モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 6月30日

2023-06-30 05:54:47 | 総大会
「カートランドの聖徒たちが…1836年の春、この時代で最初の美しい神殿を完成させ…ました」
(神殿と家族歴史活動… オヨス長老)

このとき、奇跡的な驚くべき出来事があったそうです。
今の時代に同様のこと見ることがないのはなぜでしょうか。

「時代、経験、求められているものが違う」
そうかもしれませんね。

では、信仰も異なるのでしょうか。
そうであれば残念です。

わたしたちの求めている奇跡は目に見えるものでしょうか。
それとも心の内にもたらされるものでしょうか。

そのとき神殿に集まった人々と
同じ心を持つなら、心には同じ経験ができます。
そう思いませんか?

当時も今も、心に求められているものは同じです。
ですから、心にもたらされるものは
まったく変わらないと信じています。

もしも見た目に同じものを求めるのであるなら、
当時と同じ経験を祈り求めてみるのも一つ方法かもしれません。
わたしはごめんですが w
コメント

総大会 6月29日

2023-06-29 06:05:43 | 総大会
「わたしの人生で今ほど幸せと希望に満ちているときはありません」
(キリストの教義を信頼する シュムツ長老)

「わたしはこんなに幸せです」
福音を喜んでいるように見てほしい気持ちがあります。
わたしのことです。

「福音は人を幸せにします。
 見てください。
 わたしはこんなに幸せです。」
そんなヘンなプレッシャー、こだわりがありました。

今はどうでしょう。
まだ残っているかもしれません。

残念ながら、自分の姿を見るのは難しいものです。
ところが周りの人、特に家族はそれを見ているようです。
それも、けっこう厳しく w


素晴らしい証を聞くことがあります。
何の飾りもなく、気負いもなく、心の真実を表した証です。

「なぜそれが分かりますか?」
分かりますよね、なんとなく…
御霊の証とはそんなものみたいです。
コメント

総大会 6月28日

2023-06-28 05:59:53 | 総大会
「キリストの教義が…骨の髄まで染み渡るように」
(キリストの教義を信頼する シュムツ長老)

スーツを着るように福音を着ていました。
普段着に着替えれば、気持ちも普段通りです。
サンデー・クリスチャンというのだそうです。

やがてそれは肌着になりました。
上着を着替えても下着はそのままです。
ガーメントにはその祝福があります。

主はそれでは満足していないようですね。
「あなた…の顔に神の面影を受けているか」アルマ5:14

神の面影はどこから出てくるのでしょうか。
おそらく‟心から”だと思います。
それとも‟骨の髄から”でしょうか。

「キリストの教義が骨の髄まで染み渡る」
ネルソン大管長を見るとき、そんな気がします。

「ある者は…まったく安らかに、かつ穏やかに死に…その骨の髄は潤っている」ヨブ21:23
コメント

総大会 6月27日

2023-06-27 06:10:29 | 総大会
「信仰が生き辛さを支えてくれます」

そう言えるのは、純粋な信仰を持っている人か、
見栄を張っている人でしょうね。
わたしはもちろん後者です。

見栄であっても、キリストに従おうとするのはよいことです。
その行いに報いはあるでしょうか。

わたしの信仰生活は見栄から始まりました。
今も人の目が気になります。


「やめさせないがよい…反対しない者は…味方なのである」ルカ9:50

そんな信仰であっても祝福は確かにあります。
生き辛さの支えとなってくれます。
もちろん、いつか純粋な信仰に至ることを願って
努力はしているつもりです。

わたしの信仰はそんなものです。
コメント

総大会 6月26日

2023-06-26 05:56:47 | 総大会
生き辛さを感じるとき、どうすればいいのでしょうか?

わたしにとって助けになったのは
‟普通の人でいなくてもいい場所”でした。

職場では社会人らしくを求められます。
教会では信仰深い人、人前では一人前、
家庭では父親らしく振舞わなくてはなりませんでした。

要するに、どこにいても
その場に応じた‟普通の人”でいようとしていたのです。
生き辛さとはそういうところから生じるのではないでしょうか。


少し想像してみてください。
初老ともいえる男が、幼い子どものようになり、頭を垂れ、
身体を震わせ、感謝に涙を流している姿をどう思いますか。

ちょっとみっともないですね。
人前ではできません。
それが‟普通の人でいなくてもいい場所”、天父の前です。

真心から祈るとき、素(本当)の自分でいられます。
わたしは祈りに助けられてきました。

幼い子どもが親の前で、愛する伴侶の前で…
うらやましい限りです w

素の自分を出せる場所があることは祝福であり、
人生を幸せにするための大きな力です。

そう思いませんか?
コメント