モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 7月31日

2024-07-31 05:55:42 | 総大会
「すべては…祝福師の祝福で神が約束された通りです」
(奇跡と天使と神権の力 ボーエン長老)

祝福師の祝福についてひとつの質問があります。
そこに記されたことは必ず成就するのでしょうか。

福音に忠実であろうと心を尽くす人に約束が成就するのは理解できます。
信仰から離れてしまう人もあります。
その祝福文にはそのことが記されているのでしょうか。

今のところ、わたしに与えられた約束は成就しています。
しかしこの先、もしも信仰から離れることがあったならどうなるのでしょうか。
そんな不信仰なことを心配してしまう自分がいます。

なんとなく、「予任と同じなのかな」と思ってはいますが、どなたか教えていただけたなら幸いです。
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総大会より 7月30日

2024-07-30 05:37:00 | 総大会
「わたしたちは『ひとつになる』という輪の中に他の人を加えるよう努めるべきです」
(キリストとひとつになる クック長老)

その前に、わたしたちが‟ひとつ”になる必要があるのではないでしょうか。

「あなたがたは‟ひとつ”になっているか?」
主からこのように尋ねられたなら、みなさんは何と答えるでしょうか。
わたしには「YES」と答えることができません。

「あなたがたは‟ひとつ”になるために努力しているか?」
そう尋ねられたら、どう答えますか?

ひとつの信仰があります。
わたしたちが‟ひとつ”になるために心を尽くすなら、それが成るように主は祝福してくださるでしょう。
‟ひとつ”になるなら、御霊に導かれる人々がここに集うことでしょう。

そう思いませんか?
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総大会より 7月29日

2024-07-29 05:39:13 | 総大会
「バプテスマの条件は深遠ながらも、他に類を見ないほど簡潔なものです」
(キリストとひとつになる クック長老)

「死に至るまでも神の証人になる」モーサヤ18:9
バプテスマの条件と聞くとこの言葉を思い起こします。

神の証人になるために、神の羊の群れに入りました。
神の群れに入るとは、重荷を負い合い、ともに悲しみ、慰め、励まし、助け合うことだと思います。
心からこれを望むなら御霊が注がれると約束されています。

今で十分とは思いませんが、「救い主の憐れみを受けるのにふさわしいほど」であることを願っています。
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総大会より 7月28日

2024-07-28 06:29:23 | 総大会
「自分が救い主の憐れみを受けるのにふさわしいほど十分に悔い改められていることを願う」
(キリストとひとつになる クック長老)

「悔い改めは足りているのだろうか」
時々考えます。

心配なので自分を振り返ります。
そして主の憐みに頼ります。
それは祝福かもしれません。

もしも十分に足りていると思うなら、高慢なわたしは主に頼る気持ちを失うでしょうね。

なんとなくですが、彼の気持ちが分かる気がします。
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総大会より 7月27日

2024-07-27 05:44:23 | 総大会
「もっとも大切なことは…自分が何者で、どのような人になれるかについて…学ぶことです」
(青少年を支えるために ネルソン兄弟)

「あなたは神の子供であり、神のようにまで成長することができるのです」
そう教えられました。
「はぁ?」
意味が分かりませんでした。
途方もない話に思えて、ピンとこなかったということでしょうね。

今青少年世代である皆さんはどうなのでしょうか。
もしも当時のわたしのように感じているとしたなら、少しだけお伝えさせてください。

あれから四十年が経ちました。
皆さんから見たらおじいちゃん世代だと思います。
今になって証できます。
「自分が何者なのか、どのような人になれるのか」
その知識は人生の力になり、祝福をもたらします。

皆さんがわたしと同じ世代になったとき、きっと同じ証を持っていると思います。
そう願っています。
そしてわたしと同じように、それを伝えたくて苦心しているかも w
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