モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 9月30日

2024-09-30 06:03:31 | 総大会
「契約とは特定の責任を果たすという決意です」
(聖約と責任 オークス管長)

水のバプテスマは神との聖約です。
「死に至るまでも神の証人となる」モーサヤ18:9

聖餐も神との聖約です。
「御子の御名を受け、御子を覚え、その戒めを守る」モロナイ4:3

それに対して主は「御霊を与える」と約束しています。
聖約は人と神の相互間の契約です。

「主の約束は果たされているのだろうか?」
もしも不安に感じるなら、自分は約束を果たしているのかと振り返る必要がありそうです。

わたしは胸を張ることができません。
頑張っているつもりではあるのですが、まだ足りていないと思います。
御霊は「もっと頑張れ!」ではなく、「そのまま続けて行きなさい」と囁きます。

まるで幼い子供が親から励まされているようです。
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総大会より 9月29日

2024-09-29 05:22:21 | 総大会
「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」
(キリストの喜びに飲み込まれて テーラー長老)

「トラの威を借るキツネ」ということわざがあります。
“他人の権威をかさに着て威張る”という意味で、あまり良いイメージではないですね。

わたしたちは「キリストの権威に従う者」です。
こちらは良い意味で理解していただけるなら嬉しいです。
“主を誇りに思い、主の前にへりくだり、御霊に従って生きる”という感じでしょうか。
そうであれたらいいですね。

「宗教に頼るのは自分が弱いからだ」と言われたことがあります。
そのとおりだと思います。

自分の弱さを感じるとき、情けなくなります。
存在を恥じて、その価値を疑うこともありました。
わたしは弱いので主に頼ります。

今は主の威の借りて生きています。
いつか自分のものにできたらいいですね。
天父はそれを望んでいるようです。
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総大会より 9月28日

2024-09-28 05:58:20 | 総大会
「待ち望んできた奇跡を早くに与えられる人がいる一方で、忍耐強く耐え忍んで主を待ち望む人がいるのはなぜでしょうか。」
(キリストの喜びに飲み込まれて テーラー長老)

どうすれば“忍耐強く耐え忍ぶ”ことができるのでしょうか。
神の祝福を経験して知っているからではありませんか。

苦難を感じるとき、
「あの経験は現実だったのだろうか」
疑いが心をよぎります。
「あの出来事を否定できるだろうか」
胸の奥に問いかけます。
「いや、できない」
いつもそこにたどり着きます。

ジョセフは言いました。
「どうして神に逆らえようか。わたしは知っていた。わたしは否定できなかった。」JS歴史1:25

それって神の祝福ではないのでしょうか。
奇跡と呼べるほどのものであるかは分かりませんが。
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総大会より 9月27日

2024-09-27 05:52:11 | 総大会
「神は御自分のすべての子供たちがみもとに戻ってくることを選ぶように望んで…おられるのです」
(神はあなたをみもとに連れ戻そうとしておられる キアロン長老)

疑問を感じました。
選ぶだけ?
自分のような者でもいいの?
何を選べばいいの?

神の愛を感じたことがあります。
心の内に満たされて、それに押し出されるように涙が溢れてきました。
(経験のある方には理解していただけると思います)
感じていた疑問が見当違いであることに気づきました。
(ごめんなさい、うまく説明できません)

「神は…皆さんを連れ戻すためにあらゆる手段を講じておられるのです」
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総大会より 9月26日

2024-09-26 05:50:28 | 総大会
「ニーファイは一貫して神を信頼し続けることで、神との関係を強めていきました」
(主を信頼する パイパー長老)

♪ニーファイのように♪
多くの人に愛されている歌です。

それを聞くとき、いつも思います。
「わたしにはムリ!」
彼の信仰は次元が違い過ぎます。
それでも、彼の信仰が成長していく姿には倣いたいです。

神を信頼しようとしてつまずいて、諦めそうになって…
気を取り直してまたチャレンジして、またつまずいて…
そんなことを繰り返しています。

「一貫して」は無理ですが、何度も、何十回も、たぶん百回以上も繰り返してきました。
たぶんこれからもその繰り返しだと思います。
せめて、その覚悟だけはしていたいです。

「神はわたしたちにも同じパターンを用いられます」
…だそうです。
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