モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

正直 その1

2022-06-30 05:45:27 | 福音について
喜びの便り 6月30日
キリストの前に正直であるために その1


祝福師の祝福にこのようにあります。
「モルモン書に親しみなさい」

最初の頃は読むだけでした。
やがて、心に残った言葉について考えるようになりました。
最近は、‟考える”から‟思い巡らす”になってきました。

モルモン書に親しめば、
「キリストの前に正直」をにならざるを得なくなります。
「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話ですね w


聖典の言葉が心に残るのは御霊からの促しです。
心に思い巡らすとき御霊(啓示)がくだされます。
御霊はキリストを証します。

御霊の証は心は主に向かわせます。
主の前では誰も偽ることができません。
主は心を見るからです。

「キリストの前に正直」にならざるを得ません。
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悔い改めの実

2022-06-30 05:29:53 | モルモン書
主の道 6月30日
「悔い改めの実を結んでほしい」アルマ34:30


「二度と罪を思い起こして苦しむことがなくなった」アルマ36:19
悔い改めの最初の実です。
もちろん喜びです。

悔い改めの真の喜びは‟まだ先に”あります。

>悔い改めに取り組むほど、霊を自由にし、気高くするもの…個人の進歩に不可欠なものはありません。
>悔い改めは…幸福と心の平安を得る鍵です。
>悔い改めを選ぶとき…もっとキリストのようになることを選んでいるのです。
(行いを改善し、より良くなれます ネルソン大管長 2019年4月より)

悔い改めには、‟罪の赦しを受けるため”のものと、
‟キリストのようになるため”のものがあります。
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正直な心

2022-06-29 05:42:48 | 福音について
喜びの便り 6月29日
‟キリストの前に正直である”とはどういうことですか?


幼い子どもは正直です。
心と感情を素直に表します。

隠そうとはしません。
とても分かりやすいです。

大人に近づくにつれ、表現を飾るようになります。
人との関係を大切にすることを学ぶからです。

感情をコントロールできなければ、
‟子供染みた…”と言われるかもしれません。

さて、「キリストの前に正直」なのはどちらでしょうか。


主の前に正直であるなら、
サタンの力を感じていること、
罪(不信仰や疑い、偽り)が心にあること、
「悔い改めよ、天国は近づいた」
という言葉を認めるでしょう。(マタイ4:17)

サタンの誘惑があるとき、
自分の飾らない(正直な)心を探ります。

常に… ‟本当にいつも”
心当たり(誘惑の原因)が見つかります。

それは祝福です。
心を祈りと悔い改めに向けることができます。


「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしを御赦しください』」ルカ18:13
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力ある祈り

2022-06-29 05:27:05 | モルモン書
主の道 6月29日
「行うことがなければ…あなた方の祈りはむなしく、何の役にも立たない」アルマ34:28


「天のお父様」
父なる神の前に立ちます。

「感謝します」
心からの感謝があります。

「願います」
願いがかなうよう心を尽くして行動します。

「イエス・キリストの御名によって」
祈りが天に届くために主に頼ります。

単純に考えて、この祈りには力があるでしょうか。
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サタンの誘惑

2022-06-28 05:46:44 | 福音について
喜びの便り 6月28日
サタンの誘惑に力があるのはなぜですか?


サタンは過去の罪を用いて誘惑します。

わたしの場合は性的な罪です。
改宗する前、普通に(自分でそう思っているだけですが)
性的なことに関わっていました。

映画やドラマ、インターネットでも、
不意にそのようなものに目が触れる機会があります。

過去の罪が心に蘇ります。
そこに強い誘惑が伴います。

それは罪を捨てきれていないことを示しています。
何度か神権指導者に相談しました。
重荷はずいぶん軽減されました。
それでもまだ悔い改めは充分ではありません。


ダビデは性的なことで罪を犯しました。(サムエル下11章~)
彼はその罪を覆い隠そうとし、
ついに立ち返ることのできないところにまで至りました。

サタンの誘惑には力があります。
‟キリストの前に正直である”ことには、それに勝る力があります。
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