが行っていることだから問題ない」
福音に出会う前はよくこのように考えていました。

人の悪口を言ってその場を盛り上げる、
少々の嘘をついてもバレなければ問題ではない、
気に入らない相手に何をしてやろうか   なんて…、
「誰でもしていることだから」と自分に言い訳していました。

善くないこととは認識していましたが、
その程度のことで”災いが及ぶ”とは考えてもみませんでした。

福音に出会って、御霊の導きを自覚したときに初めて、
そのような思いが、いかに自分を貶めていたかに気付きました。
コメント

光と闇

2020-10-27 06:22:49 | 教義と聖約
「彼らは…光よりも闇を愛し…わたしに求めようとしない」教義と聖約10:21

主の光を愛するなら、常に努力し、悔い改めて前進することが求められます。
それを怠るなら「光よりも闇を愛する」ことになるかもしれません。

‟朝、目覚めて一日の始まりを喜んで活動を始めるのと、
暖かいベッドの中でまどろんでいたい誘惑を好む”のに似ています。

ベッドから出て行動を開始するなら、
「今日一日を有益に過ごすために何ができるだろうか」と考えるでしょう。

ベッドの中で丸まっているなら、急き立てられる気持ちを無視し、
その時だけの心地よさを味わおうとします。

これが光を愛する心と、闇を愛する心の違いではないでしょうか。
コメント