モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 8月31日

2024-08-31 06:01:20 | 総大会
「自分には何ができるのですか…と尋ねるならば、天のお父様は導いてくださいます」
(祈りなさい、お父様はおられます ポーター姉妹)

会議では様々な意見が出ます。
司会者が言いました。
「建設的な意見をありがとうございます。
それでは、より具体的な話し合いに入りたいと思います。
皆さんの提案を実現するために、皆さん自身は何を行いますか?」
その場が静まりました。
そんなジョークを聞いたことはありませんか。

天のお父様と、より具体的、より現実的に語り合いと望むならこう尋ねてみてはどうでしょうか。
「御心を教えてください。
わたしには何ができますか?」
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8月30日

2024-08-30 05:46:17 | 総大会
「どうすれば自分の思いを捨て去ることができますか?」

宣教師と出会い、彼らからレッスンを聞いたとき、わたしにはたくさんの疑問がありました。
しかし彼らはそれに答えることができませんでした。
それで疑問を横に置いて、まず彼らの話を聞くことにしました。
その結果、福音を受け入れることができました。
横に置いたはずの疑問は、いつの間にかどうでもいいことに変わっていました。

自分の思いを捨て去ったわけではありません。
自らの意思によってそちらを選んだのです。
そしてそれは正解でした。
(そう思っています)

信仰生活の中では、何度もそんな経験をします。
イエスは「わたしの思いではなく、御心が成りますように」と祈りました。
疑いの心は、福音を理解し、真理に至ることを妨げるようです。

主への信頼があるなら、自分の思いを横において、主に従ってみることができます。
その結果が良ければ信仰は増し加えられることでしょう。

多くの人がそんな経験をしていると思います。
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8月29日

2024-08-29 06:04:31 | 総大会
「家庭が平和であるために、何ができるでしょうか?」

人が腹を立てるは“自分の思い通りにならないから”ではないでしょうか。
わたしはそうです。

「この思いは主の御心だろうか?」
わたしの場合は、自分にそう問いかけることで腹を立てる回数はずいぶん減ったような気がします。
なんと高慢で身勝手な人間だったのだろうと思います。

今でも腹の立つときがあります。
落ち着いて考えると、そんな自分が情けなくなります。

家庭、またこの世が平和であるためにできることは色々あると思います。
それらを試してみるのはよいことです。
良い結果があるといいですね。

それで芳しい成果が見えないとしたら、このことを試してみてはいかがでしょうか。
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総大会より 8月28日

2024-08-28 05:56:18 | 総大会
「多くの場合、天のお父様に尋ねる一番良い質問は、「なぜですか」ではなく、「すべきことは何ですか」なのです」
(祈りなさい、お父様はおられます ポーター姉妹)

「なぜこの世には戦争があるのですか?」
そう尋ねられたら、どのように答えるでしょうか。
わたしであればこう答えます。
「神はすべての人に自由意思が与えました。
その自由意思によって人が争うことを選んだ結果、戦争に至りました。」
「なぜ神はそんなことを許すのですか?」
・・・
疑問が深まってゆきそうな雰囲気です。

「この世に戦争がある中でわたしたちに何ができますか?」
わたしであればこう答えます。
「神は家庭の中に愛と平和があることを望まれています。
すべての家庭から争いが消えてなくなれば、どのような世界になると思いますか?」
「家庭が平和であるために、何ができるでしょうか?」
・・・
希望に向かうことができるかもしれません。

皆さんはどのよう会話を好みますか。
わたしであれば、後者のほうが喜べそうです。
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総大会より 8月27日

2024-08-27 06:03:07 | 総大会
「天のお父様が…与えてくださった特別なプレゼント…それは祈りです」
(祈りなさい、お父様はおられます ポーター姉妹)

祈ることによって何がもたらされたでしょうか。
わたしはまだ、その祝福のすべてを理解できていないかもしれません。

祈ることなく、
神を知ることができるでしょうか。
福音を理解することができるでしょうか。
天父の愛を感じることができるでしょうか。

誰でも祈ることができます。
とても簡単な行いです。
信仰と証をもたらしてくれます。

「祈りとはなんと素晴らしい祝福でしょう」
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