モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

理想の人生

2021-04-30 06:19:43 | 総大会
人生の理想は何ですか?

「変わり続け、成長し続け、もっと清くなり続ける」
(歓迎の言葉 ネルソン大管長)

わたしはそんな人生を望んでいます。
それを悔い改めと言います。

「イエス・キリストの福音は悔い改めの福音です」
(歓迎の言葉 ネルソン大管長)
わたしがイエス・キリストの福音を信じて従い、教会に集っているのはその理由です。

悔い改めを続けることによって
「変わり続け、成長し続け、もっと清くなり続ける」ことができるからです。

他の人からはどう見えているのかは分かりませんが、
‟変わり続けている自分”を感じることが出来るので、この福音を信じています。
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愛ゆえの苦しみ

2021-04-30 06:18:05 | モルモン書
「わたしたちは彼のことを…神に罰せられ、苦しめられているのだと受け止めた」モーサヤ14:4
「彼の鞭の打ち傷によってわたしたちは癒されている」モーサヤ14:5


子どもを愛するために親がどれだけ悩み苦しみ忍耐しているのか、子どもは理解できません。
それは‟愛するがゆえの苦しみ”です。
いつか子どもが親になったときには同じ経験をし、それを知ることになります。

「昇栄すればすべての苦しみから解放される」と聞いたことがありますが、
‟愛ゆえの苦しみ”だけは残ると考えています。
愛がある限りその苦しみがなくなることは無いし、
愛が強くなるほどそれは増し加えられるのではないでしょうか。

イエス・キリストは贖いの業のために苦しみを受けました。
それは‟愛ゆえの苦しみ”です。

わたしたちがいつか主のようになるとするなら、
同じ苦しみを経験することになるのではないでしょうか。
誰もが自分で経験しなければ、真の意味を理解して知ることはできないからです。

愛は確かに喜びですが、そこには常に‟悩み苦しみと忍耐”が伴うように思えます。
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後悔

2021-04-29 05:40:33 | 福音について
どんなことに後悔しますか?


汚れのまったく見えないきれいなガラスを拭くほど‟しんどいこと”はないかもしれません。
時間の無駄、無益な仕事だからです。
汚れたガラスを拭いてきれいになったのを見るとき、働いたという実感があります。

10年前を振り返って「愚かだった」と後悔するのは成長の証です。
もしも何も変わっていないとすれば、それこそ後悔すべきではないでしょうか。

前者は時を経たことで益を得、
後者は時を無駄にし、無益に過ごしてきたということかもしれません。

さて人生が終わるとき、どちらに後悔が残ると思いますか?
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弱さ

2021-04-29 05:39:23 | モルモン書
「彼は主の前にか弱い苗木のように…育つ」モーサヤ14:2


自分の弱さにうんざりします。
力強くて心が折れることもないような人間であれば、主に頼る理由はなかったでしょうね。

不幸と運の悪さを呪いました。
幸運の持ち主であったなら悔い改めることはしなかったと思います。

失敗の繰り返しにいつも落ち込みました。
成功を納めていれば福音を必要としなかったでしょう。

結局のところ、福音に導いてくれたのは弱さと不運、失敗の繰り返しでした。
感謝する気にはなれませんが、その結果として今があることは認めざるを得ません。

それらの弱さは今も変わりません。
わたしにとってそれは高慢を戒める力となっています。
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時間

2021-04-28 06:14:23 | 福音について
時間はそんなに大切ですか?

若い頃には時間を持て余し、退屈している時が多くありました。
歳のせいでしょうか、暇を持て余すことが全くと言ってもいいほどになくなりました。
むしろ時間が足りなくて困っています。

やりたいことが沢山あるからです。
「いつからこのようになったのか」と思い返してみると、
福音に出会った頃からのように思えます。


人はどうして時間を数えるようになったのでしょうか。
生涯として与えられている時間が限られているからかもしれません。
歳を取り、人生が残り少なくなってきた今になって焦っているのでしょうか。

「時は金なり」という言葉がありますが、それ以上だと感じます。
お金をいくら出しても時間を買うことはできません。
後悔しないように生きるために、時間は大切ではないでしょうか。
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