モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心の聖さ

2021-05-31 06:14:15 | 福音について
「心が聖い」とはどんな状態ですか?

「良心の呵責を感じることのない状態」と言えばいいのでしょうか。

幼い子どもは良心の呵責を感じることがないようです。
その意味で主は「幼子のように」と言ったのかもしれません。

良心に従うというのは難しいですね。
良かれと思ってしたことであっても、後になって良心の呵責を感じることもあります。
良心に従ったつもりでも人を傷つけてしまうこともあります。

そのために主は‟悔い改め”という方法を用意しました。
人が悔い改めようとするとき、主の助けを受けることができます。

「心の聖さ」は誰が判定するのでしょうか。
主の御霊だと思います。
「御霊を受けられるなら、ひとまずはよし」と思っています。

教会は御霊を受けるためにあります。
安息日に教会に集うのも、聖典を学ぶのも、祈るのも、御霊を受けるためです。
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神の子

2021-05-31 06:13:27 | モルモン書
「人々は神の子となった」モーサヤ18:22


これは‟神の子であると自覚するようになった”という意味ではないでしょうか。

すべての人は‟神の子”ですが、それを自覚していない人は多くあります。
神の子であると自覚するならどのようなことが起こるでしょうか。

それは‟自分が神から愛されている”と気付くことです。
そのことに気付くとどうなりますか。

自分が愛されていると気付いたとき、どのような気持ちがあるでしょうか。
喜びですか、それとも「うっとうしい」と思いますか。
好きでもない相手であれば「うっとうしい」と感じるかもしれませんね w

自分に愛する心があれば、それは喜びであるはずです。
愛を感じたとき、そこに喜びがあるとき、それは希望と前進する力をもたらします。

皆さんもそのように感じたことがあると思います。
それは自尊心を強くし、自分自身の価値を高めます。

皆さんはどう思いますか?
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シオンを築く

2021-05-30 04:01:03 | わたしに従って…
シオンに来る…ではなく、シオンを築くように
(わたしに従ってきなさい 5月30日)


シオンという言葉には「聖い場所、聖い人の集まり、心の聖い人」という意味があります。
シオンを築くには、先ず‟自分自身の心を聖くする”必要があります。
言い換えれば、‟自分自身の聖さを築く”ことが必要です。

神殿の入り口には「聖きを主に捧ぐ」という言葉があります。
自分自身の聖さを築いた人はその聖さを主に捧げることができ、
それが受け入れられたときに神殿の祝福を得ることができます。

同様に「教会に来るではなく、教会を築く」必要があります。
教会という場所に行けば満足ですか。
わたしは‟主の約束した祝福”を受けなければ満足できません。
そのためには自分自身がシオンである必要があるようです。
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自由意思

2021-05-30 03:59:47 | モルモン書
「自分の自由意思と…善い望みから」モーサヤ18:28

命令されて行うのと、自ら進んで行うのではどちらが喜びが大きいでしょうか。

「安息日を守って聖なる日として保つ」モーサヤ18:23

今日は安息日です。
「主の命令だから安息日を守らなければならない」と聞くことがあります。

ある人がこう言いました。
「教会に入るのは自由意思だが、教会の中に自由意思はない」
‟主の命令に従う”ことが求められるからだそうです。

わたしは「安息日にはしたいことをすればいい」と言います。
遊びに行きたければ遊びに行けばいいし、買い物をしたければすればいい。
(よく誤解されます w)

わたしは「自分の自由意思と善い望みから」主に従うことを選んでバプテスマを受けました。
同じ望みによって、教会に行きたいので教会に行き、主に従いたいので従います。

皆さんはどう思いますか?
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主に会う用意

2021-05-29 05:47:54 | 総大会
創造主にお会いするための…あなた自身の用意…こそが神殿のある理由です。
(新しい日常 ネルソン大管長)


バプテスマも聖餐式も神殿の儀式も、すべて主に会う用意をするためにあります。
儀式も大切ですが、儀式の本質はそこで交わす聖約にあると思ます。

「バプテスマを受け、聖餐を受けているから、神殿に参入しているから大丈夫」
というものではないように思えます。

バプテスマを受けるために何を用意しますか。
罪を認め、悔い改める必要があります。

聖餐を受けるために何を用意しますか。
日々、主に従っていることを証明する必要があります。

神殿に参入するために何を用意しますか。
神殿の入り口にはこう記されています。
「聖きを主に捧ぐ」
‟主に捧げる聖さ”を用意する必要があります。

用意ができているなら祝福がもたらされ、
それは「十人の乙女」の油の一滴のように蓄えられます。
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