モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

2022-12-21 07:35:45 | モルモン書
主の道 12月21日

「証拠としてあなた方に証した」ヒラマン32:23

末日聖徒は証します。
それは‟キリストの証人”になるという意味です。

証人になるためには証拠が必要です。
心に得た証拠を‟確信”といいます。


「キリストは生きています」
預言者であろうと、神を信じない人であろうと
口にすることができます。

言葉は同じでもそこに伴う証はまったく異なります。
目に見えるものではないのに、確実に伝わります。
それを‟御霊”と呼んでいます。


時々考えます。
「自分の言葉、行い、生き方は証しになっているだろうか」
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心の割礼

2022-12-20 07:22:43 | モルモン書
主の道 12月20日
「愚かな者、心に割礼のない者、盲目な者、強情な民」ヒラマン9:21


これは誰に向けられたものでしょうか。
ニーファイ人です。
現代に当てはめれば、
‟教会員に向けた言葉”となるのでしょうか。

「あなた…がこの罪の道を歩き続けるのを、主…がいつまで許されるか…知っているのか」9:21
「悔い改めなければ…ひどい滅亡のために泣きわめき、嘆き悲しむようになる」9:22


この言葉に腹を立てるのでしょうか。
「わたしが語り終えると兄たちは…腹を立て」1ニーファイ17:48

それともこう尋ねるのでしょうか。
「わたしたち…は…どうすればよいでしょうか」アルマ32:5

心に割礼がある=キリストが心に刻まれているなら、
後者であるようです。
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神に選ばれた者

2022-12-19 06:26:19 | モルモン書
主の道 12月19日
「神に選ばれた…者に…なろうとした」ヒラマン9:16


末日聖徒は‟神に選ばれた者”になろうとしています。
自分たちを‟選民”と呼んでいるくらいです。
そう聞くと高慢みたいですね。


どうすれば神に選んでもらえるのでしょうか。
・キリストを信じる
・悔い改める
・聖約を守る

そのために人生を捧げます。
生涯の終わりまで続けると約束します。

心に高慢があるなら耐えられません。
神の前にへりくだる心が必要です。
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これが本当であれば

2022-12-18 08:12:35 | モルモン書
主の道 12月18日
「このことが本当で…(あ)れば…他の言葉も本当だと信じよう」ヒラマン9:2


わたしの信仰は
‟モロナイの約束”から始まりました。

モルモン書を読み終えたとき、
宣教師が言いました。
「神が祈りに答えます」
 「それじゃぁ今、祈ってみましょう」

二人の宣教師がそれぞれに祈りました。
「どうか彼の祈りに答えてください」

わたしも祈りました。
 「ここに書かれていることは真実ですか?」

答えが与えられました。
その経験は四十年近く経った今も、
わたしの信仰の拠り所です。

「(同じ)聖霊の力によって…すべてのことの真理を知るであろう」モロナイ10:5
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神が命じた

2022-12-17 08:19:50 | モルモン書
主の道 12月17日
「神が…命じたのかどうか、必ず分かるだろう」ヒラマン9:2


‟祈り”は神の命じたことでしょうか。

祈りとは‟神との会話”です。
会話は、心を向け、語り掛け、
返事を聞くことで成り立ちます。

神に心を向け、語り掛けます。
それだけでは会話とは言えません。

返事を聞くことで会話が成立します。
それが祈り(神との会話)です。

そのときに初めて‟神が命じたのかどうか”を
知ることができます。
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